Power Macintosh 8600/9600、Power Macintosh G3…。Appleの社運をかけたiMacの布石となった製品たち
Appleは、1990年代後半から少しずつトランスルーセント、つまり透光性のある樹脂筐体のデザインの可能性を追求するようになった。その発端は、地味な試みとして1997年に発表されたタワー型のPower Macintosh 8600/9600のスイッチ類に現れ、同年のNewton OSベースの教育用コンピュータeMate 300の通称ゴジラ・グリーンのボディで顕在化し、1998年春に登場した同じく教育市場向けのPower Macintosh G3 All-in-oneに採用された乳白色の上面・背面パネルへと受け継がれた。
ただし、それらはあくまでもディテールのデザインだったり、製品自体が限られた市場向けであったことから、さほど話題とはならず、ましてAppleがiMacという名の革命を企てていようとは誰も思わなかった。
しかし、同社としても社運をかけるiMacに先立って、トランスルーセントデザインに対する市場の反応を確かめたい意向はあったのだろう。1998年3月に、Power Macintosh G3シリーズ用の外付けディスプレイとして、筐体全体がトランスルーセントなブルーグレーカラーで15インチフラットパネル搭載のApple Studio Displayを披露したのである。
Apple Studio Display発表会でiMacリリース前に感じた違和感
日本でのお披露目は同年の5月、前回に採り上げたPowerBook G3シリーズの発表会の席上で行われ、今でもそのときの様子を覚えているが、同社初の液晶ディスプレイ製品であったApple Studio Displayは、前年に発売済みのPower Macintosh G3のデスクトップ/タワーモデル向けの純正ディスプレイとして紹介された。
ところが、コンピュータ本体がプラチナカラーでビジネスライクな角ばったデザインなのに対し、Apple Studio Displayは専用品といいつつも半透明のスタイリッシュな外観で、まったく釣り合っていない。
そこに違和感を覚えた僕は、その点について質問してみた。すると答えは「今は、そうですね」という意味深なもので、それ以上の情報は得られなかった。
初代iMacの誕生。世の中を魅了したトランスルーセントデザイン
それからひと月もしないうちに初代iMacが発表され(実際の販売開始は、さらに3カ月後だったが)、さらにブルーベリーとホワイトのツートーンのPower Macintosh G3の登場とともに、Apple Studio Displayもメイカソンしてそのカラーリングをマッチさせた。
ここに至って、このディスプレイはようやくそのデザインに見合う本体を与えられることになったわけだが、周辺機器を先行させてあとから母艦となる製品を揃えた例は、記憶する限りAppleの歴史の中でもこれだけだったように思う。
正確な理由は不明だが、少しでも業績を向上させたい時期のAppleが、旧Power Macintosh G3のユーザに対して、1999ドルもするが魅力的なディスプレイだけでも新調させ、売り上げを確保しようという意図があったのかもしれない。
初代iMacの誕生によって世の中はそのツートーンのトランスルーセントデザインに夢中になっていったのだが、実際にはこのApple Studio Displayも、高さやスクリーンの角度調整機構などの凝った機構の採用などの点でApple復活への機運を感じる製品だったのである。
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著者プロフィール

大谷和利
1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、原宿AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。