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日本柔道を支える分析ソフト「GOJIRA」“定量”と“定性”のバランスこそが大事

日本柔道を支える分析ソフト「GOJIRA」“定量”と“定性”のバランスこそが大事

全日本柔道連盟 科学研究部/

了徳寺大学・准教授/

了徳寺学園医療専門学校・校長

石井孝法 (いしい たかのり)

福岡県出身の柔道家。1980年生まれ。選手時代は100kg級の全日本強化指定選手として活躍。2006年筑波大学大学院修了。2005年から全日本柔道連盟科学研究部の一員となり、ナショナルチームのサポートを行う。現在は、了徳寺大学の准教授/了徳寺学園医療専門学校の校長も務め、研究者(柔道バイオメカニクス)や柔道部監督としても活動。2013年からは、文部科学省のハイパフォーマンスサポート事業の一環として柔道専用の分析ソフト「GOJIRA」を筑波大学と共同開発、全日本柔道の勝利を支えている。

 

データ分析を行うのは「コーチと知識比べ」をするため

 

日本柔道は、東京五輪で再び輝くのか。一時期は海外勢に押され、低迷していた日本柔道だが、昨年のリオ・オリンピックで復活。男女合わせて金3つは出場国中最多、さらに男子は全階級でメダル獲得を達成した。その一因となったのが、柔道独自の分析ソフト「GOJIRA」と言われている。リオ直前の2016年7月、柔道科学研究部の一員であり、日本代表サポートスタッフの鈴木利一氏より、その活用法を詳しく伺った(連載第2回)。その際に「リオが終わったら、ぜひ会ってほしい」と紹介してくださったのが、全日本柔道連盟の科学研究部に所属し、GOJIRAの開発を指揮した石井孝法さんである。

誰でも使える直観的な操作 専門家を育てないという選択

柴谷●リオ・オリンピックでは見事なご活躍でした。また、最近の世界選手権(2017年9月ブダペスト大会)でも、柔道日本代表は金7つと素晴らしい結果を残されています。その躍進の大きな力である「GOJIRA」について、まずはお聞かせてください。

石井●これは筑波大学と全日本柔道科学研究班とが共同開発をした分析ソフトです。リアルタイムで試合映像を取り込むことができ、ポイントや技の種類や精度、組み手の分類、時間帯別の得点・失点、罰則などの情報、選手や審判の傾向などを入力してデータベース化することができます。男女すべての階級においてすでに2000人にものぼる選手、約1万試合の映像とデータが揃っており、大会期間中はコーチや選手はほぼリアルタイムで映像を確認し、日本のみならず対戦国の選手個人を分析して、特徴や傾向を分析したのちに試合に臨んでいます。映像とデータはすべてクラウドサーバへと保存されており、インターネットにつながる環境さえあれば、パソコンはもとよりスマートフォンやタブレットからもアクセスできます。

柴谷●ラグビーやバスケでは、「スポーツコード(Sportscode)」などの市販の分析ソフトを自分たちの競技に合わせてカスタマイズをしています。競技独自のソフトを作った例は、私の知る限りでは、プロ野球球団の一部とバレーボールくらいですね。なぜ開発をしようと考えたのですか。

石井●バレーやラグビーではチームに1人以上はアナリストがいて、専門職として確立されています。でも、柔道では専任のアナリストを育てて、雇用するような余裕はありません。でも、「柔道のためなら」とサポートしてくれる人材はいます。特定のアナリストしか使えないような(使い方に習得の時間がかかる)ソフトではなく、誰でも直感的に使えるものが必要だというのが発想の原点です。たまたま良いタイミングで研究費を獲得することができ、最初は1人のプログラマーの方に依頼し、開発をスタート。しかし、ここからが長い道のりでした。そのプログラマーの方は、途中で挫折。次はIT企業に依頼をしたのですが、こちらは採算が合わないと途中で打ち切り。3回目は、以前より野球やサッカーなどのデータ配信を行っているデータスタジアム株式会社に依頼。2年がかりでようやく完成にこぎつけました。

柴谷●確かにこれは直観的で、使いやすそうですね。でも、ポップアップ画面が表示されてから入力するので、時間がかかりそうですね。バレーやラグビーの場合は、キーボードのショートカットキーを使って、一回の入力で複数の情報を入れることが可能です。試合中に利用する場合、入力作業は間に合いますか。

石井●入力する情報を絞っています。基本的には、ポイントにつながった技に関してのみ。それと反則です。入力しきれなかった分は、試合後に入れます。柔道を知ってさえいれば、誰でも使いこなせるという点を重視しています。

