※この記事は『Mac Fan』2020年4月号に掲載されたものです。
「こんなに頑張っているのになぜ?」とがっかりしたことはないだろうか?
こんなに一所懸命やっているのに成果が出ない。こんなに努力をしているのに上司は認めてくれない。こんなに全力を注いでいるのに好きな女性は振り向いてくれない…など。だが、努力を認めてほしいというのは駄目だと気がついた。
ボクは、中学・高校時代、毎日自宅で5時間ぐらい勉強をした。でも、高校受験も大学受験もうまくいかなかった。「こんなに努力をしたのに…」と絶望感を感じた。
でも、放送作家になって仕事を始めたら「努力は関係ない」ということがわかった。何時間努力をしたか?ということはまったく関係ないのである。
10秒で思いついたアイデアも、12時間考えた企画も、結局「面白いかどうか?」だ。10秒で書いた手書きのメモが、ウン千万円の価値を生んだことが何度もある。
コンサルタント業も同じだ。アイデアは時間や努力ではないことを毎日のように痛感させられる。とにかく、行動して会議で通すかどうかだけである。いかに瞬時にアイデアを浮かべるのか?ということだ。
正確には、もちろん努力もしている。普段からインプットを大量にしているのだ。書籍も読むし、動画も見る。でも、それは企画を出すためのインプットではない。楽しいかどうか? だけで活動をしているだけだ。だが、その結果、それらが脳の中でシャッフルされ、気がつけば面白い企画になっていることが幾度もある。
学生時代のように努力や頑張りが実を結ぶという考えは捨てた。何でもそうだ。見返りを求めると、失敗したときに「ムカついたり」「八つ当たり」してしまったりする。それでは、心が荒む。
でも、見返りを求めなくなったら、うまくいかなくても何も思わなくなった。「そんなもんか…」と諦められるようになった。
ボクは物書きなので、努力をしたからといって面白い文章を書けるわけではない。最近クックパッドを見ながら料理をしているが、料理も努力で美味しくなったりはしない。正しく量を測り、温度を設定し、正確にやれば美味しくなる。努力をするよりも、レシピどおりに作ったほうが美味しい料理ができるのだ。そこに努力や折角は関係ない。
子どもの頃、学校の先生や親から努力をすれば成功すると教えられた記憶がある。それがいつの間にか「努力は報われる」のが当然だと勝手に思うようになった。だが、実際の世の中は違うのだ。
「やりたいからやる」というスタンスのほうが人生が楽しいということを今は感じている。努力をしたかどうかは関係ない。だから、人生をこの瞬間から未来に向けて楽しむのだ。

著者プロフィール

野呂エイシロウ
放送作家、戦略的PRコンサルタント。毎日オールナイトニッポンを朝5時まで聴き、テレビの見過ぎで受験失敗し、人生いろいろあって放送作家に。「元気が出るテレビ」「鉄腕DASH」「NHK紅白歌合戦」「アンビリバボー」などを構成。テレビ番組も、CMやPRをヒットさせることも一緒。放送作家はヒットするためのコンサルタント業だ!と、戦略的PRコンサルタントに。偉そうなことを言った割には、『テレビで売り上げ100倍にする私の方法』(講談社)『プレスリリースはラブレター』(万来舎)が、ミリオンセラーにならず悩み中。