藤森 慶太 Fujimori Keita
日本IBMモバイル事業統括部事業部長。2008年入社。戦略コンサルティンググループにて、主に企業業務改革、管理変革コンサルティングをリード。その後、米IBM出向などを経て、2014年よりモバイルサービス事業を統括する。週1回は必ずヤマダ電機に行くという、電化製品好き。電化製品全般を見るとテンションが上がる。
“iPhone、iPadは単なる通信手段を越えて、ビジネスの創造性を生み出すものです”
アップルに学ぶUX
藤森慶太氏はユーザインターフェイス(UI)やユーザエクスペリエンス(UX)の重要性について説明する際、2つボタンのマウスの図をよく使う。「これがビデオのコントローラだとして、早送りをするときに右ボタンを押しますか、左ボタンを押しますか?」
多くの人が右ボタンと答えるだろう。どちらのボタンでもいいはずだが、長い間の慣習から「時間は右側に進んでいくもの」という概念が出来上がってしまっている。
「こういう人間の習性をうまく取り入れたUI/UXが、『感覚で操作できるデバイス』です。アップルの製品はすべてそのように設計されていて、直感的なUIが特長です。これからのエンタープライズ製品はエンタープライズユーザ、つまり個々の社員の視点に立った設計が求められています。社員が使う業務ツールのUXを高めることが、生産性の向上や企業の成長にもつながるのです。そうしたUXに優れたアップルデバイスを我々のビジネスに取り入れること、それがアップルとの提携の第一の意義でした」
感覚で操作できるアップルデバイス、それもモバイルデバイスに特化して新たなビジネスを構築すべくスタートしたのが、「IBM MobileFirst for iOS」だ。そこで開発されるiOS向けアプリは、アップルのガイドラインに基づいて設計され、UI/UXに優れる。
IBMとアップルが目指しているのはこうしたアプリ開発だけではない、と語る藤森氏。両社の提携のもう1つのポイントは、そのようなiOSアプリの提供を通じ、企業の働き方そのものを変革することにある。
「提携以前、私たちは普通の携帯電話を使っていました。これは電話とメールができる、あくまでも通信のためのツールです。しかし、本当のモバイル活用を目指すなら、そこからもう一歩踏み込みたい。iPhone、iPadは単なる通信手段を越えて、ビジネスの創造性を生み出すものなのです」
それで実現するのが、社員一人一人の力を最大限に引き出す企業。藤森氏はそれを「Individual Enterprise」と表現する。これがIBMとアップルの提携の第二の意義だという。
「感覚で操作する」ための開発
IBMでは、モバイル構築を本格的に始めると同時に、アプリ開発の仕方を大きく変えた。
システム構築の伝統的な開発手法は、ウォーターフォール型と呼ばれるものだ。顧客からシステムの要件(必要とされる機能)をヒヤリングし、それから仕様書をまとめ、開発をする。手順が逆戻りすることはなく、川のように上流から下流へ流れる。現在でも、銀行の勘定システムなどの大規模システムでは有効な手法だ。しかし、モバイルツールの場合、要件定義とともに「感覚で操作できる」という点が重要になってくるので、作っては検証し、修正するというサイクルを何度も繰り返さねばならず、ウォーターフォール型の開発手法を採用することができない。開発、検証、フィードバックという短いサイクルを繰り返しながら進んでいく、アジャイル型の開発を行う必要があるのだ。
アジャイル開発を効果的に進めるために、IBMは「IBMデザイン・シンキング・ワークショップ」というメソッドを用意した。「IBM Studio」と呼ばれる空間にクライアント企業と開発チームが集まって、どのようなモバイルアプリにしていくのか議論し合うところから開発はスタートする。議論するといっても、椅子に座って話し合うわけではない。
「ホワイトボードに企業ユーザの方の一日の行動を書き出していって、どのようなシーンでモバイルを使うのかを一緒に話し合っていきます」
電車の中でこういう使い方をしたい、あるいは喫茶店や屋外のベンチでこういう使い方をする。それだけで、UI/UXは違ってくる。クライアント企業とIBMが一緒になって、一種のワークショップを通じ、最適なアプリ設計を行っていく。
これが終わると、iOS標準のインターフェイスパーツを組み合わせて、アプリの仮組みをする。このプロセスはきわめて速い。UIのラフスケッチにボタン機能などを貼り付け、ページ遷移のリンクを張り、ラフスケッチながら実際に操作してみることができるプロトタイプが出来上がる。この状態で、クライアント企業に渡し、徹底検証。そして修正したものを再び渡し、検証というサイクルを納得するまで繰り返していく。納得のいく内容になったところで、デザインとアプリの開発に入る。
ユーザ中心の世界観
IBMデザイン・シンキング・ワークショップのプロセスは非常に重要だ。アップルの元CEOスティーブ・ジョブズ氏には「消費者はそれを与えられるまで、自分が何がほしいのかわかっていないものだ」という言葉がある。これは企業ユーザであってもまったく同じだ。熟知しているはずの自分たちの業務プロセスについて、それが当たり前のものになりすぎていて、非合理的な部分があっても意外と気がついていなかったりする。
「IBMデザイン・シンキング・ワークショップでは、クライアントが自身の業務に非合理的な部分が含まれていることに気づき、業務プロセスそのものを改革していくということがよく起ります」
IBMは、このようなデザイン思考をアップルとの提携以前から行っており、その視点を「企業」という集団から「働く社員」という個人に移していった。しかし、こうした設計を進めていくにはクライアントの理解もまた重要だという。通常の業務システムは業務に組み込まれており、ユーザ視点よりも機能の網羅性が優先されがちだ。これではモバイルアプリは使われず、社員個人の力を引き出すIndividual Enterpriseも確立しない。モバイルを戦略的に活用する企業は、このような理解が進んでいる企業なのだ。
IBMとアップルは、互いに響き合いながら、こうした「ユーザ中心の世界観」を進化させている。しかも、提携からわずか2年。進化のスピードも加速している。