柴谷●リオでは、ベイカー茉秋選手が90キロ級で見事に金メダルを獲得しました。そのときの準決勝の相手が、GOJIRAにもほとんどデータがない伏兵だったそうですね。でも、20分ほどで映像とデータを完成させて、コーチに特徴を伝え、結果としてベイカー茉秋選手はこの試合で一本勝ちを収め、決勝へと進みましたね。

石井●そのとおりですが、一部事実とは違うところがあります。対戦が決まったときには、すでにデータは準備できていたんです。競技場のコーチに渡すのに20分かかったんです。オリンピックはセキュリティが厳しいから、なかなかコーチまで辿りつかなかったのです(笑)。

柴谷●このGOJIRAの存在は、おそらく世界中の選手に知られていますよね。海外の選手がそれを意識して、日本選手に対してそれまで一度も使わなかった技を出してくるということはありませんか。ラグビーでは、そういう駆け引きは頻繁に行われています。相手の分析を逆手に取ろうとするのです。

石井●もしかしたら、あるのかもしれません。でも、どの選手も大会でポイントを取って、ランキングを上げておく必要がありますから、自分の持ち技を隠し続けるということはできないと思います。どこかで使っているものです。

柴谷●ラグビーの場合、相手の情報よりも自分たちのプレイを改善するために分析の時間を使ったほうが良いと言われており、私もそう考えています。相手は試合ごとにやることを変えてきますからね。柔道は相手の分析により時間をかけるのですね。

石井●柔道の選手にとって、相手の技をまったく知らないというのは、とても怖いものです。先ほどのベイカー茉秋選手の相手のように、ノーマークの選手がスルスルと勝ち上がるケースがありますが、それは相手の技を知らないから。知っていれば勝っているはずなんです。

Data 1>柔道専用の分析システム「GOJIRA」

GOJIRAはGold Judo Ippon Revolution Accordanceの頭文字。「金・柔道・一本・革命・調和」である。選手にとってもっとも怖いのは「相手がどんな技をしてくるのかがわからないこと」(石井氏)。主要な大会に出場した選手の映像とデータは、すべてGOJIRAにアップロードされている。

GOJIRAでは各国の対戦相手の映像をWEBベースで視聴できるほか、データは試合中に入力することも可能だ。リオ・オリンピックでは、すべての映像を日本で待機していたスタッフに送っていた。時差がちょうど12時間であるため、現地スタッフが寝ている間に、日本のスタッフが入力。現地が朝になるとデータが完成している体制を整えていた。

GOJIRAは「直感的に操作できること」を念頭に開発されている。バレーボール専用のソフトや代表的な分析ソフトSportsCodeの場合は、ショートカットキーを用いて入力するが、GOJIRAは上図のようにグラフィカルである。「バレーやラグビーのように専門の人を育てたり、雇用するような余裕はありません。でも、柔道のために協力を惜しまない研究者はいる。そんな人でもこれなら入力できるのです」(石井氏)。

ルール変更は追い風だがどちらかに振れ過ぎると危険

柴谷●他競技によくありますが、日本がメダルを独占するような状態になると、他国が圧力をかけてルールを変更させようとしますよね。柔道では、そういう動きはありませんか。

石井●それが今のところは逆なんです。リオのあとからルールが日本に有利になっています。男子の試合時間が5分から女子と同じ4分へと短縮され、しかも4分以内では反則をいくら取られても勝敗には影響しないことになりました。海外勢には、ポイントよりも反則を得ようとする選手もいる。でも、それでは技が出ないし、見ていて面白くありません。日本は常に「一本柔道」を目指してきました。だから今回の変更は、日本に追い風です。先日の世界選手権もこのルールで行われていますので、おそらく東京オリンピックまで変わらないでしょう。

柴谷●視界良好ですね。

石井●いや、そこに不安がありますね。ある先生にこう言われました。「どちらかに振れ過ぎると負ける」。リオの前のロンドン・オリンピックまでは、とにかく技の練習ばかりをした結果、惨敗でした。これではいけないと、ウエイトトレーニングやこうした分析も取り入れるようになった。リオで結果が残せたのは、そのバランスが良かったのだと思います。でも、逆に技の練習を軽視してトレーニング一辺倒となれば危険だということです。

Data 2>対戦相手を細かく分析

100kg超級でトップに君臨するフランスのリネール選手のデータ。表は各大会での成績、得失点の内訳や時間帯が示されている。右側の写真は、技の起点から終点まで。これのおかげで「この体勢になったら、この技がくるよ」と、担当コーチは選手に明確にアドバイスできる。

