アップルのエコシステムを構築した
クック時代になって、アップルのブランドはより洗練され、またテクノロジー企業が生活の中で存在感を示すようになってきた。2017年は、アップルの社名から「コンピュータ」の文字がなくなって10年目だ。しかし、そのブランドの洗練は、テクノロジー企業としてのそれとは異なる。
この10年の間に、主力製品はMacからiPhoneへと移り、また2016年の四半期の多くは、MacやiPad以上に、サービス部門の売上高が多くなっていた。こうした明らかな変化によって、アップルのイメージは、「先進的でデザイン性に優れたコンピュータ企業」から、「モバイルテクノロジーによる日常の問題解決手段を提供する企業」、という言葉に置き換えられた。
アップルのエコシステム、すなわちアップストアとそこに参加する開発者は、新たなコンセプトを実現するように作用している。開発者は、アップルが公開するAPIに添って、日々の問題を見つけ出し、それを解決する手段を、iPhoneの上で提供しているのだ。
そのため、iPhoneが主力である期間を通じて、アップルはデバイスに依存しないビジネスを作っていく必要がある。そうしたときに、スウィフトのオープンソース化や、人工知能技術に関する論文発表など、より多くの人々への参画を促す戦略が重要になっていく。
もちろん、フェイスブックやグーグルといったソフトウェアエンジニアリングの企業と比較すると一周遅れているように見えるが、それが今アップルに必要な変化であることも確かだ。
より人間的な企業にした
クックはジョブズとともに、常に完璧さを求め、要求に対して厳しいマネジメントのスタイルを共有しているといわれる。その一方でクックは、人物や発言を馬鹿にしたりせず、静かに聴く姿勢を持っている。取材している中で、言葉や印象をよく覚えていてくれる人でもある、と感じる場面があった。
新製品発表やWWDC(世界開発者会議)の基調講演で壇上に立つクックが、講演を始める際、あるいは終わる去り際に時折見せるのが、合掌とお辞儀。日本人にとっては親近感のある、丁寧さを垣間見せるポーズだ。
また、2016年のWWDCの基調講演では、直前に発生したフロリダ州オーランドでの全米史上最悪となる銃撃事件を受けて、その被害者の無念さに涙ぐむ場面もあった。非常に情熱的で、その感情をきちんと表す、そんな印象を受け取ることができる。
他方、明るい印象を与えてくれたのは、iPhone 7発表イベントでの「カープールカラオケ」だ。カープールカラオケは、米国で非常に人気のある企画で、ミシェル・オバマ前大統領夫人が出演したことでも知られる。ホストでドライバーを務めるジェームス・コーデンとともに、クルマの中で熱唱する様子は、クックの新たな一面を見たようで新鮮だった。
WWDC2016において、涙ぐむティム・クック
photo●松村太郎
情報発信が増した
秘密主義を貫くことが多かったアップルだが、ティム・クック時代になり、アップルのWEBサイトには「ニュースルーム(Newsroom)」と呼ばれる情報発信のコーナーが設けられた。新製品の情報や投資家向け情報といったプレスリリースだけでなく、ほぼ毎週、アップルのさまざまなトピックを紹介している。たとえば、アップストアの年末年始の記録更新や、スーパーマリオランのリリースについても紹介された。
これらに加えて、クックをはじめとする、アップルの役員は自分のツイッターアカウントを開設している。
新作CMなどのリンクをツイートすることもあり、企業の広報活動をサポートしているが、それだけではない。たとえば1月16日には、米国でマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを讃える祝日にコメントをツイートしたりするなど、クックが注力している多様性に関連するコメントも多い。
また、米国外を訪問した際の写真も、個人アカウントでのツイートが主体だ。直近では、ドイツやフランスを訪問した際の写真を更新し、名誉学位の授与やアップルストア訪問などをリアルタイムに報告している。また2016年10月に日本を訪問した際には、東京や京都などでの写真を披露した。行った先の国の言語でお礼の言葉をツイートするところにも、丁寧さが垣間見られる。
日本と良好な関係を継続した
2016年10月、ティム・クックは日本を公式訪問した。その様子は彼のツイッターアカウントでも確認することができる。
同年10月13日の朝、「おはようございます!」と日本語で書かれたツイートには、京都・伏見稲荷の鳥居を散歩するクックがいた。その後、任天堂を訪問し、リリース前のスーパーマリオランをプレイ。その日のうちに新幹線で東京に向かい、10月25日に日本に導入されたアップルペイの先行体験として、JR線の改札をiPhoneで通過する体験を行った。
