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怖いもの知らずを手放しで喜べない理由

著者: 三橋ゆか里

怖いもの知らずを手放しで喜べない理由

©ra2studio

義理の母にリラックス方法として勧められてからというもの、家ではテレビを見るのではなく、ポッドキャストをかけるようになりました。デザインの話題が多い「99% Invisible」と、ミニマリズムを実践するホストによる「The Minimalists」というポッドキャストがお気に入り。散歩に出かける際にも、最新エピソードを聞くのが習慣です。

さて、ちょっと前の話になりますが、2015年に「Invisibilia」というポッドキャストが「Fearless」と題されたエピソードを配信しました。恐れを知らずに突き進めといった意味で、“Be fearless” や “No Fear”といった表現があるので、そんな自己啓発系の話だろうと思って聞いてみると、まったくの見当はずれ。それは実際に恐れを知らない、生物学的に「恐怖」という感情を感じることができない1人の女性の話でした。

脳には「扁桃体」と呼ばれるアーモンド形をした神経細胞の集まりがあります。彼女の恐怖を感じる能力の不在は、この扁桃体が機能しなくなることで引き起こされるもの。ホストの紹介を受けて登場した脳研究者によると、全世界でわずか400人が患う非常に稀な症状だそうです。研究者が彼女に会ったときの第一印象は、温かみのある、感じの良い女性というものでした。たった1つの違和感を除いては。

その違和感とは、彼女の話し相手との物理的距離のとり方。親しい仲なら肩が触れ合うことがあっても、初対面の相手ともなれば、普通はある程度距離をとるもの。ところが、彼女の場合、研究者が戸惑ってしまうほど近距離でした。その後、面会や検査を重ねることで、彼女が文字どおり“Fearless”であることが判明。恐怖を感じないため、見ず知らずの人に対しても非常にオープン。それが、相手との物理的距離のとり方に表れていたのです。

彼女は過去に何度か、命の危険にさらされたことがありました。喉元にナイフを突きつけられ、脅されたことも。ところが、普通の人なら嫌でも感じてしまう恐怖を感じることができないため、その体験がトラウマとしてインプットされません。生きていれば、誰にでもトラウマの1つや2つはあるものですが、それは彼女には無縁の世界。恐れを知らない。この状態を日常生活はもちろん、ビジネスや起業の場に当てはめてみたらどうかと想像せずにはいられませんでした。

これから会社を起ち上げようという起業家がFearlessだったとしたら、彼や彼女は何事にも尻込みすることなく、果敢に挑戦し続けられるのかもしれません。でも、めげずに挑戦し続けることはできても、その結果は必ずしも芳しくないような気がします。過去に話を聞いた起業家の顔を思い浮かべてみても、恐れこそ、彼らを奮い立たせ、突き動かす原動力になっていると思うからです。

失敗したらどうしようと恐怖を感じる人なら、失敗を免れるために最善を尽くすでしょう。あらゆるシナリオを想定し、バックアッププランを考え、用意周到を目指します。起きてしまったことや周囲の人から学ぼうとする姿勢も生まれるはず。自分のできる限りを尽くして失敗を避けようという気持ちや姿勢は、成功を強く願うことの裏返し。「恐れ」は、付き合いづらい感情ではあるものの、その一方で私たちに欠かせないものなのです。

以前に、とある日本人の女性起業家への取材で、「どうすれば、そんなに頑張り続けられるんですか?」と聞いたことがありました。

「昔から心配性で、失敗するんじゃないかといつも不安なんです」

当時はその答えを意外に感じたものですが、今になってみて、あれほど素直で正直な答えはほかにないだろうと感じています。

Yukari Mitsuhashi

米国LA在住のライター。ITベンチャーを経て2010年に独立し、国内外のIT企業を取材する。ニューズウィーク日本版やIT系メディアなどで執筆。映画「ソーシャル・ネットワーク」の字幕監修にも携わる。【URL】http://www.techdoll.jp