Apple Watchに、「高血圧パターン」を通知する機能が搭載された。しかしApple Watchは、血圧測定機のように腕を締め付けることはできない。では、どのようにして血圧を測定しているのだろうか。
Appleの研究チームは、心拍数のデータから出発し、実データ、シミュレーションデータを駆使して、血圧の推定データにたどり着く機械学習モデルを構築している。
なお、「高血圧パターン」の通知を受け取れるのは、Apple Watch Series 9以降とApple Watch Ultra 2以降のモデルだ。

Apple Watchは時計ではない。リマインダデバイスであり、ヘルスケアデバイス
Apple Watchの話になると、「時間はiPhoneで見ればいいから不要だ」という話が必ず出てくる。しかし、Apple Watchをお使いの皆さんは、時間を見るためにApple Watchを使っているわけではないだろう。むしろ、時間を見るときはiPhoneを取り出す、という人も多そうだ。
Apple Watchは、通知をリアルタイムで伝えてくれるリマインダデバイスであり、自分の体の状態を把握するためのヘルスデバイスになっている。ユーザであれば、会議中でもメッセージを読める、体の変調を早期に察知し医者に相談できた、など時計としての機能外で便利さを感じているはずだ。
Appleは、電話と称してiPhoneというスマートデバイスを普及させた。そして、腕時計と称してヘルスデバイスを普及させた。そして、このApple Watchのヘルスケア機能は、私たちの生き方を大きく変える可能性を持つ。
健康を守護するApple Watch。日常生活、睡眠、運動、スポーツ時のデータも記録
Apple Watchの働きは、健康の守護者のようなものだ。心拍数を把握し、不整脈や酸素飽和度低下を通知。また、睡眠の質を評価し、睡眠時無呼吸も知らせてくれる。
車の事故に巻き込まれた場合、衝撃を検知して緊急連絡先に自動発信する機能も便利だ。乗車中でなくとも、転倒した際の自動発信機能も備える。また、本体サイドボタンを長押しすることで緊急連絡先に発信し、位置情報を共有することも可能だ。そしてご存じのとおり、ワークアウトやアクティビティの記録もできる。
Apple Watchは、ユーザが自分の体を使いこなし、長持ちさせるためのデバイスなのだ。
そんなApple Watchの一部モデルが、高血圧の可能性を通知してくれるようになった。この通知をもって医師に相談すれば、高血圧が引き起こすさまざまな重篤な疾患の予防につながるだろう。
Apple Watchの血圧測定方法。論文で公開された、その詳細を紐解こう
ところで、Apple Watchはどうやって血圧を測っているのだろうか。一般に、血圧を測るときは腕を締め付けるバンドのようなもの(カフ)を使うが、Apple Watchにそのような機能はない。
Appleは、その秘密を論文として公開している。以降は、この論文の内容に沿って、Apple Watchがどのように血圧を把握しているのかを解説していこう。

血圧計は“そのとき”を。Apple Watchは“相対的な変化”をキャッチする
結論からいうと、Apple Watchは心拍数のデータを機械学習することで、血圧データを推定している。
血圧とは、心臓というポンプが血液を送り出し、血管にどのくらいの圧力をかけているを示す数値だ。血圧が高いと血管に負担がかかり、さまざまな疾患を引き起こすことになる。たとえば動脈硬化は、高すぎる血圧によって血管が傷つき、そこにコレステロールが付着することで、血管の弾力性が失われて発生する。
血圧を測定する際には、カフを使って腕を締め上げ、いったん血流を止める。それからカフを少しずつ緩めていき、心臓がカフの締め上げに勝ち、再び血液が流れ出したときのカフの圧力を測るのだ。
一方、Apple Watchのように24時間あるいは長時間にわたって装着し、常時監視するデバイスにとって必要なのは、正確な血圧測定よりも相対的な変化である。平常時に比べて急速に血圧が上昇する。あるいは平常時に比べて急速に心拍数が増加する。こういう突発的な変化を知らせることで、健康を守るわけだ。
たとえば、暖かいところから寒いところに行くと、血圧が急激に上昇するヒートショックが起こる可能性がある。この上がり方には個人差があり、なおかつ健康診断時の血圧測定では把握できない。こうした変化を察知して教えるのが、Apple Watchの役目である。
研究チームが注目した、心臓の血液排出量。その測定方法は…?
では、Apple Watchはどのように血圧の変化を測定しているのか。Apple Watchのバンドを血圧測定器のカフのようにして、締め付けて測定するのは上手い方法とはいえない。Apple Watchに求められるのは常時監視なのだから、手首を締め付けられては不快感を覚えるユーザが続出してしまう。
そこでAppleの研究チームは、心臓の血液排出量に注目した。心臓がどのくらいの血液を排出しているかを測定できれば、量が多いときに血圧が上がっていて、少ないときは血圧が下がっているとわかる。
しかし、問題はこの血液排出量をどうやって測定するかだ。研究チームは心拍数からスタートし、一歩一歩、チェスのキングを追い詰めていくように、血圧変化の測定という目標に迫っていった。
心拍数、酸素飽和度などのバイタルデータを、光学を用いて測定
Apple Watchは、心音や鼓動ではなく光学で心拍数を測定している。

