企業向けERPソフトウェアの世界的なリーディングカンパニーとして知られるSAP。約11万人の従業員を擁する同社では、Appleデバイスの全社的な活用に取り組んできた。従業員が自分に合ったデバイスを選べる仕組みを整えることで、生産性向上と働き方の多様化にどうつなげているのか。SAPジャパン株式会社でデバイス管理と社内ITを担当する八木馨さんと佐藤歩さんに話を聞いた。
デバイス選択の自由が始まり、全体の約4割がMacを選択
ドイツ・ワルドルフに本社を構えるSAPは、1972年設立の欧州最大のソフトウェア企業だ。現在はERP(企業資源計画)を中心としたエンタープライズアプリと、クラウドサービスを世界中の企業に提供している。財務・調達・人事・サプライチェーン・カスタマーエクスペリエンスまでビジネス全体をカバーするアプリ群に加え、ビジネスデータとAIを組み合わせた「SAP Business Suite」や「SAP Business Data Cloud」、そしてSAPのAIコパイロット「Joule」などがその一例だ。
その日本法人であるSAPジャパン株式会社は1992年に設立され、国内企業向けにソフトウェアの販売やコンサルティングを行っている。
同社がAppleデバイスを業務に取り入れた歴史は古く、iPhone 3Gの時代にさかのぼる。当時、個人でiPhoneを所有していた社員が、社外から安全にメールを閲覧できる仕組みを整えたことから、自然発生的にAppleデバイスの利用が広がっていったという。やがて社内にMacユーザのコミュニティが生まれ、2011年頃からは情報システム部門による“ゆるやか”なサポートが始まった。
「転機となったのは、2016年です。当時CIOだったThomas Saueressigは、社員のコンシューマ体験を業務環境にも取り込むべきだと考え、『デバイス選択の自由』を掲げてMacを正式な標準機として採用しました」
こう話すのは、SAPジャパンでアジア太平洋地域のIT部門長を務める佐藤歩さん。これ以降、社内の購買システム「Ariba」にはMacとWindows PCの双方が並ぶようになり、従業員は自分の業務スタイルに合致するマシンを選べるようになった。現在はグローバル全体で数万台規模のMacが運用されており、全パソコンの約4割を占めるまでに拡大している。


Macをゼロタッチ展開し、ゼロデイサポートを掲げる
SAPでは、業務デバイスを各部門ごとの予算で購入する仕組みを採用している。デバイスは大きく「開発者向け」「通常ユーザ向け」のほか、持ち歩き重視の「トラベラー向け」の3タイプに分類され、ドイツの専門チームがMacとWindows PC両方のモデル選定とカタログ化を行う。なお現在、開発者向けの標準モデルとして採用されているMacは、M4チップ搭載の14インチMacBook Proだ。
社員がデバイスを選択すると承認フローを経て発注されるが、その後のセットアップは非常にスムース。Macについては「Jamf Pro」を中核にしたデバイス管理基盤を整備し、「箱を開けたらすぐに業務に使える」ゼロタッチ展開を実現している。社内IT部門でMacを含むデバイス管理を担当する八木馨さんは、こう話す。
「Macの専門チームは、OSやハードウェアのアップデートに対して“ゼロデイサポート”を掲げています。ベータ版の段階から検証を進め、目指すのは正式リリースと同時に社内で使える状態にすることです」
業務アプリの配付も、Jamfの「セルフサービス」機能を活用する。たとえばMicrosoft Officeなどの共通アプリや、「SAP Fiori」ベースで開発された業務アプリは、社内専用ストアから従業員がインストール可能だ。IT部門の手を煩わせることなく、必要な社員が必要なアプリだけを選んで導入できるため、ライセンス管理とサポート負荷の両面で効率化につながっているという。
MacとWindows PCで、できるだけ同等の従業員体験を提供することがSAPの全社的なITポリシーとなっており、ネットワークやプリンタ、セキュリティなどインフラ面でも“Macだから困る”という場面はほぼないという。
「OSに依存しない課題をきちんと潰していけば、デバイスを問わずクオリティの高い業務環境を提供できます」(八木さん)
デバイスに限らず、選択肢を狭めないことが最適な体験を作る
SAPのAppleデバイス活用を語るうえで欠かせないのが、社内に根づいた独自のコミュニティ文化だ。グローバルでは約1万4000人規模のMacユーザコミュニティが存在し、社員同士がオンラインで質問やナレッジを共有している。
「新機能の使い方から、“ここを改善してほしい”といった要望まで、コミュニティ経由でさまざまな声が集まります。IT部門だけでは拾いきれない細かな点も、ユーザ間の対話から見えてくるのです」(佐藤さん)
IT管理者向けにはMac Adminのコミュニティも用意されており、Jamfの運用ノウハウやオープンソースツールの活用事例が日々やりとりされている。こうしたコミュニティを軸に、Macは「管理対象デバイス」であると同時に、「ユーザとともに最適な環境を作り込むためのプラットフォーム」という位置づけを獲得している。
ソフトウェア面では、生成AIの活用にも注力。たとえば「Joule」は、財務・サプライチェーン・人事・営業などの業務データと連係し、レポート作成やシナリオ分析、意思決定支援を行うAIコパイロットだ。MicrosoftやOpenAIなどのAIパートナーとも連係し、SAP Business Data Cloudに集約された業務データを基盤に、信頼性の高い生成AIを実現するアーキテクチャとなっている。すでにSAPジャパン社内では、AIを使ったレポーティングや翻訳、資料要約などの定型業務を効率化する動きが始まっているという。
また、「Apple Intelligence」についても、SAPはプライバシー保護と法令遵守の観点から現在慎重に検証を進めている。その際には、ヨーロッパ基準の厳格なデータ保護規制やワーカーカウンシル(労働協議会)の要件を満たしつつ、オンデバイスAIとクラウドAIのベストバランスを探ることが課題となってくるという。
「弊社はApple社と戦略的パートナーシップを結んでいます。その関係もあり、デバイス選択だけでなくプライバシー保護や安全性に配慮されたAIの社内展開にも力を入れています」(佐藤さん)
MacとWIndows PC、クラウドとオンデバイス、そして自社開発の生成AIとパートナーのAIサービスなど、多様な選択肢を組み合わせながら従業員にとって最適な体験を提供しようとするSAPの姿勢は、Appleデバイス導入やビジネス活用を検討中の多くの企業にとって参考になる。デバイスの違いにとらわれず、「選べること」そのものを価値と捉える同社のアプローチは、AI時代の新しい働き方を考えるうえで1つの指標となりそうだ。

※この記事は『Mac Fan』2026年2月号に掲載されたものです。
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著者プロフィール
栗原亮(Arkhē)
合同会社アルケー代表。1975年東京都日野市生まれ、日本大学大学院文学研究科修士課程修了(哲学)。 出版社勤務を経て、2002年よりフリーランスの編集者兼ライターとして活動を開始。 主にApple社のMac、iPhone、iPadに関する記事を各メディアで執筆。 本誌『Mac Fan』でも「MacBook裏メニュー」「Macの媚薬」などを連載中。