10月15日には埼玉県にあるカシューの工場を訪問し、長年アップル製品で採用しているコーティングについて見学。そのまま仙台のアップルストアを訪問している。
ツイッターには投稿されなかったが、日経新聞とバズフィードジャパンのインタビューを受けており、またアップル表参道での子ども向けプログラミングイベントにも参加し記念写真を撮影した。
アップルにとって日本は、重要な市場だ。アジア圏では唯一、2桁成長を継続しているアップルブランドが非常に有力な地域であるだけでなく、クックが構築したサプライチェーンの中でも、日本でしか作れない重要なパーツを数多く製造しているからだ。
アップルは2016年に、日本のWEBサイトで雇用創出とサプライヤーとの関係に関するレポートを掲載した。これによると、アップルは日本で71万5000人の雇用を創出したとしており、そのうちアップルの支出や購買によって生み出された雇用は26万9000人としている。
日本におけるサプライヤーの数は865を数え、前述の訪問先だったカシューに加えて、カメラ部品のカンタツ、インクを提供する帝国インキ製造、京セラが紹介されている。そのほかにも、アルプス電子、旭硝子、第一精工、フォスター電機、フジクラ、ジャパンディスプレイ、パナソニック、ローム、シャープ、ソニー、TDKなどといった日本企業から、アップルは製品向けのパーツを調達している。
クックの日本訪問では、アップル製品の製造に重要な役割を占める日本のサプライヤーの一部を訪問することで、サプライヤーの尊重や、良好な関係性をアピールする狙いがあったと読み解くことができる。その背景には、MacBook向けマグセーフに関連するサプライヤー、島野製作所との訴訟問題によるダメージを和らげていく狙いがあったのではないだろうか。
「多様性」への取り組みを進めた
ティム・クック体制のアップルで目立つのは、より社会的な企業であることを重視している点だ。それは、後述の地球環境問題や気候変動といったグローバルな問題から、顧客個人のプライバシーに至るまで、さまざまなレベルに対処している。
そうした中で、「(人々の)多様性」の問題は、ティム・クック自身も自分ごととして重視していることは、サンフランシスコで行われるLGBTパレード「SF PRIDE」に、彼を含むアップル社員で行進したことからもわかる。クックは2014年にビジネスウィークに寄せた手記で、公式に、自らが同性愛者であることを告白した。その手記の中で、彼は次のように述べている。
「同性愛者であることを誇りに思っている。同性愛者であることは、神から与えられた素晴らしい贈り物の1つだと考えている」
また同性愛者であることから、マイノリティである意味を深く理解し、他の同様の立場の人々がどんな困難にぶつかっているかを知ることができた、と語る。
クックの故郷、アラバマ州では、LGBTであることが原因で雇用が奪われる可能性があるとして、マイノリティの雇用問題に対して、積極的に取り組む姿勢を明らかにした。こうした差別はマイノリティに対する恐れが原因であり、理解することで克服できると、経験から語る。
アップルは人々の平等性を訴え実践していく企業となった。直近で問題になった、ドナルド・トランプ大統領の大統領令に対しても、クックは「何も言わないことは、それを受け入れたことになる」と対峙する姿勢を示した。
2017年早々に世界中に大混乱を与えた大統領令は、イスラム教が主体となっているイラン、イラク、イエメン、リビア、シリア、ソマリア、スーダンの各国から、ビザや永住権を持つ人々を含むあらゆる人々の米国への渡航を制限したものだ。
グーグルやアマゾンなどのテクノロジー企業は相次いでこれに反対するコメントを出した。クックはアップル創業を振り返り、移民なしではアップルは成立しなかったと渡航制限への反論をしている。共同創業者のスティーブ・ジョブズは、シリアからの移民の子どもであり、当時、シリアからの移民の受け入れがなされなれば、iPhoneをはじめとする人々の生活を大きく変えるイノベーションは起きなかったというのだ。
これまで、移民は、多くの場合、第一次、第二次生産における労働力の増強と言う側面によって、国の成長に貢献してきた。言い換えれば、人数が増えることが、移民のメリットだった。
しかし、アップルを含むシリコンバレーの手法はまったく異なる。軍事技術の開発が盛んだった頃、ドイツやロシアを含む世界中の優秀な技術者、科学者を集め、新たな技術の開発を成功させてきたのだ。つまり、他の産業と異なり、シリコンバレーにおける移民のメリットは、不可能を可能にする優秀な頭脳だ。
