Appleは、世界各地で「iPhoneのみで撮影ーShot on iPhone」キャンペーンを行い、15分程度のショートフィルムを制作し、オンライン公開をしている。
「アメージング・スパイダーマン」などを撮ったマーク・ウェブ監督の「Little Garlic」(リトル・ガーリック)もYouTubeのApple公式チャンネルで公開中だ。本編ももちろんだが、そのメイキング映像も興味深い。アイデアに溢れ、iPhoneが映像制作を根底から変えようとしていることがよくわかる内容になっている。
新たな「撮影ツール」としてのiPhoneの可能性
「iPhoneはビデオカメラの代替になるのか」と考えている人は遅れているかもしれない。「代替になるか」ではなく、すでに「代替されつつある」のだ。Appleは、著名な映画監督にiPhoneで15分程度のショートフィルムの制作を依頼する試み「iPhoneのみで撮影ーShot on iPhone」のキャンペーンを世界各地で行っている。
日本では、「ミッドナイト」(原作・手塚治虫、監督・三池崇史)が記憶に新しい。Appleの公式YouTubeチャンネルで公開されているので、もしまだ観ていない人がいるのなら、ぜひご覧いただきたい。
「アメージング・スパイダーマン」などの監督を務めたマーク・ウェブ監督は、中国の俳優、スタッフとともに「Little Garlic」を制作し、これもAppleの公式YouTubeチャンネルで公開されている。
本編はもちろん、メイキング映像にも注目だ。これを見ると、iPhoneが「ビデオカメラの代替」ではなく、新たな可能性を持った撮影ツールであることがよくわかる。
マーク・ウェブ監督が撮影した「Little Garlic」とは?
「Little Garlic」の本編は中国語音声、英語字幕であり、残念ながら日本語字幕には対応していない。そのため、簡単にストーリーを紹介しておこう。
主人公は小学生の女の子だが、自分の鼻が丸いことにコンプレックスを持っている。一緒に暮らす祖父はその鼻を「ニンニクちゃん」と呼び可愛がっているが、主人公はその容姿のせいで学校でもいじめられると感じ、別の誰かになりたいという願望を持つようになる。そんな中、別人に変身する能力を獲得するのだ。
成人して上海という大都会で職を求めた主人公は、いつも別の誰かに変身し、都会生活を満喫している。ところが、本来の自分に戻れなくなってしまった。そこに祖父が訪ねてくる。主人公は本来の自分を取り戻すことができるのか…というお話だ。
言うまでもなく、SNSで本来の自分ではない誰かを演じることに夢中になり、本当の自分を見失ってしまう現代の若者を描いている。
ストーリーも面白いが、映像の美しさにも圧倒される。その美しい映像はすべてiPhone 15 Pro Maxで撮影され、MacBookで編集が行われている。「美しい」というのは解像度などという話ではなく、光と影が巧みに使われ、画面が構成されているということだ。その繊細な映像をiPhoneは余すところなく捉えている。
“iPhoneだから”撮れる美しい自然な光
もっとも美しいシーンは、主人公がタンスの中に引き篭もるシーンだ。学校でいじめられ、生きていくことが嫌になった主人公が、タンスの中に引きこもってしまう。タンスの扉の透かし彫りから漏れ入ってくる光が主人公の顔にあたる。その光と影が、彼女のつらい気持ちを表現している。
従来であれば、タンスの中に撮影カメラを設置することは難しい。そのため、半分に切ったタンスのセットをつくり、光は照明によってつくりこむことになる。ところが、この作品ではiPhoneを手持ちしたカメラマンがタンスの中に入り、体を縮こませながら撮影をしている。つまり、その環境で生まれる本来の光を映し出しているのだ。観客は光が本物であるかどうかなどわからなくても、無意識下でそれを感じ取るはずだ。
小さくて薄くて軽い。映画撮影のあり方を変えるiPhoneの特性
iPhoneは、小さくて薄くて軽い。これが撮影のあり方を大きく変えている。このショートフィルムは「女の子が別人に変身をしてしまう」というSF的設定なのに、後編集による特殊効果はほとんど使われていない。その多くが、アイデアにあふれるアナログ的なトリックによるものだ。
たとえば、都会でイケてる女性に変身した主人公が、祖父がつくってくれた包子を手にした瞬間、元の自分に戻るシーン。イケてる女性が椅子に座り、包子に手を伸ばす動作をするが、横にいる元の自分を演じる役者が手を伸ばしている。このあと役者が位置を入れ替え、カメラアングルを工夫することにより、元の自分に戻るシーンを実現している。
さらに、小さくて薄くて軽いiPhoneは、どこにでも設置可能だ。アイデア次第で、今までに見たことがないアングルでの撮影が可能になっている。
ハリウッド映画の監督も“楽しませる”カメラ
このメイキング映像のハイライトは、主人公の女の子が学校でいじめられて走って逃げるシーンだ。走る主人公と並走し、手持ちのiPhoneで撮影している。iPhoneのスマートな手ぶれ補正機能により、鑑賞に耐える水準の映像になっている。
この撮影をしているのはマーク・ウェブ監督本人だ。ハリウッドで成功した大監督が、息を切らしながら走って撮影をしている。それが何とも楽しそうなのだ。きっと、マーク・ウェブ監督も少年の頃にはじめてビデオカメラを手に入れ、いろいろなものを撮ることに夢中になった日々を思い出していたことだろう。映画の原点とも言える撮影手法でモダンな映像を生み出すことができる。それがiPhoneの最大の功績だ。
iPhoneと踏み出す、映像クリエイターの第一歩
この作品とメイキング映像が素晴らしいのは、あることを私たちに教えてくれることだ。それはApple Storeに行ってiPhone Pro Maxを購入すれば、私たちだってマーク・ウェブ監督と同じ水準の作品を作れるということだ。
もちろん、現実ではそんなに簡単なことではない。では、マーク・ウェブ監督にあって、私たちに足りないものは何かと考えたとき、その人は映像クリエイターの道を歩み始める。ハリウッド監督と世界中の名もない一市民が、同じ条件で競い合える。これから、世界中のいたるところから見たこともない映像作品が生まれてくるだろう。iPhoneはそういう世界を実現しようとしている。
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著者プロフィール
牧野武文
フリーライター/ITジャーナリスト。ITビジネスやテクノロジーについて、消費者や生活者の視点からやさしく解説することに定評がある。IT関連書を中心に「玩具」「ゲーム」「文学」など、さまざまなジャンルの書籍を幅広く執筆。