SHIDOは「指導」のこと。柔道における反則判定で、主に選手が攻めに消極的な場合に与えられる。反則の中ではもっとも軽いもの。GSは「ゴールデンスコア」で延長戦を意味する。なお、棒グラフ内のGS FRAは「グランドスラム フランス大会」を表しており、この表は2016年と2017年の世界大会において、どのように試合が決着したかを比較している。ゴールデンスコアによる決着が急増しているのはルール改正のため。4分以内にどちらもポイントが取れなかった場合、それまでは反則数で決着したが、2017年からは延長戦に入ることになった。

問題解決型の発想は広い視野から生まれる

柴谷●石井さんは、了徳寺学園の校長をお務めで、さらに准教授であり、同大学の柔道部の監督、専門学校の柔道部ではコーチまでされている。そのうえ、柔道科学研究班として、こうした分析活動を推進されている。一体、どんな生活を送ってらっしゃるのでしょうか。

石井●実は500日くらい休みを取っていません(笑)。ただ、オンとオフの切り替えがうまくできるようになったのだと思います。1日丸々の休みはなくても、仕事の合間に3時間くらいオフがあれば、それだけでリフレッシュできますね。

柴谷●その時間で何をするんですか。

石井●まあ、飲みに行ったりとかです(笑)。昔はいろいろと考え込むこともありました。忙しいと自分のトレーニングをする時間もなくなりますしね。あるとき、すごくイライラしていたんです。「クソ!」と怒りながらウエイトトレーニングをしたんですよ(笑)。そうしたら、とてもスッキリして、このほうが仕事もはかどるな、と。だから今も、夜9時に職場を出たら、それからジムで2時間トレーニングをして帰ります。がむしゃらにトレーニングをしている間は何も考えませんからね。

柴谷●GOJIRAという新しいツールで結果が出てくると、もっと情報が欲しいという声が選手から出てくることはありませんか。他競技ですが、結果として選手が頭でっかちになってしまい、逆効果となった例もありました。

石井●そうですね。そこには注意をしています。情報量を絞ることが必要です。代表選手ともなると、多くの人がアドバイスをしたくなるんですね。「オリンピック出場が決まると、知らない親戚が現れる」と言うくらい(笑)。代表のコーチ、所属チームのコーチ、中学や高校時代の恩師、友人知人、仲間、家族、そしてアナリストなどなど。すべての人の話を聞いていたら、選手は情報過多でパンクしてしまいます。そこで、この図(Data 3)のような仕組みを作りました。アナリストは選手とは直接話しません。情報はすべてコーチから伝えてもらう。代表のコーチと所属先のコーチ、そして選手の3者が太いパイプを持つことが大事だと考えています。

柴谷●これはわかりやすい図ですね。石井さんの話はとても説得力がありますね。何でだろうとさっきから考えていたのですが、独自のソフト開発に関しても、情報チャンネルに関しても、問題解決型の発想ですよね。つまり、ある問題を解決するためのベストな解決策を正しく形にしようとする。1つの組織やチームに長くいると、その空気に染まってしまって、正しい解決法を提示できなくなることもあります。「ラグビー界ではこれが常識」とみんなが思っているところに、別の提案をするのは簡単なことではない。どうして、石井さんはそれができるのでしょうか。研究者としての経験や立ち位置が、それを可能にさせるのでしょうか。

石井●うーん、そうですね。考えられるのは、私はチームからは一歩引いたスタンスを取っているからでしょうか。コーチのように選手と直に接するわけでもなく、毎日顔を合わせるわけではない。それと、他競技の人と話す機会が多いことも関係ありそうです。他競技の人たちとの相談会みたいな集まりを月に一度持っています。お互いの問題を話し合うんですね。そこで「こうしてみたら」とアドバイスをすることもあります。そういう意味では、普通の柔道関係者よりは広い視野を手に入れることができていると思います。

柴谷●そうですよね。自分の競技しか知らないと、どうしても視野が狭くなりますね。私も、同じようなことを目指して、この連載を始めたんです。

視覚では遅すぎる! 感覚をいかに伝えるのか

柴谷●練習の映像は、どのように選手に見せていますか。選手は自分の練習を熱心に見るのでしょうか。

石井●柔道の場合、自分の練習を見る選手はあまりいません。だからビデオを撮らないことも多いです。どんな練習をしたのかの記録は取っていますが。

柴谷●え、そうなんですか。ラグビーの社会人選手の場合、会社の仕事が忙しく、見る時間がないということがありますが、同じですか。

石井●いや、忙しいというよりも、面倒くさいから、かなあ(笑)。そもそも柔道というのは、視覚の競技ではないんです。よくウォーミングアップで、正面にいるコーチが方向を手で指して、その方向へ選手が動くという瞬発系の動作がありますよね。あれ、柔道でもやるんですけど、意味ないなって思ってます。だって、相手の動きを目で捉えていたら、もう投げられてしまう。遅すぎるのです。組手や相手から伝わってくる力で捉えなくちゃいけない。つまり感覚です。この感覚というのが一番大事で、科学というのは感覚の後追いだと私は思っています。

