現在、動画の世界で一番ホットなキーワードが「VR」。SNS上などでもVR動画を目にする機会が多い中、実際の制作現場ではどのような環境で、どのような作業が行われているのか? この分野で積極的な事業を展開するLIFE STYLE株式会社を訪ねた。
広がる実写VR
「VR」はIT系のメディアにとどまらず、一般向けのニュースや雑誌等でも頻繁に特集されるほどのトレンドとなっている。広義の「バーチャルリアリティ(Virtual Reality)」はさまざまな要素を含んでいるが、昨今主に取り沙汰されているのはHMD(ヘッドマウントディスプレイ=ゴーグル内に装着した映像で視界をすべて置き換える装置)を使って体験するタイプのコンテンツだ。最近はゲーム向けの「プレイステーションVR(PlayStation VR)」や、iPhoneなどのスマートフォンを装着するタイプなど、廉価で手軽に楽しめる環境も大きく広がっているので、実際に体験された人も多いのではないだろうか。
実は、HMDで体験するVRコンテンツは大きく2種類に大別できる。1つは、CGでリアルタイムに生成された仮想空間を体験するタイプ。これは、3Dのゲーム世界に自分自身が入り込んだ感覚と考えると理解しやすい。このタイプは、先述のプレイステーションVRなどゲーム系のコンテンツが中心で、ハードウェアのパワー向上とも連動しながら進化を重ねている状態だ。
そしてもう1つ、企業のPR用途などにも数多く採用され「実用」の域に達しているのが、実写映像を使ったVRコンテンツだ。自宅にいながらにして、世界中の観光地を360度好きなアングルで観たり、あこがれのミュージシャンが自分のすぐ側で演奏しているような体験が可能で、そこに感じる「距離感の変化」にはインターネットの黎明期にも似た興奮が存在する。
すでにユーチューブやフェイスブックといったサービスもVR動画に対応しており、HMDを装着しなくともiPhoneの角速度センサにあわせて画角が変化するなど楽しく視聴することができる。また、リコーの「シータ(THETA)」シリーズなど数万円程度で購入できる360度撮影可能なカメラもよく売れており、SNSにも写真や動画が頻繁に投稿されることも一般化の起爆剤となっている。
どんどん身近な存在になる実写VRだが、そのコンテンツがどのように作られているかは、映像業界の人にもまだよく知られていない。ハイエンドなVRコンテンツの制作現場ではどんな作業が行われ、またそこでMacはどのように使われていくのか? この分野の先端を行く企業への取材を交えながらお届けしたい。
LIFE STYLE株式会社(【URL】https://l-s.co.jp)は、VRコンテンツの企画・制作に加え、ユーザが簡単にVRコンテンツを公開できるツール、クリエイターとクライアントのマッチング、作り手の養成などVRに関するさまざまな事業を展開している。上図は同社が星野リゾートと共同で手がけた、リゾート施設の見どころを中心に撮影したVRコンテンツ。実際に訪れたくなるような体感をしてもらうことができる作品になっている。
動画以外からの参入も
今回の執筆にあたり、実写VRの分野で多くのサービス展開や実績を持つLIFE STYLE株式会社(以下LIFE STYLE)を訪ね、実際の制作現場を見学させていただいた。同社は実写VRコンテンツの企画・制作やプロモーションに加え、VRクリエイターの育成・資格取得をサポートする「VRクリエイターアカデミー」の運営、ユーザがネット上で簡単にVRコンテンツを作成・公開できるツール「フリック360メイク(Flic360Make)」の提供、VRを作ってほしい人と作り手をマッチングするプラットフォーム「フリック360(Flic360)」の展開なども行っている。
まず印象的だったのが、同社がVR動画の制作に進出してから意外と日が浅いという点だ。
「もともとは店舗内などを360度見渡せるグーグル・ストリートビューサービスからスタートしました。その中で360度動画やストリートビュー以外の360度静止画を求められるケースが増え、約2年前からVR動画制作をスタートしました」(クリエイティブチーム マネージャー・長濱智子氏)
実は、現在実写VR動画の最先端にいるクリエイターの中にも、もともとは写真(静止画)が専門だったという人が多い。最近は一眼カメラの動画機能が著しく向上したことから、写真と動画を兼業するクリエイターもどんどん増加しているが、VRの世界でも同じことが起こっているようだ。
「VRの撮影は企画から納品まですべてを把握している必要があります。たとえば撮影時に方法を間違うと、編集時の処理がとても大変になってしまうので、元からスタビライズ(カメラぶれの防止)するなどの対策が必要です」(クリエイティブチーム VRディレクター・北村琢氏)
