継続的な変化が革新に
2011年夏にティム・クックがCEOに就任してから、アップルは順調に売上を伸ばし、時価総額でエクソン抜いて長く世界一に君臨し続けてきた。スティーブ・ジョブズの時代にはなかった手厚い株主対応、慈善事業への積極的な取り組みなど、投資家や社会貢献にも配慮した経営能力が高く評価されている。その一方で、かつてのアップルらしさが薄れているとも指摘されている。安定した成長を重んじ、1つの製品で社会を変えるような革新を起こすリスクに挑まなくなったと嘆く人が少なくない。だが、果たしてそうだろうか。
クックがCEOに就任してからの5年半を振り返ってみると、決して順風満帆だったわけではない。マップサービス開始時の混乱、iPadの減速、ベンドゲート問題、FBIとの対立など、うまくいかなかったことやトラブルもたくさんあった。圧倒的な業績に隠れて見逃されているが、失敗を恐れないのがクックの特徴である。
それはジョブズから学んだ要素かもしれない。だが、何にでも自ら関わってリーダーシップを発揮したジョブズとは対照的に、クックは一歩下がって社員を仕事に集中させ、社員の能力を引き出すタイプのリーダーだ。経営論を語るときに同氏は、よくカレッジ(courage)という言葉を使う。失敗を恐れない勇気、失敗や誤りを受け入れる勇気であり、社員にそうした勇気を持たせることが自分のCEOとしての職務でもっとも重要であると明言している。
そして、もう1つ。クックの特徴となっているのが「継続性」だ。ジョブズのように1つの製品で飛躍させるのではなく、クックは大きな目標に向けて少しずつ、継続的に成長させるプロセスを取る。我慢強く、時間をかけて変化させながら目標に近づき、後から振り返ると、その結果が革新的な解決策へと成長している。
代表的な例が、先に取り上げたiOS 6のマップである。失敗から改善を積み重ねて立て直し、長期的な計画に基づいて投資を行い、ついにプラットフォームの柱となるサービスにまで成長させた。今ではマップサービスを採用するサードパーティのアプリも多い。マップ自体は新しいアイデアではなかったが、モバイルOSにマップと位置情報サービスが密に統合されたことで、スマートフォン時代の新たな地図サービスの体験が可能になった。
今日のアップルは、静かに、しかし着実に私たちの生活を変えている。ここ数年iPhoneの新製品に対して「変化に乏しい」という反応が少なくないが、最新のiPhoneのユーザが昔のモデルを使ったらどのように感じるだろうか。数年前のハードウェアとOSでも、さまざまなニーズが満たされずに不便に感じるはずである。それはiPhoneが継続的に変化し続け、ユーザにとってのiPhoneという存在も変わり続けているからだ。
クックの言う変化とは新たなソリューションである。iPhoneのNFC搭載で2014年に米国で始まったアップルペイは当初「使える機会が少ないのが残念な、最高の支払い体験」だった。アップルは少しずつ対応する小売店やWEBサイトを増やし、ユーザが直接クレジットカードを使うリスクを避けられるソリューションに育てた。アップルペイの普及によって、財布やiPhoneを持たずにアップルウォッチだけで身軽にエクササイズできるようになったのだ。
ブレークスルーに対する誤解
アップルが発表会を開催するたびに人々は革新的な製品の登場を期待するが、ブレークスルーに至るまでには「長い時間が費やされている」とエディ・キュー(インターネット関連&サービス担当上級副社長)は述べている。ブレークスルーは、継続的な発明や改善を積み重ねた結果であり、その過程で1つがつまづいたとしても、その失敗もまた価値を持つ。だから、失敗を恐れずに挑み、継続的に学ぶことが重要になる。
アップルは将来のブレークスルーを見据えて、すでにたくさんの種をまいている。私たちは気づいていないだけで、すでにある製品や技術が少しずつ成長し、やがて大きな花を咲かせる。たとえば、iPhone 7プラスのデュアルレンズカメラを私たちはズーム機能やボケ味の演出に使っているが、深度を測れるカメラ機能は将来、AR(拡張現実)など別のソリューションを生み出すかもしれない。
デジタルアシスタントのSiriにしても、AI技術の発展とともに継続的に改善され、やがてプラットフォームの根幹をなす存在に成長するだろう。そのときに音声インターフェイスの新たな体験によって人々の生活が変わる。昨年からバズワード化している人工知能(AI)をアップルが強くアピールしないのは、まだそのときではないからだ。新しい技術が一般ユーザのニーズを満たし、人々が使いこなせるようになってこそブレークスルーが起こる。人々は想像するだけのものではなく、実際にできるようになったことに熱中する。
生活に広がるアップル
アップルはデバイスを販売して収益を上げてきた。だからMac、iPod、iPhoneに次ぐデバイスの成長エンジンが問われている。だが、クックは成熟市場では飽和に近づくiPhoneを「まだ序盤に過ぎない」としている。「アップルはiPhoneに囚われている」と指摘するアナリストもいるが、そのクックの言葉にポストiPhoneのヒントが隠されている。
アップルは本質的に体験を提供する企業である。最初はハードウェアと基本ソフトを統合的にデザインしたPCだった。ユビキタスなデバイスが当たり前の時代になると、デジタルデバイスの体験はデバイスだけでは完結しない。今日、アップルの体験はデバイスからプラットフォームに拡大している。スマートフォン、タブレット、PC、時計、ワイヤレスヘッドセットなどさまざまなデバイスがクラウドとサービスを仲立ちに連係し、それらを活用するサードパーティのアプリやサービスなどにまで快適な体験が広がる。
アップルの長期的な戦略についてクックは「人々の暮らしのすべてに、我々は関わろうとしている」と述べている。これは車やスマート家電など、あらゆる製品をアップルが手がけるという意味ではない。家の中や自動車など、私たちの身の回りにはマイクロプロセッサを備えたデバイスが増加している。だが、それらは断片的な解決策にしかなっていない。そこにアップルの体験をもたらす。車にiPhoneを接続するだけで、ユーザが日々利用している環境やエンターテインメントを利用できるスマートな空間になる。そうしたアップルの体験を、私たちの暮らしすべてに広げようとしている。これからもiPhoneは重要なデバイスであり続けるだろう。だが、クック時代のアップルの核は、すでにiPhoneではなく、アップルの体験に移っている。