2019年に退職するまで、Appleのチーフデザイナーとして数々の革新的製品を生み出したジョナサン・アイブは、どのようなデザイン哲学に基づき創作していたのでしょうか。
Apple製品とその特許を見ながら、ジョナサン・アイブのデザイン哲学を探ってみたいと思います。
「形態は機能に従う」。ジョナサン・アイブのデザイン哲学と、Appleの“要求”が与えた影響
ジョナサン・アイブのデザイン哲学を辿る際、「形態は機能に従う」という考え方を忘れてはなりません。
「形態は機能に従う」は、19世紀末の米国建築家ルイス・サリヴァンが提唱したデザイン哲学です。建築や工業デザインの分野において、建築物や製品の外観・構造はまずその用途や機能に即して決定されるべきだという考え方で、装飾より実用を優先するモダニズムの基本原則の一つとして広く受け入れられています。
ジョナサン・アイブは、ノーサンブリア大学(ニューカッスル・ポリテクニック)で工業デザインを学びました。彼にとって“初期の学び”である大学で「形態は機能に従う」という考え方に出会い、それが以降のデザイン哲学の基礎となった可能性は高いでしょう。
しかし、それはあくまで基礎であり、ジョナサン・アイブは「機能」に対してAppleの求める「創造性」や「革新性」を加え、独自の解釈をしていたと思われます。
ジョブズが示したビジョンを形にするアイブ。その過程で必要だったのが“機能の拡張”
ジョナサン・アイブは、Appleに復帰したスティーブ・ジョブズとともに、Appleのデザインを根本から変革しました。
スティーブ・ジョブズが追求したのは、「唯一無二の顧客体験」を提供すること。製品の「創造性」や「革新性」だけでなく、ユーザが得られる感情的な満足感や自己実現の感覚まで含めたものでした。
そのため、ジョブズが戦略やビジョンを示し、アイブがそれを形や機能に落とし込むという役割分担で顧客価値を徹底的に追求しました。
それを実現するために必要だったのが、「機能」の解釈の拡張です。製品を見つけ、手に取り、使用を開始して終了するまでの各工程において、Appleが想定する顧客体験を届けられる機能とはどんなものか。それを考えてたどり着いた結論が、「シンプルさ」と「見えない機能」への配慮ではないかと考えられます。
「シンプルさ」とは。初代iMacとiPadの特許から見る、デザインが担う役割
ここでいう「シンプルさ」とは、各工程で想定する顧客体験を届けるため、外観にあるべき要素を加えつつ、装飾を排して洗練されたイメージを想起させることを指します。
たとえば初代iMacの半透明なボディは、美感だけを考慮して選択されたのではありません。コンピュータという複雑な機械を親しみやすいものに変え、心理的な障壁を低くする役割を果たしていました。こちらについて、Appleは以下のようにデザイン特許(日本の意匠権)を取得しています。

また、Apple製品が「革新性」を追求できるよう、その製品がどのようなものかを「ユーザが直感的に使えるように設計」する必要がありました。
たとえば2010年に登場したiPadは、従来のパソコンとスマートフォンの間のギャップを埋める「タブレット」という新たなカテゴリを一般化した製品です。
物理ボタンを最小限にし、大画面への直感的なタッチ操作を中心に設計。それにより、読書やイラスト制作といったクリエイティブ作業において、「デジタルな紙」という体験が得られると直感的に認識できます。

「見えない機能」とは。ユーザが自然と使い、体験するための設計
「見えない機能」とは、ユーザが直接的には認識せずとも、そのデバイスを自然に使うことができ、体験などに大きな影響を与えることを指します。
Apple製品を手に取ったときの重量感、素材の質感、操作時の触覚的なフィードバック。これらすべては、ユーザの感情的な体験を構成する要素として設計されているのです。
たとえば、2008年発表のMacBook AirおよびMacBook Proは、本体をひとつのパーツで構成する継ぎ目のない構造(ユニボディ構造)を採用しました。この構造はデザイン特許で保護されており、ユーザにMacBookの品質の高さと信頼性を感じさせる要素になっています。

またAppleは、アルミブロックを削り出し、ユニボディ構造のトップケースでポータブルコンピュータ筐体を構成する発明でも特許権を取得しています(米国特許8687359号)。これにより、上記形状のMacBook AirおよびMacBook Proの外装を美しく保ちながら、強度と軽さの両立を実現しているわけです。
さらに、2019年に発売されたM1搭載のMacBookシリーズまでは、手前側が薄くなるくさび形の筐体を採用していました。単に見た目が美しいだけでなく、ノートパソコンの厚さを要する部分(後部ヒンジなど)を厚くし、手前側を薄くすることで、厚さと重量を減らすという機能的な目的を達成しています。

ジョナサン・アイブは、スティーブ・ジョブズが考える「顧客体験」を実現するためには「シンプルさ」と「見えない機能」が重要であり、そのどちらもがApple製品の真の価値になると考えていたのではないでしょうか。
Appleが製品デザインの「形状保護」を重視する理由
これまで見てきたように、Apple製品の「顧客体験」は、単に技術的な機能性だけでなく、デザインが生み出す感情的な満足感に大きく依存しています。 このため、Appleは製品のデザイン保護を非常に重視し、そのデザインに関する権利を積極的に取得しているのです。
この権利取得により、Appleは二つの重要なリスクを防いでいます。
一つは、機能から形状が直接導き出せないパソコンのような製品について、その独自の形状が安易に模倣されるリスク。もう一つは、形状だけが似ていて機能が劣る製品が市場に出回り、消費者がそれをApple製品と誤解することで、自社の信用が損なわれるリスクです。
こうしたリスクを防ぐため、機能から形状が直ちに導き出せない製品であっても、その形状を保護しています。
このようにAppleは、知的財産を取得することで競合他社による模倣を防ぎ、独自の顧客体験価値を保護してきました。そして、それによって継続的なイノベーションに対する投資回収を確保し、市場における差別化された地位を維持しているのです。
Appleの知財戦略が守る、ジョブズとアイブが作り上げた総合的な「顧客体験」
Appleの知的財産戦略は、単なる技術や機能の保護を超えています。それは、スティーブ・ジョブズとジョナサン・アイブが追求した「シンプルさ」と「見えない機能」によって構築される、総合的な「顧客体験」を保護するものだといえるでしょう。
このことは、製品が提供する価値が「モノからコト」へと拡張する時代において、知的財産戦略もまた、個別の要素から統合的な体験価値の保護へとシフトしていく必要があることを示唆しています。
Appleの事例から、デザイン、技術、そして顧客体験を一体的に捉えた包括的な知的財産戦略こそが、持続可能な競争優位性を生み出す鍵だと学ぶことができるのです。
おすすめの記事
著者プロフィール

緒方昭典
複数の弁理士事務所に勤務したのち、スタートアップに対して、特許や商標などの権利取得だけでなく知財活用を支援するため、くじら綜合知財事務所を設立。 現在は、広くベンチャー企業の知財活用の支援に注力。情報経営イノベーション専門職大学客員教授。