映像業界は、特にテレビや大作映画などハイエンドの現場に行くほど「分業」が徹底している。たとえば撮影後のプロセスでも、素材をつなぐカット編集、特殊効果の合成(コンポジット)、色の調整(カラーグレーディング)など各々の工程を、別々のクリエイターや会社が担当するのが当たり前の世界なのだ。確かに高いクオリティを担保するには理にかなった構造だが、ネット上で膨大な動画コンテンツが消費される現在において何より重要な「スピード感」の部分で不利な面もある。
一方、廉価で非常に高性能なツールが揃っている現在では、個人または小規模なチームで、企画から制作まですべてを担うケースもどんどん増えている(筆者も普段はそうした体制で活動している)。進化が著しく速い実写VRの世界では、小回りのよさを武器にしたクリエイターやチームが、環境の変化や顧客のニーズにピッタリと寄り添いながら一歩ずつノウハウを組み上げる、とても熱いシーンが展開されているのだ。
VRクリエイターの育成・資格取得をサポートする「VR CREATORS ACADEMY」では、実写VRの動画コンテンツ制作を、撮影・制作技術をプロとして通用するレベルで習得することが可能だ。世界トップシェアを誇るKolor GoPro社の公式認定トレーナーが講座を担当する。【URL】http://vrca.l-s.co.jp
LIFE STYLE株式会社クリエイティブチーム・マネージャー・長濱智子氏(右)、クリエイティブチーム・VRディレクター・北村琢氏に話を聞いた。長濱氏は映像業界でのキャリアを活かし同社に。北村氏は世界でも数少ないKolor社公認トレーナーの資格を持つ。
要となる「スティッチ」
では、実写VRの撮影について解説しよう。現時点では、周囲360度プラス上下すべての方向を1つのレンズで撮影することは不可能なので、必ず2つ以上のレンズで撮影した映像をスティッチ(つなぎ合わせ)する必要がある。実写VRが盛り上がり始めた数年前によく行われていたのが、小型カメラ(特にGoProシリーズ)を複数台組み合わせる手法だ。この場合、カメラ同士はまったく連動していないので、設定や録画ボタンの操作が個々に必要だったり、収録中のプレビューが行えないなど大きな手間とリスクが生じていた。
現在は、冒頭で挙げたシータのような民生機に至るまで、1台のカメラに複数のレンズを備えて撮影できる専用機が数多く登場している。たとえばLIFE STYLEでも主力で使われている「インスタ360・プロ(Insta360 Pro)」は6つのレンズで8K解像度(7680×3840ピクセル)のVR動画を撮影でき、リアルタイムでのプレビューやストリーミング配信も可能。操作は本体から、またはiOS/アンドロイド用アプリ、Mac/ウィンドウズ用ソフトを使って行える。どの操作方法で撮影を行っても、データはSDカードもしくは外付けSSDに保存されるなど、利便性は大きく向上している状況だ。
しかし、1台に収まってはいても「別々のレンズで撮られた別々の映像」をスティッチする必要があるのは変わりない。個々のレンズで撮影された映像は、重複部分を持った個別の動画ファイルとなる。スティッチの作業では、共通した部分を重ねたうえでレンズごとの歪みを補正して、最終的にすべての方向を含んだ1つの大きな映像にまとめられる。それを、ユーザが見ている方向に合わせてHMD内に表示するのが実写VRの仕組みだ。「撮ったまま」の画角を再生する通常の動画に比べ、何度も曲げたり伸ばしたりの複雑な処理が必要となるのだ。
スティッチはカメラや専用のソフトに自動で行わせることも可能だが、特に業務ベースではさまざまな問題も存在する。
「細かく動いているものや、近いものと遠いものなど視差(左右の目や個々のレンズごとのずれ)が大きいものは、波打ったような状態になりやすく、そのままでは納品できません。そうした素材はマニュアル(手作業)で修正します」(北村氏)
LIFE STYLEでは、Macプロにインストールされた「オートパノ・ビデオ・プロ(Autopano Video Pro、以下オートパノ)」というソフトでスティッチの作業が行われている。オートパノでは自動処理に加え、個々に場所を指定してのスティッチが可能だ。北村氏は、オートパノの開発元であるKolor社の認定トレーナー(現在、日本に3人だけ!)の資格を持つ。見学時は大変スムースに操作していたが、かなりの勘を必要とする作業なのは想像に難くない。そうした人間の経験値もやがてソフト側にフィードバックされ、さらにツールの精度が向上していくのだろう。
LIFE STYLEでは、VRクリエイターツール「Flic360Make」を提供している。誰でも簡単に360度コンテンツが制作できる環境を提供することで、360度技術が持つ可能性の認知を深め、VR市場の課題であるコンテンツ不足を市場の活性化を図ることで解決しようとする。【URL】https://make.flic360.net
VR動画の編集は?
