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Appleの次の10年を育てる野心的な新ブランド戦略

著者: 氷川りそな

Appleの次の10年を育てる野心的な新ブランド戦略

優先順位の逆転

今年の初夏頃から、アップルは自社名の表記をワールドワイドで「Apple」の英語表記に変更、統一を開始した。自社のWEBサイトのみならず他メディアがリンクする際の表記や、アフィリエイトを利用する際にも同様のルールが適用されることが情報サイト「MACお宝鑑定団」にも掲載されたため、ご存知の読者も多いだろう。

この試みからは、ブランドをローカライズ(翻訳)せずに「?」マークもしくは「Apple」という文字で統一することで、よりブランドイメージを高めていこうとする意図がくみ取れる。近年のアップルは、こういった「統合」もしくは「シンプル化」と表現するべきブランディング施策を静かに進めてきた。

始動は昨年の7月頃。WEBサイトで展開されているオンラインストアのURL表記が「store.apple.com」から「www.apple.com/shop」へと切り替わり、翌月には上部のナビゲーションタブから「ストア」の表記がなくなり、それぞれの製品情報に統合された。これによってサイトを訪れたユーザはオンラインストアのページで再度製品を選ぶことなく、欲しいと思ったときには購入ボタンを押せば良いだけとなった。

近年大多数の人はすでにオンラインショッピングに慣れ親しんでおり、製品の情報を最初に知る「ファーストタッチポイント」がインターネットになっている。公式サイトにおける情報へのアクセスのしやすさ、そして購入までの導線を失わさせない「ユーザビリティ」の改善に積極的に手を入れていく姿勢は、実に理に適っている。

アップルはブランド表記をすべて英語表記で統一するように推奨し始めた。これは日本を含む非英語圏のエリアもすべて対象となり、従来のようにローカライズ(翻訳)せずに「Apple」とすることになったのが今回の最大の変更点だといえる。

公式サイトにも変更が加えられ、今では各製品のページからダイレクトに購入できるようになっている。

本質に向かうシンプル化

ブランドのシンプル化を推し進めているのは、オンラインだけではない。直営店にも数多くの変化が見られている。まず気がつくのが、その呼称である「Apple Store」から「Store」の文字が取れたことだ。直営店総体では「Apple Store」と呼ぶものの、個別の店舗は「Apple 銀座」や「Apple 名古屋栄」と表記されるようになり、すでにWEBサイトや「マップ」アプリでは名称変更が行われている。直営店でも「Apple」というブランドを強調することで、他の高級ブランドと同じように一般名詞のように扱われることが狙いだろう。事実、ChanelやGUCCIといったブランドの直営店は「ストア」や「ショップ」と表記されていないし、アップルストアを訪れるほとんどのユーザも「アップルに来た(来ている)」とすでに話していることを考えるとこのほうがより望ましく、より自然な姿なのだろう。

もはやアップルというブランドを顧客視点で見たときに「オンラインか実店舗か」という違いには意味がなく、むしろシームレスにつながることでシンプルでスムースな体験が提供できるようになる、という戦略を取ったほうが満足度が高いのは間違いない。これは、オンラインで注文した製品を最短で1時間後に直営店で受け取ることができるピックアップサービスを提供開始したり、オンラインで購入したものはどの直営店にでも持ち込んで返品手続きをすることが可能になっていることからも明らかだ。

変更された直営店「Apple Store」の呼称。一部まだ残っている部分があるようだが、基本的には「Apple + エリア名」というStoreという文字が抜け落ちた形で表記するのが新ルール。純正アプリである「マップ」の情報にはすでに反映されているなど、そのアクションは静かながらも迅速に実行されているのがわかる。

サポートのWEBサイトもこの1年で何度もリニューアルされているものの1つ。その場で解決できるトラブルシュート記事の検索精度の向上だけでなく、オンラインでのハードウェア診断、チャットによる24時間対応、電話相談(時間指定をしてかけてもらうことも可能)、配送修理、さらに持ち込み修理の予約もできる。

体験は次世代へ

直営店の変更は単に「オンラインとの融合」だけに留まらず、店内の機能(およびデザイン)にまでも及んでいる。5月にオープンしたサンフランシスコの新ストア「Apple Union Square」はまさにその新基準となるものだ。

まず、大きく変わったのが店内の持つイメージ。従来は正面入り口に季節(または新製品発売)ごとにウインドウディスプレイをあしらうことで、外から見てもわかる広告塔としての役割を持たせていた。しかし、新基準ではこれを完全に排して全面ガラスで統一。これによって店内が開放的に見渡せるようになっただけでなく、フランスのマルセイユにオープンした「Apple Marseille」のように180度のオーシャンビューを店内からも楽しむことができる「借景」、つまり地域との融合を図る役割も果たし始めている。