さらに、アップル、グーグル、フェイスブックの製品やサービスは、現在世界中で使われている。通信事情だけでなく文化や生活習慣まで異なる国々で、単一の製品やサービスが使われている驚くべき状況だ。そうした世界中の人々、つまり多様性に配慮するサービスを作り出すには、テクノロジー企業における多様性が不可欠だ。
象徴的だったのは、日本で発祥した絵文字が、アップルによって多様性を帯びたことだ。iOSに実装された絵文字では、人の顔の肌の色を選択することができるようになった。絵文字が日本でのみ消費されていれば、こうしたアイデアは実装されなかっただろう。多様性によるメリットをよく表す事例だといえる。
アップル公式Youtube「Diversity」より
環境問題に変革を起こした
アップルストアで買い物をすると、これまでは袋口が締まるビニールのショッピングバッグが提供された。しかし2016年から順次、ビニールのショッピングバッグが廃止され、紙製のバッグに変更されている。
新しい紙製のショッピングバッグは、原材料の80%に再生資材が使われており、100%が紙類としてリサイクル可能だとしており、米国における特許も申請済みだ。通常、糸を編んで作られる持ち手の部分も、紙繊維を餡で作られた中空の持ち手が用いられている徹底ぶりだ。ビニールよりも環境負荷が少なく、またブランド感も高まる。アップルは環境配慮とブランドや製品の向上を両立させるアイデアを、率先して、日々取り入れている企業なのだ。
iPhone SEとiPadプロ 9.7インチモデルが発表されたイベントの冒頭で語られたのは、地球環境問題に対する取り組みだった。環境問題、政策、ソーシャルイニシアティブ担当副社長、リサ・ジャクソンが壇上に上がり、アップルのビジネスの100%を再生可能エネルギーでまかなう目標を掲げ、2016年3月現在、世界で93%を達成している。加えて、iPhoneをネジ1本まで分解するロボット、「Liam」を披露し、積極的なリサイクルを行うこともアピールしている。
アップルの環境問題へ取り組む姿勢をアピールする集大成は、間もなく完成が予定されている新社屋、「アップルキャンパス2」だ。広大な敷地に円盤状の社屋を配置し、屋上にはびっしりとソーラーパネルが配置される。効率的な空調をあらかじめ配置し、少ない光量でも明るくなるよう、床材にまで気遣っている徹底ぶりだ。そのノウハウは、先行オープンしたサンフランシスコ市内の旗艦店、アップルユニオンスクエアにも採用した。
クックは、投資家に対しても、地球環境問題に対する投資を説明している。また取り組みをアピールすることは、顧客がより良い選択をすることを助ける、と指摘しているのである。
「企業は顧客と、何を売るかで対話しなければならず、もしより良く見せたいならば、一部だけでなく、そのすべての過程を正しくしなければならない」と、その考えを述べている。
photo●松村太郎
iPhoneを分解するロボット「Liam」 【URL】http://www.apple.com/jp/environment/
サンフランシスコのアップルストア・ユニオンスクエアの外観と店内の様子
プライバシーの戦いにも負けなかった
2016年、ティム・クック率いるアップルは、FBI(連邦捜査局)と対立した。FBIは、カリフォルニア州サンバーナーディーノ市で発生した14人が犠牲となった銃乱射事件の犯人のものとされるiPhoneについて、捜査に役立てるため、アップルに対してロック解除を行えるようにしろ、と要求したのだ。アップルはこれを断っている。
問題となった機能は、我々も日々のiPhoneで利用しているホーム画面のロック機能。4桁もしくは6桁のパスコードを設定していて、10回間違えると端末ないのデータを消去する機能も備わっている。FBIは、このパスコードロックを回避できず、犯人のデータを消さずに閲覧するため、アップルにロック解除(およびロック解除ソフトの開発)を求めたのだ。こうした問題に、クックやソフトウェア担当上級副社長のクレイグ・フェデリギは、公開書簡を発表するなど敏感に反応。その理由について、こう説明した。
「たとえ1台のiPhoneのロック解除のためのソフトウェアであっても、それが存在してしまうことで、世界中のiPhoneを危険にさらし、セキュリティを過去の時点に戻すことになる」
確かに凶悪犯罪やテロ事件の捜査に対する協力をすることは、現在の米国における個人や企業の暗黙の義務のような位置づけにある。実際、当時大統領候補だったドナルド・トランプは、FBIに協力しないアップルの姿勢を「何様だ」とツイッターで糾弾している。その一方で、アップルが、前述のように多様性を守り、また人々の生活を司る存在へとiPhoneを位置づけようとしてきた背景を考えると、人々のプライバシーを捜査当局の自由にさせてしまうことに抵抗すべき、という判断をすることは不思議ではない。
