「世界は広い、日本という小さな島国の常識だけを信じて生きていてはダメだ」
高校3年生で体験した、1年間の米国留学は、ぼくの人生に壮大なセルフイノベーションを起こした。
仕事、出世、カネ、世間の評価ではなく、「自分らしい自由なライフスタイル」を最重要テーマとして生きることがぼくの人生哲学。それは、前号で書いた小5のときの米国西海岸への家族旅行と、この留学で、ぼくの体と心にインストールされたのだ。
さて、英語圏でもあるニュージーランドで暮らすぼくが、なぜわざわざフィリピンのセブ島へ英語留学をしたのか。
何人もの知人から、この質問を受けた。そんな彼らの疑問の内訳は以下。
①英語を話せるぼくがなぜ英語の学校へ? ②もし英語学校に通うとしても、なぜ公用語が英語であるニュージーランド国内ではないのか?
まず、①への回答から入ってみたい。
勉強嫌いのぼくが、小学生から英語の勉強だけはしてきたということは、これまで書いてきたとおり。そして、高校での留学で一気に英会話が上達し、語学系の大学で英語学科を専攻して英語ドップリの大学生活を得たことで、かなりのレベルにまで到達することができた。
当時、TOEICで約900点、TOEFLで約650点を取得。新卒でレコード会社勤務となり、海外とのやりとりで英語を使う機会があったり、ニュージーランド移住のために再び英語を勉強したりと、社会人になっても英語は常に身近にあったといえる。
移住前の2008年には、ニュージーランド永住権に必要なイギリス英検IELTSで7.0ポイント(日本英検1級相当)を獲得し、2010年よりニュージーランドでの生活をスタートすることとなる(なお、永住権に必要なのは6.5ポイント以上)。
そして、ニュージーランドでの暮らしは、もうすぐ満7年。年の半分近くは世界中を旅しながら移動生活を送っているが、日本以外の国では基本、英語を使う日々を送っている。つまり、年の7〜8割は英語を使っているということになるのである。
そんなぼくがフィリピン英語留学に求めたのは、言うまでもなく英語力の向上だ。近い将来、増えることになるであろう、海外での英語の仕事に対応するために、「ビジネス英語」と、「より高度な英語表現」を身につけたいということが大きかった。
ニュージーランドをベースとするビジネスの話が増えてきて、現段階の「日常会話レベル」のぼくの英語力に不安を感じ始めていたことと、ぼくがこれまで日本語で発信してきたメッセージを英語圏に向けてやっていきたい、という夢のためでもある。後者はつまり、英語で記事や書籍を書いて、英語で講演を行う、ということだ。
フィリピンには今や、たくさんの英語学校があるが、ほとんどの学校が、まったくの英語初心者が、ある程度話せるようになるためのものばかり。ぼくが求めるレベルのカリキュラムを提供している学校は、一握りしかなかった。リサーチを繰り返し、ぼくが見つけた学校はセブ島の海沿いに建つ「ブルーオーシャン・アカデミー」だった。(次号へ続く)
※この記事は『Mac Fan 2016年12月号』に掲載されたものです。
著者プロフィール
四角大輔
作家/森の生活者/環境保護アンバサダー。ニュージーランド湖畔の森でサステナブルな自給自足ライフを営み、場所・時間・お金に縛られず、組織や制度に依存しない生き方を構築。レコード会社プロデューサー時代に、10回のミリオンヒットを記録。Greenpeace JapanとFairtrade Japanの日本人初アンバサダー、環境省アンバサダーを務める。会員制コミュニティ〈LifestyleDesign.Camp〉主宰。ポッドキャスト〈noiseless world〉ナビゲーター。『超ミニマル・ライフ』『超ミニマル主義』『人生やらなくていいリスト』『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』『バックパッキング登山大全』など著書多数。