このコミュニティ(地域)への融合アプローチは、店内でも積極的に行われている。店内の奥にある「フォーラム(Forum)」は、銀座のように一部のフラッグシップ級の直営店にしか用意されていなかった「シアター(Theator)」を置き換え、売り場で行われていたワークショップなどを行うための専用のスペースとして提供される。また、ユニオンスクエアに登場して話題になった「プラザ(Plaza)」では店外のスペースに24時間Wi−Fiが利用できるパブリックスペースを無料で提供するなど、直営店が地元の人たちが気軽に使える「憩いの場」としても間口を広げるアプローチを取っており、今後他の店舗にも展開する計画があるという。

店内の商品ディスプレイにも変化が見られる。木製テーブルを使って主力製品を展示するエリアは「プロダクトゾーン(Product Zone)」と呼ばれ、その手法は従来同様だが、壁側にはアクセサリ類が美しくショーウインドウのように並べられた「アベニュー(Avenue)」となる。また、このエリアは単に製品を並べるだけでなく製品の使い方(ソリューション)を提案するアプローチも含まれているようで、新しい「クリエイティブ・プロ(Creative Pro)」という役職を持ったスタッフが接客にあたるようだ。

近年は、クリエイティブ・プロのような専門職を配置する傾向が直営店内で増えている。たとえば中小企業やSOHO、個人事業主を対象としたビジネス向けスタッフも以前から常駐しているが、セミナーやミーティングを行う「ボードルーム(Boardroom)」と呼ばれる実店舗ならではのタッチポイントを拡張するのに余念がない。

店内に植物が配置されるようになったのも新しいスタイルだ。前述のApple Union Squareや昨年の9月にベルギーのブリュッセルにオープンした「Apple Brussels」などの新しいストアでは、腰掛け可能なスペースを持ったイチジクの木を複数設置している。ここは休憩の場でもあり、またサポートの窓口である「ジーニアスバー(Genius Bar)」からカウンターを排してフレキシブルに対応ができる「ジーニアスグローブ(Genius Grove)」へと変わる。

これらの新コンセプトの設計には数多くのアップル製品デザインを手がけてきた実績もあり、現在はCDO(最高デザイン責任者)も務めるジョナサン・アイブ氏が積極的に関わっているという。製品からそれらを取り扱う空間までもが1つのテーマで統一された体験を提供しようという試みは、どのブランドもまだ実現していないことだ。

テクノロジー優先で進んできたIT業界の寵児は、成熟した大人の企業だけが持てる「ブランド」というアイデンティティを確立するという次のフェーズへ舵を切った。これはアップルの「次の10年」を育てていくのに必要な野心的なプランでもあるのだ。

最新世代の直営店は、正面にウインドウディスプレイはなくガラスを多用し、シンプルながらオープンな雰囲気を前面に押し出している。これによって空間は広く、クリーンなイメージを表現している。

イベントやワークショップなどを行うスペースとして用意された「フォーラム」は、各自が椅子を好きな場所に持って座ることができ、心地よいイベントスペースが出来上がるように配慮されている。

ユニオン・スクエアの店舗裏手に用意された「プラザ」は24時間、誰でも自由に利用できるパブリックスペースとして開放される。直営店は単に「物を売る」場所ではなく「人々が集うランドマーク」としてその価値を高めていこうという意図がよくわかる。

従来は単にアクセサリを並べてあるだけの棚だったエリアも「アベニュー」では、よりメッセージを前面に押し出してインスピレーションを喚起するようなアプローチに生まれ変わった。まさに「目抜き通り(アベニュー)」の名に相応しいデザインだ。

アップルストアを代表するサービスである「ジーニアスバー」も、従来のカウンターでの対話スタイルからより距離感を自由に接することができる「ジーニアスグローブ」へと進化した。そこに使われるイチジクの木は「叡智」の象徴でもある。

【News Eye】

今回の社名を「Apple」に統一する動きで一番影響を受けるのは、「縦書き」文化を持つ日本のメディアだろう。同じ漢字圏である中国も「苹果公司」表記からすべてAppleに置き換わっているが、こちらの文字メディアはすでに横書きの文化がスタンダードになって久しいため、その影響はほぼゼロだという。

【News Eye】

直営店の新コンセプトはこれからオープンする店舗はもちろん、既存の店舗も改装(リモデル)や移築を行うことで順次適用させていくという。日本でも銀座はすでに10年以上経過しており、今までのパターンを考えると改装準備に入る可能性は十分にある頃合いだろう。