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光の描き方

著者: 藤井太洋

光の描き方

イラスト/灯夢(デジタルノイズ)

ビーチに寄せる波音がチープな電子音にかき消された。

「ダイク、やめてくれよ」

おれはテーブルのワイヤレススピーカーをつついて音量を下げたが、ダイクは平然と元に戻す。

「知らない? カラテカのBGMだよ。Apple Ⅱから直に録(と)ったんだぜ。お前こそ仕事なんかするな」

ダイクは視線をおれが覗き込んでいるサイドテーブルに向けた。そこに並ぶのはショッピングモール脇の質屋から引き取ってきた十枚の初代iPad Pro。発売されてから八年にもなる旧機種だが、レストアして好事家に売ればそれなりの稼ぎになる───とはいえ、高級リゾートホテルのプライベートビーチでやるような作業ではない。

「続きは部屋でやるよ。でも、ホテル代は本当に払わなくていいの?」

「ああ。友人が持ってくれる」と答えたダイクの目は泳いでいた。

「トビーか。そうなんだな?」

否定しようと首を横に振りかけたダイクだが、ふうとため息をついた。

「いろいろ迷惑かけてごめん、ってさ」

「信じないね。奴が埋め合わせなんてする柄かよ。どうせ厄介ごとだろ」

ダイクは苦笑いしてビーチにならぶパラソルの一つに顎をしゃくった。

ジーンズに花柄のカーディガンを羽織った老婦人が中腰で立っていた。婦人は目の前の空間へ手を伸ばしては胸元へ引き寄せる仕草を繰り返していたが、なにかがうまくいかないらしく、苛立たしそうに足踏みをしていた。その眼球に見覚えのある光点がちかりと光った。

Apple社が昨年発表したコンタクトレンズ型のディスプレイ、〈CORNEA(コーニィ)〉だ。レーザー干渉で網膜に像を結ぶので視力が低下した高齢者でも“レチナ体験”が得られるが、画面の枠がないインフィニット・ワークスペースの設計は難しい。まともに動作するアプリが数えるほどしか出ていないのが難点だ。婦人の苛立ちは、きっとそんなあたりだろう。

「トビーは、ジーニアスのハチヤにご婦人の悩みを解消してほしいんだそうだ」

「こんなときだけジーニアスから野良を抜くなよ。おれは自分の売った商品しかサポートしない。でなきゃ一回ごとに技術料をいただくんだ」

「立派な心がけだがね、おれにとっては手数料の貰える立派な仕事なんだよ」

ダイクは立ち上がって「お困りですか?」と婦人へ声をかけた。続けて呼びかけた名前におれは目を?(む)いた。二十世紀、女性としては最高額で落札された作品を作った現代彫刻家だ。

婦人はダイクと、そしておれを睨んだ。

「名前で呼ばないで。CLよ」

CLは噂どおりの人物だった。メディアに一切顔を出さないトラブルメーカー。ライフワークはアメリカの悪夢。得意とする手法はシルクスクリーンで拡大謄写した写真の空間配置だ。

二〇一〇年に最後の個展を行ったあとは作品をほとんど発表していない。自分自身をエサにできない芸術家が注目を集められる時代ではないのだろう。とはいえ、創作意欲が衰えていないことはすぐに分かった。おれがトビーの紹介した人物だとわかったとたん、彼女はまくし立てたのだ。

「ハチヤって言いにくいわね。ハッチでいい? わたしは複製可能なデータを芸術作品として売るの。それこそがアメリカの産んだ悪夢でしょ。その皮肉を描くために──」たっぷり十分ほど語ったCLは、戸惑うおれに鼻を鳴らしてから本題に入った。

「あなたに分かるわけないか。とにかく、色をなんとかしてちょうだい」

「キャリブレーションは──」

「やったわ。何度も」

CLはワークスペースをおれの〈コーニィ〉に共有した。

なにかを?もうとしている白黒の手の写真がビーチに浮かんだ。3D空間を使ったデータ彫刻作品だ。平面の写真の指を縫うように描かれた赤いマーカーは三次元の軌道をたどり、心臓の鼓動のように震えて、手が握れないなにかを強く感じさせる。

おれはほうっと息をついた。創作意欲が減っていないどころではない。このレベルの作品を作れるならば、彼女は八十代に最盛期を迎えることになる。

「ぼうっとしないで。傑作に決まってるじゃない。色を見てよ。その赤い線。全然違うじゃない」

CLは〈コーニィ〉に映像を飛ばしているホスト側のiPadの有機ELディスプレイをおれに突きつけた。同じ色が出ているようにしか見えない──いや、厳密に言えば違う。

〈コーニィ〉には、iOSに9.3から搭載されたナイトシフトの進化形、ユーザーの環境に応じて映像に陰影づけする機能が備わっているせいだ。震える赤い線と写真には、雲一つない空から入るはずの青い光とビーチからの照り返しが描き足されていた。

「もしもここに作品を置けば、こう見えるはずですよ」

八十代には思えない鋭い声が飛んだ。

「あんた、なめてんの? この色が欲しい、とわたしが言っているのよ」

救いを求めて、早々に退散していたダイクへ顔を向けると親指を立てて笑い返された。技術に慣れることのできない老人サポートだとでも思っているのだろう。

事実だ。

だが、それを切り捨ててはいけない気がした。その頑迷さが、CLの作品を芸術にしている部分が必ずあるはずだ。

そんなおれの気も知らず、ダイクはスピーカーをつついてボリュームを上げた。懐かしい8ビットミュージックがパラソルから漏れてくる。その音でおれの頭に一つのアイディアが点った。

「ミスCL、これを試してみませんか?」

おれはリストアが終わっているiPad Proをテーブルから一枚持ってきてCLに差し出した。ついでにバッテリーを入れ替えたPencilも渡す。

「なにその骨董品」と眉をひそめたCLだが、標準のメモを立ち上げてドローイングを立ち上げてやると、〈コーニィ〉に浮かぶ写真を粗い描線で描きはじめた。画面にはみるみるうちに立体感のある手が描かれていく。

「絵も描けるんですね」

「おべんちゃら言わないの。なにこれ、自由に色が選べないの? 作った人は何考えてるのかしら」

そんな愚痴を言いながらも、CLは作業に没頭していく。iPadを抱くように抱えて描き続けた彼女は、ふと顔を上げておれのテーブルにある開腹されたままのiPadを指さした。

「あそこの、全部ちょうだい」

「いいですが、なにに使うんですか」

「繋いで大きな画板にするのよ」

観賞用にはあとで3Dに取り込んでしまえばいい、とCLは続けた。

「色は出ましたか?」

凄みのある笑みを浮かべたCLは、iPad Proをこちらに向けた。何度も消し、塗り重ねた赤い線が指に絡みつく絵が描かれていた。

平面に描かれた、要素の減ったはずの絵から目が離せない。

「こんなに使いこなせるとは思っていませんでした。色数が少なければ集中できるかな、とは思いましたが」

8ビットゲーム時代のプログラマーのようにと言うわけにもいかず続ける言葉を探していると、CLは胸を張った。

「色の数なんか関係ない。わたしが決めた色なのよ。だからいいのよ」

藤井太洋

2012年、セルフパブリッシングの『Gene Mapper』でデビュー。『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門を受賞。