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「iPadCreative」再定義のための2年間の試み

著者: 林信行

「iPadCreative」再定義のための2年間の試み

毎年参加しているアドビ社のイベント「アドビ・マックス(Adobe Max)」に、フィル・シラー氏が登壇して驚いた。フィル・シラー氏といえば、アップル社の製品発表の基調講演にも度々登場するワールドワイドマーケティング担当の上級副社長。iPodのホイールの生みの親として知られるが、実は以前、現在アドビの一部となっているマクロメディア社の副社長だったこともある。

そんなシラー氏が登場したのは、来年リリース予定のiPadプロ用フォトショップ(これまでのような機能縮小版ではなく完全版)と、「プロジェクト・ジェミニ(Project Gemini)」というプロ用描画アプリの開発を両社で協力して行ったという発表のためだった。

本誌発売直後にニューヨークで新型iPadの発表会も行われる予定で、多くのアーティストやクリエイターが呼ばれている。iPadプロは、クリエイティブな仕事をするうえでも最強の製品、ということを訴えるイベントになるのではないかと筆者は予想している(残念ながら大事な予定とぶつかり発表会の参加は辞退した)。

アップルとアドビといえば、1980年代半ばにDTP(デスクトップパブリッシング)の革命を巻き起こし、1990年代始めにはイラストレータでコンピューターイラスト革命を、フォトショップで写真加工の革命を引き起こした。さらに1990年代半ばにはパソコンで動画を編集するノンリニア編集を世に広めるなどコンピュータを使ったメディア革命を度々起こしてきた。

しかし、ウィンドウズ95に合わせてアドビ製品が次々とウィンドウズに移植された頃から両社の特別な関係が崩れていった。特にiPhoneのバッテリが急速消耗する原因となっていたアニメーション技術「フラッシュ(Flash)」の採用をアップルが拒み始めると、両者の関係は一気に冷え込んだ。それから、アップルのイベントにアドビの重役が招かれて話すことはあったものの、その逆はなかった。しかし、今回、それが叶った。

これは、電子書籍や映像コンテンツなどを楽しむためのコンテンツ消費デバイスというイメージが定着しているiPadを、今一度、クリエイティブな仕事のための道具として再定義しようという意気込みの表れでもある。

実は2016年春、両社は密かにニューヨークで「Make It On Mobile」を始動。日本の牧かほりさんを含む気鋭のデジタルアーティスト16名を世界から集め、2日間かけてiPadプロで作品を仕上げてもらうというプロジェクトを行った。かなりリアルに水彩画や油絵のタッチを再現できる来年発売予定のプロジェクト・ジェミニでは、このプロジェクトでのアーティストからのフィードバックも大いに活かされているという。

アドビ・マックスで触ったバージョンはすでに十分に安定しているように見えたが、「アーティストの道具として高い要求に応える必要がある」とブラッシュアップを続けている途上なのだそうだ。

実はアップルとアドビがこのようなプロジェクトを行ったのは2016年が初めてではない。フォトショップ誕生前夜の1989年にも両社で協力して「キャンプ・アドビ(Camp Adobe)」と呼ばれるイベントを開催。サイテックと呼ばれる巨大なスキャナを用意して、今では当たり前になったデジタルアート作品づくりの文化を花開かせた。

新たな市場は一朝一夕には生まれない。そのことをよく知る両社だからこそ、iPadをクリエイティブ制作ツールとして再定義するMake It On Mobileの試みも、これだけじっくりと時間をかけて行ったのだろう。

Nobuyuki Hayashi

aka Nobi/デザインエンジニアを育てる教育プログラムを運営するジェームス ダイソン財団理事でグッドデザイン賞審査員。世の中の風景を変えるテクノロジーとデザインを取材し、執筆や講演、コンサルティング活動を通して広げる活動家。ツイッターアカウントは@nobi。