先述したように、VR動画は表示方法こそ特殊なれど、スティッチ後のデータは通常と同じ「四角形の動画」にほかならない。よって、極端にいえば、不要部分のカットなどはどんな編集ソフトでも理論上は可能だ。ただし、実際の編集では作業中にVR表示のプレビューなどが行えないと厳しい。現在、業務用の編集ソフトでVR動画への対応が一番進んでいるのがアドビの「プレミア・プロ(Premiere Pro)」で、LIFE STYLEでもスティッチ後の編集で使われていた。
プレミア・プロは2016年にVR動画のプレビュー機能を搭載したのを皮切りに、最近はアドビによる関連企業の買収など非常に積極的な対応姿勢を見せている。2017年10月にアップデートされた最新バージョンでは、さらなるVR関連の機能強化が行われている。プレミア・プロはほかのアドビクリエイティブクラウド製品同様、Mac、ウィンドウズの両方で使用可能。実写VRは「引き伸ばして」表示されるため、普通の動画よりも高解像度での収録が必須だ。
先述のインスタ360・プロのような8K撮影や、最近は民生機でも4K解像度での撮影が標準になってきており、編集マシンにも一定のパワーが求められる。プレミア・プロでは、ビデオ(グラフィックス)カードの選択肢の多さからウィンドウズマシンのほうがレンダリング(書き出し)時間の短縮などで有利な面もあり、LIFE STYLEでもMacプロとウィンドウズマシンを併用していた(筆者もプレミア・プロはMac、ウィンドウズの両方で併用しており、普通の映像制作現場でもそのスタイルのユーザが結構多い)。機能自体はプラットフォームごとの差はほとんどなく、LIFE STYLEでは色調整まで含めてプレミア・プロで完結した編集が行われているとのことだった。
同じ動画でも、実写VRでは通常の動画とはまったく違う構成が求められる。
「VR動画は、視聴者が映像を認識するまでにある程度の秒数を必要とするので、普通の動画のように細かくカット編集することはありません。その分、素材を作るまでに時間がかかります」(長濱氏)
動画編集はある意味「時間の流れを組み立てる」ことに等しいが、実写VRは動画であっても「空間を組み立てる」感覚に近い性質を持っている。こうした部分も、もともと動画畑ではなかったクリエイターの好奇心に火をつける一因となっているのだろう。
Autopano Video Proは、複数台のカメラを使って撮影した映像をスティッチして360度動画の制作を実現するソフト(9万2600円)。Kolor社からは、静止画向けのAutopano/Autopano Gigaといったソフトもリリースされている。 【URL】http://www.kolor.com/autopano/
実写VRの要のなる、映像同士をつなぎ合わせるスティッチの作業。画面上に表示されている点はソフトが認識したポイントで、複数の映像で対応する部分を手作業も含めて丹念に一致させることでクオリティを向上させる。
悪いVR映像のサンプル。VR映像をそのままつなぎ合わせただけでは、映像は波打ったようになり、見ている人にとって気持ち悪いものとなってしまう。映像をいかにスタビライズ(安定化)させるかも制作テクニックとして求められる。
業務用のVRビデオ編集で現状唯一の選択肢となるのが、AdobeのPremiere Pro。同社のAfter Effects(合成や複雑な加工を行うソフト)と併せて、VR動画の編集に積極的に対応している。AppleのFinal Cut ProはVRへの対応が未だ十分ではない。
VRは「音」も大切!
実写VRで映像と同じくらい重要なのが「音」の要素だ。現在はまだ通常のステレオ音声のコンテンツも多い一方、映像と連動して方向が変化する「空間音声」が急速に広がっている。対応の有無で臨場感、VR空間への没入感がまったく異なり、特にホラー系コンテンツでは「映像より重要」と言い切る重鎮もいるほどだ。空間音声の素材は左右以外に前後の情報も必要なので、専用のマイクを使うほか、最近はレンズ同様に複数のマイクを内蔵したカメラも増えてきた。
空間音声の編集は映像と同じプレミア・プロのほか、グーグルやフェイスブックが無償公開しているプラグインを使うことで、数多くのDAWソフトで行うことができる。LIFE STYLEでは、定番として知られる「プロ・ツールス(ProTools)」に加え、低価格ながら多くの機能を持つ「リーパー(REAPER)」などのDAWを併用しているとのことだった。
トピックにあふれる実写VRの世界だが、数カ月で状況が大きく変わるなど、まだまだ産声が上がったばかりの黎明期というのが実情だ。
「グーグル・ストリートビューが万人のツールになったように、徐々に普及しはじめ、“どのように使えるか”を想像しやすくなり、使える用途が明確になっていくと思います。その中で、今後も面白い使い方を追求できると思います!」(長濱氏)
今回は2017年秋における実写VR制作の現状を紹介したが、きっと1年後には「昔話」になるほどの変化を遂げているに違いない。そして実写VRは、ハイエンドな分野だけでなく、お手軽なツールやサービスが数多く登場して手元のMacやiOSデバイスで簡単に試せるようになっていくだろう。ぜひ、現在もっとも熱く楽しいVRの世界を積極的に体験していただきたいと思う。
特にPremiere Proでは、ビデオカードの選択肢の多さからWindows機が用いられることも多い。また、高価なMac Proと比較すると、Windows機のほうが同等の性能でも安価だ。各カメラメーカーが配布するユーティリティも含め、プラットフォームによるソフトの差はあまりない状況といえる。