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第35話 映画で思い出したジョブズの魂

著者: 林信行

第35話 映画で思い出したジョブズの魂

ダニー・ボイル監督の映画「スティーブ・ジョブズ」を見てきた。俳優の顔がジョブズに似ているかといえば、他の作品に負けるかもしれない。だが、ジョブズの「性格」「思い」「情熱」については、よりリアルに描けていたと感じた。外見をあえて似させないことで、セリフや、他の人たちとのやりとり、葛藤といった内面の描写に目が行き、その部分が説得力を持ちリアルに描けていたためか、途中から声まで本人の声に聞こえてきた。

「内面がよく描けていた」というのは、原案がウォルター・アイザックソンの評伝と考えると不思議なことだ。なぜなら、ジョブズをよく知る他の人たち同様、私もあの本を読んでアイザックソンがジョブズの内面を理解していたとあまり感じることができなかった。「ジョブズの魂が通っていない評伝」と感じていたからだ。

しかし、その後、ヤマザキマリさんのマンガ「スティーブ・ジョブズ」を読み、驚いた。アイザックソンの本を原作にしつつも、抜き出したエピソードやちょっとした表情、仕草の描き方に「魂」を感じたのだ。「さすが、男の心理を鋭い洞察力で見抜くヤマザキさん!」と改めて感心した。

今回の映画はそのマンガ以上にストーリー構成の妙がある。わずか2時間強でジョブズの人間性や仕事のスタイル、悩める父親、悩める経営者としての人間関係まで描いてしまう。それも回想シーンを除けばたった3つの出来事をとおして、という大胆な構成には正直驚かされ、エンターテインメントとしても楽しませてもらった。

試写会からの帰り道、ジョブズが持ち続けていた使命について改めて考えた。

「コンピュータは人々の能力を増幅する自転車」。彼は、そんな道具を世界中の人々に広めることを使命としていた。そうすることで世界のどこかから現れる「世界を変えようと本気で信じている人」が「人類を前進させてくれるから」と信じていたのだろう。だからこそアップルという会社や、それが作り出す製品やカルチャーを好きになり応援したくなる。

話は少しそれるが、コンピュータが増幅するのは、何もクリエイティブな能力だけではない。

今から5年前の東日本大震災においては、デジタル情報が、時には安否や支援物資に関する重要な情報のやりとりに使われ、時には道路が寸断された被災地へ向かう救助隊の道標となり、時にはなんとか助けの手を差し伸べたい遠くにいる人たちに手立てを与えたりした。この辺りの話は、グーグルの公式サイトにて山路達也さんと書いた連載「東日本大震災と情報、インターネット、Google」(「kiroku311」で検索)でいくつも事例を紹介している。

5年前の東日本大震災の日本には戻れないかもしれないが、それでも人々が力を合わせ、うまくデジタル技術を活用し能力を増幅すれば、いろいろと良い新しい試みを始めることができ、日本を新たに前進させることができる、という希望があった。しかし、東京の夜景が少し暗くなっただけで気持ち的には震災以前に戻ったあたりから、デジタルは自分と考えが違う人を叩いたり、揚げ足をとったり、人を引っ掛けてお金を騙し取る道具になったり、スキャンダルを広める道具になってしまった印象がして残念でならない。

自転車は能力の増幅器だ。聡明な人が使えば素晴らしいことも起こるが、一方で泥棒の奪う能力を増幅したり、下世話なことに関心がある人は、そうした情報をこれよりもさらにたくさん、さらにきわどい形で入手できるようになったのではないかと思う。

でも、それは「前進」なのだろうか? 我々に「豊かさ」をもたらしているのだろうか? そんな能力を増幅して、我々は幸せな最期を迎えられるのだろうか?

道具は十分に進化した。これからはそれを使う人間の側の進化が求められている。

Nobuyuki Hayashi

aka Nobi/IT、モバイル、デザイン、アートなど幅広くカバーするフリージャーナリスト&コンサルタント。語学好き。最新の技術が我々の生活や仕事、社会をどう変えつつあるのかについて取材、執筆、講演している。主な著書に『iPhoneショック』『iPadショック』ほか多数。