柴谷●人間の感覚を解明したり、言葉で説明するのが科学というわけですね。

石井●その「言葉」にも注意が必要です。言葉で感覚を伝えるのは難しい。よくコーチが「もっと低く!」と指示を出しますよね。でも、その「低さ」というのは、コーチと選手では捉えている内容が違う場合が多いのです。

柴谷●映像なら、その「低さ」の正確な意味を伝えてくれるのではないですか。私はさまざまな映像を見る中でこれはいつか使えそうだなと思った映像はすべて書き出して、長い名前を付けて、ドロップボックスに保存しています。コーチや選手との話し合いの中で出てきた課題に対して、検索をかけて「それってこういうこと?」と映像を示すことで、コニュニケーションのスピードが速くなることを実感しています。柔道のコーチングでは、そうやって映像を見せることはないのですか。

石井●映像を見て実践できる選手ならいいんです。でも、どれだけ映像を見せても、できない選手もいます。そういう選手に対して、どうアプローチすべきなのかを考えています。一時期、私はウェイトリフティングをしていたことがあるんです。正しい姿勢を理解するために映像を何度も見たけれど、身につかなかった。でも、練習中に横にいるコーチに尻を押され「いま力を入れろ」って教えてもらったら、「あ、そういうことか」とわかった。体が気づくんですね。

柴谷●それ、わかります。私のチームでスクラムコーチはあまり映像を使いません。それよりも、練習の中で、肩や尻をグイグイ押して、「そこを意識しろ」とか「そこを押せ」とかやってます。端で見ていると、会話の意味がわからないんだけど、当人同士はわかりあっている(笑)。

石井●柔道のコーチ陣は、現役時代にチャンピオンになった人たちばかり。彼らには、独特の感覚があると思うんです。「今これをやるべきだ」「これをすれば勝てる」という直観のようなものです。それを選手にしっかりと伝えられるようにしたいんです。データ分析は定量的なものだけでなく、定性的なものも大事ですから。私は現役時代にチャンピオンにはなれなかった。コーチたちは、私にはないものを持っている。ただし、素晴らしいものを持っていても、そのままだとなかなか伝わらない。「名選手、名指導者にあらず」ではなく、「名選手=名指導者」となるように、感覚を伝える手段を模索していきたいのです。

Data 3>選手へと伝える情報

「オリンピック選手に選ばれると、知らない親戚が出てくる」(石井氏)。それほど注目度は高い。以前は、図上のような状態だった。「情報過多」問題を解決しようと、石井さんは図下のような体制を整えた。「NT(代表)コーチと所属コーチ、そして選手の三角形を太くすることが大切。分析は直接選手には伝えずに、コーチを通すようにしています」。

対談を終えて

対談には、連載2回目にご登場いただいた鈴木利一さんも同席された。話が石井さんの多忙なスケジュールに及ぶと、「石井さんと接していると、自分の生活がいかに怠惰かと思い知らされます」と言う。確かに石井さんの超人的な仕事ぶりには驚かされるが、鈴木さんが怠惰とは思えない。何しろ2時間の対談中、鈴木さんは一度も姿勢を崩さず、椅子の上で背筋を伸ばし続けいているのだ。柔道が重視する礼儀と勤勉さがヒシヒシと伝わってくる。柔道に限らず礼儀と勤勉さは日本人の特徴だが、今の柔道日本代表には、それが行き届いており、強力なチームワークとなって、代表チームを支えているのではないか。分析スタッフのお二人と接して、そのようなことを感じた。

文・柴谷晋(しばたに すすむ)

1975年生まれ。上智大学外国語学部卒、東芝ブレイブルーパス・パフォーマンスアナリスト。広告代理店勤務、英語教員、大学ラグビー部コーチ等を経て、2015年より現職。ノンフィクションライター、日本聴覚障がい者ラグビー連盟理事としても活動。著書『エディー・ジョーンズの言葉』(ベースボールマガジン社)『出る杭を伸ばせ』(新潮社)、『静かなるホイッスル』(新潮社)WEBサイト:susumu-shibatani.com