Apple Watchから皮膚へ、緑色の光を放射。赤血球中のヘモグロビンは緑色の光を吸収する性質があるため、反射される緑色光が少ないと赤血球が多く、緑色光が多いと赤血球が少ないとわかるのだ。
なお、心臓が血液を送り出すと大量の血液が流れることで血管が膨張する。一方、心臓が収縮すると流れる血液量が減り、血管が収縮する。首や手首に指で触れると脈を感じるのは、この膨張と収縮を繰り返しているからだ。
つまり、Apple Watchは緑色光の反射率から血管の膨張と収縮の周期を計測し、心拍数の取得を可能としている。
同じ手法で、酸素飽和度も測定可能だ。酸素と結合したヘモグロビンと分離したヘモグロビンでは、吸収しやすい光の波長が異なる。そこで、緑色光とは別に波長の異なる光を放射し、反射率を測定。全ヘモグロビンのうち何%が酸素と結合しているかを割り出している。
心排出量から血圧を推定する機械学習モデルを構築。非侵襲的な測定方法の確立へ
では、このデータ(PPG=Photoplethysmography/光電容積脈波記録法)から、血圧を推定するのに必要な心排出量は計算できるのだろうか。
ヘモグロビンの量を測定したPPGのデータは、非常に複雑な波形を示す。だが、その立ち上がり、落ち込み方などは、心排出量と密接な関係にあることがわかっている。だとしたら、PPGと実際に測定された心排出量のデータがあれば、機械学習をすることでPPGから心排出量を推定できるはずだ。
ところが、心排出量は侵襲的な手法(針を刺すなど体に負担を与える方法)でしか測定できないことが問題となった。そこで注目したのが、ソウル大学病院の128人のICU患者だ。同患者たちは、治療のためにPPGだけでなく心排出量などについてもデータが取られている。研究チームは、このデータを使って機械学習を行い、PPGから心排出量を推定する機械学習モデルを構築した。
繰り返しになるが、心排出量がわかれば血圧が測定できる。こうして、Apple Watchで高血圧パターンをキャッチし、ユーザに通知することが可能となった。

右側のb)は、シミュレーションに基づき、心排出量から血圧を推定する。画像●Apple
時計の枠を超えた、健康をウォッチするデバイス・Apple Watch
Appleの研究チームは、PPG→(機械学習)→心排出量→(シミュレーションモデル)→血圧という流れで、血圧の変化を測定できるモデルを完成させた。
そして、このモデルがどの程度正確なのかを検証。結果、血圧の上昇を通知する目的であれば十分実用的であることが明らかになり、サービスとしてリリースするに至ったわけだ。
その仕組みからわかるとおり、Apple Watchの「高血圧パターン」通知は、血圧上昇を必ずしも検知できるわけではない。また、誤った通知をすることもあり得る。装着状態が悪ければ精度も下がるだろう。
しかし、それでも多くの人の健康に貢献できるというのがAppleの考えだ。100人すべてを救えなくても、80人を救えるのならやる価値がある。これは天気予報と同じだ。天気予報は確実に当たるわけではない。だが、雨の予報だったら携帯用の傘をバッグの中に入れておく。使わないこともあるかもしれないが、いざというときに助けられる。
Apple Watchの高血圧パターン通知もそういう機能なのだ。Apple Watchは、もはやWatch(時計)ではなく、ユーザの健康をWatchするデバイスになろうとしている。


著者プロフィール
牧野武文
フリーライター/ITジャーナリスト。ITビジネスやテクノロジーについて、消費者や生活者の視点からやさしく解説することに定評がある。IT関連書を中心に「玩具」「ゲーム」「文学」など、さまざまなジャンルの書籍を幅広く執筆。







