※この記事は『Mac Fan』2025年3月号に掲載されたものです。
「悪魔の証明」を避け、早期解決を望んだApple
Appleは2025年1月2日、Siriのプライバシー問題をめぐる裁判で原告と和解し、デバイス1台あたり20ドル、総額9500万ドル(約150億円)の和解金の支払いに応じた。Appleが和解による解決を急いだのは、訴訟の長期化を回避することを優先したためだとみられている。
裁判が起こされた背景には、原告の次のような「経験」がある。いずれもSiriが音声を聴いている状態で、「特定のスニーカーやレストランの話をしたところ、それらの広告がウェブで表示されるようになった」「医師と自身の病気についての会話をしたところ、病気に関連する広告が表示されるようになった」という経験だ。
これらの事象から原告側は、Siriを通じてAppleが収集した音声データを第三者に共有・販売し、これらのデータがマーケティングのためのプロファイル作成(広告のグレーディング)に利用されたのではないか、と主張していた。
これに対しAppleは、そうした原告側の主張を一貫して否定している。Siriの録音データがアップルを含む企業の広告のグレーディングに利用された証拠もないと主張している。しかし、「やっていない」事象を実際にやっていないと証明することは非常に難しい。これはいわゆる“悪魔の証明”と呼ばれるものだ。
また、原告側が主張している「Siriに喋ったから広告が表示された」事象が事実かどうか、疑わしい可能性がある。タイミングとしては直接関係しているように見えるが、デジタル広告や昨今のAIの進歩による推論能力の向上から、ユーザのデバイス上の「無意識の行動」、たとえばメッセンジャーでの入力やリンクのクリック、ページスクロール中に止めるなどの動作すべてが、広告のグレーディングに影響する。無意識なため原告側がそれらに気づかず、明示的に動作を示すSiriが原因だと認識していることも考えられるのだ。

恒久的なユーザプロファイリングには使えない。
オンデバイス処理とセキュアなクラウドで安全性を確保
Appleはこれらの裁判の過程で、Siriのプライバシー強化に取り組んできた。具体的には、デバイス上のAI処理を強化し、音声入力やSiriへのリクエストの音声そのものをデバイス上で処理することで、音声データ収集を行わない仕組みを作った。Apple Watchですら、音声コマンド認識や文字起こしはサーバに頼らず行われ、音声データは送信されない。
プライバシーの強化、そして「ユーザデータを売っていない」という悪魔の証明に陥らないための仕組みは、Siriだけでなく、独自AIであるApple Intelligenceにも反映された。

この裁判はAppleにとって意義深い。SiriはApple Intelligenceとともに、「もっとも安全な音声AIアシスタント」というブランドを、名実共に強化することにつながったのだから。
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著者プロフィール

松村太郎
ジャーナリスト・著者。1980年生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科卒業後、フリーランス・ジャーナリストとして活動を開始。モバイルを中心に個人のためのメディアとライフ・ワークスタイルの関係性を追究。2020年より情報経営イノベーション専門職大学にて教鞭をとる。