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Appleの新製品発表を“別角度”で楽しむ。特許の「出願事実」を活用した“見せる知財”戦略は、AppleがAppleらしくあり続ける理由の1つ

著者: 緒方昭典

Appleの新製品発表を“別角度”で楽しむ。特許の「出願事実」を活用した“見せる知財”戦略は、AppleがAppleらしくあり続ける理由の1つ

毎年開催されているApple Special Event。iPhone、Mac、Apple Watchなどの新製品やサービスが華やかに発表される、ファンにはおなじみの“舞台”です。

Apple Special Eventでは、提供される顧客体験やデザインが主役です。一方で、特許や商標といった知財に言及されることは多くありません。その理由は、イベントで伝えたいメッセージを希薄化させる可能性があるからでしょう。

しかしAppleは、イベント前後の情報設計に知的財産を戦略的な情報資産=「見せる知財」として組み入れ、活用しています。

本記事では、Appleが“見せる知財”として、どのように知的財産を活用しているのかを見ていきましょう。

「出願事実」を“見せる知財”として用いた、Appleの戦略的な情報戦

Appleは、特許出願などの「出願事実」を巧みに利用しています。

まず前提として、特許権の出願は所定の期間・手続きを経たあとに内容が公開されます。特許出願の内容が公開されるのは、通常、特許庁に出願した日から約18カ月後です。

この期間、特許出願の詳細は非公開ですが、企業側は「出願している」という情報を公開できます。その公開範囲は、たとえば以下の3つのように戦略に応じて決めることがで可能です。

【1】出願の事実のみ
【2】出願の事実+出願番号
【3】出願の事実+出願番号+概要(発明者、発明の要旨など)

特許出願の内容が公開される前でも、出願したという“事実”には情報価値があります。技術優位性の誇示、市場への将来性アピール、競合他社への心理的・法的けん制(訴訟コストや模倣リスクの想起)といった効果が期待できるからです。

このような効果を目的として行う“見せる/見せない”の繊細な舵取りは、権利確保にとどまらない戦略的な情報戦です。

Appleは、この情報開示とイベント・報道の露出を巧みに同期させています。そうして市場や競合他社への影響を戦略的にコントロールし、製品差別化や競合牽制を図っているのです。




Appleの“見せる知財”ってどんなもの? CEOによる宣言や大量の特許出願数による牽制効果

先に書いたとおり、Appleは単に権利を取得するだけでなく、出願したという事実情報そのものを競争優位の武器として活用しています。 では、具体的な「出願事実」の活用例を見ていきましょう。

(1)ジョブズの“特許宣言”。初代iPhoneの発表時にフィーチャーされたマルチタッチ技術

スティーブ・ジョブズは、2007年に初代iPhoneを発表した際、マルチタッチ技術を紹介し「特許を取っている」と明言しました。

このように、CEOが新製品発表の場で、具体的な技術特許の取得や知的財産保護を自ら言及することは、2000年代前半のIT業界ではあまり一般的ではありませんでした。そのため、ジョブズの発言は異色であり、Appleの独自技術としてのオリジナリティを、より強く印象つけられたと考えられます。

また、「特許を取得している」とアピールした一方、詳細な特許情報を開示しなかったことも戦略のひとつです。これにより、競合は代替の技術的解決策を追求することも、異なる方向で開発を行うことも困難な状態になりました。つまり、競合に対する牽制としても機能したのです。

(2)その数5000件以上。Vision Pro発表時に行われた“出願数”のアピール

WWDC(世界開発者会議)は、基本的には開発者に最新のOSや開発ツールを紹介するイベントです。そのためAppleは、ここで知財について触れることはほとんどありません。

しかし、WWDC23でVision Proが発表された際、「5000件以上の特許」が出願されたと開示しました。

WWDC23

Vision ProをWWDCで発表した理由は、新カテゴリである空間コンピュータを成功させるには開発者の参加が不可欠だ、とAppleが考えたからでしょう。また、開発者がそのプラットフォームに時間とリソースを安心して投資できるよう、持続可能なプラットフォームだという信頼性を示す狙いがあったと推測します。

さらに、出願詳細は非公開のまま「5000件以上」という数字だけを示し、技術的ハードルの高さ、訴訟リスクの大きさを印象付け、同ジャンルへの参入障壁として活用したと考えられます。

Appleが活用するのは特許だけではない。商標・意匠を組み合わせた“見せる知財”

ただし、“見せる知財”として効果的に機能させるには、技術の詳細を非公開にしながら、それがどんな体験を生み出すのか、ユーザが具体的に思い描ける状態にしなくてはなりません。そのためAppleは、特許の出願事実だけでなく、商標や意匠も巧みに組み合わせて“見せる知財”を構成しています。

たとえば、イベントでは技術説明を抑え、「iPhone」や「Vision Pro」といった固有名をセンセーショナルに発表します。

Appleはこの個有名の商標権を取得しており、その狙いのひとつは、類似する製品と混同されるのを避けることです。また、Appleとユーザ間はもちろん、ユーザ同士の会話でも自然に用いられるようにすることで、話題性を向上させる効果があると考えられます。

また新製品や新サービスについて、“できること”の説明に注力するのではなく、製品のシルエットやUIを印象的にアピールするのも特徴です。それにより、ユーザが体験をイメージしやすくなります。

しかし、それらを公開すると他者に模倣されるリスクが増えるもの事実です。模倣されると、シルエットだけが似た機能で劣る製品が市場に出回り、ユーザがそれをApple製品と誤解し、Appleへの信用が損なわれるかもしれません。

それを避けるためにAppleがしているのが、デザイン特許(日本の意匠権)の取得です。

米国意匠特許D1,014,501号

このように特許、商標、意匠の三つの知財を“見せる知財”として重層的に活用し、「ユーザが体験を具体的に思い描ける」状態を作ることで、Appleは市場への影響力を高めています。




出願事実のコントロールは、資金調達やM&Aにも効果的。経営戦略における知財戦略の重要性

Appleは、出願事実を市場や競合に対する牽制や技術優位の誇示に巧みに活用しています。しかし、出願事実の価値はそれだけにとどまりません。

出願事実を適切に整理・提示すれば、知財を活用した資金調達やM&Aの場面で企業価値や交渉力を高めることも可能です。投資家や買収検討企業にとって、知的財産は将来の収益創出能力、競争優位の持続性、市場参入障壁の構築など、多面的な価値を持つ資産として評価要素の一つとなるからです。

たとえば、上述した「ジョブズによるiPhoneの“特許宣言”」は、iPhone発売前から大規模なメディア露出と投資家の期待を集める要因の一つになったと考えられます。また、Vision Proの例でも、投資家に対して保有技術の充実度を示す効果があったはずです。

使える経営資源には限りがある中、「見せる知財」の戦略的活用は重要な競争優位の源泉です。製品開発と並行して知財出願を進め、その事実を効果的に情報発信に組み込むことで、限られた予算でも大きな市場インパクトを創出することができます。特に、スタートアップには重要な考え方になるでしょう。

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著者プロフィール

緒方昭典

緒方昭典

複数の弁理士事務所に勤務したのち、スタートアップに対して、特許や商標などの権利取得だけでなく知財活用を支援するため、くじら綜合知財事務所を設立。 現在は、広くベンチャー企業の知財活用の支援に注力。情報経営イノベーション専門職大学客員教授。

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