アップルは、クック時代になり、より社会的な企業へと変化してきた。iPhoneが米国のおよそ半数の人々へ行き渡り、また世界中の人々が活用するようになり、社会的な要請がアップルに対して、その責任を求めていると見ることもできる。
そしてクックは、そのことをよく自覚しているように感じる。環境問題に関連して、クックは、その企業が何をしてきたかを顧客が見ていると指摘した。FBIへの対応やプライバシー問題も、アップルが何をしてきたか、に含まれる重大な関心事だった。アップルは、顧客のプライバシーを捜査当局に簡単に渡す存在になりたくなかったということだ。
2016年2月16日、アップルWEBサイトに掲載された公開書簡
【URL】http://www.apple.com/customer-letter/
FBIについてのインタビュー記事が掲載された雑誌『TIME』の表紙【URL】http://time.com/4262538/in-the-latest-issue-63/
逆境にも負けずに信念を貫く
米国では、バラク・オバマ大統領の8年の任期が終了し、衝撃的な勝利を収めたドナルド・トランプ大統領の時代がスタートした。前述の移民問題に加えて、メキシコ国境に壁を建設し、メキシコからの関税でそれをまかなうと豪語するなど、米国第一主義を貫く。時にはその発言が為替を大きく揺るがし、またメキシコに工場建設を計画していたフォードがそれを撤回して損失を計上するなど、すでに企業の業績に多大なる影響を与えている。
米国企業であり、世界中の人々が知っているアップルは、トランプ大統領にとって格好の「わかりやすい米国企業の例」だ。そのアップルに対して、トランプ大統領は、「米国内でアップルが製品を作ることは、私のわかりやすいゴールの1つだ」としている。すなわち、iPhoneを米国内で製造し、米国の雇用を中国から引き戻せというのだ。
これに関連してさまざまな試算が出されているが、iPhoneを米国内で組み立てようとすると、アジアに製造拠点が集中する部品を米国に集めなければならず、また労働コストの問題、労働の品質の問題などが発生することから、iPhone1台あたり50ドル以上も販売価格を高めなければならないとされている。加えて、新工場ではオートメーションが進むため、米国人の雇用が思ったほど増えない。簡単に言えば無茶なのだ。
ソフトバンクの孫正義会長は、米国投資と雇用創出のプランをトランプ大統領に話した経緯があり、彼がアップルとトランプ大統領との間を取り持つ可能性も指摘されている。しかし、iPhoneもしくは主要パーツが米国生産となったとしても、アップルとトランプ大統領の間で一致しているのは、ドル安が望ましいこと以外にはない。
特にクックが大切にしてきた多様性の問題に対する理解は極度に低く、実際アップル社員も、イスラム圏の国々からの渡航制限で影響を受けてしまう人々がいる。また、環境問題についても、気候変動は嘘だと豪語する人物が政権の主要ポストに就いており、アップルの活動が理解されない、難しい時期が訪れるかもしれない。
しかしクックは、負けずに戦うだろう。そう思う理由は、自身の同性愛を公表した手記から見つけることができる。
「あるがままに自らの道を進み、反対や偏見を克服することへの自信もついた」
トランプ政権下の米国がアップルにとって逆境だとしても、クックはアップルの道をぶれずに舵取りしていくことになるはずだ。
ティム・クック体制となって5年が過ぎたアップル。iPhone登場10周年、iPad登場7周年、Mac発売から33年、企業としても40周年を迎えた。そして2017年から、アップルキャンパス2と呼ばれる巨大な新社屋への移行を進めることになる。これも、ジョブズ時代に設計され、クック時代には完成する、アップルの現在を象徴する存在となるだろう。
クックは、アップルが今後100年存続する企業として、どうあるべきかをイメージしながら、これまで、そしてこれからの行動を正しく方向づけている。
この「正しく」という点は、難しい。株式公開している営利企業としての要件、すなわち株価をにらみながら業績を上げていくことはもちろんのこと、将来の世代にどのような社会を残していくかという正しさが、現在求められる。
特に、米国人の本音を引き出し当選したドナルド・トランプ大統領政権下おいては、社会的であること、そして正しさを貫くことは、辛い選択になることも考えられる。それでも、折れないクック、曲げないアップルに、我々は期待しているし、その期待は裏切られないはずだ。
アップルキャンパス2のイメージを披露するティム・クック
photo●松村太郎