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HyperCardのめくるめく世界/WildCard・HyperCard

著者: 大谷和利

HyperCardのめくるめく世界/WildCard・HyperCard

Webの原型のようなスタック

初代Macが誕生した1984年から1980年代の後半にかけては、まだインターネットが存在せず、アプリケーションはパッケージ販売のみだったため、最新ソフトが日本に届くまでにはやや時間がかかっていた。Macユーザたちは、当時まだ電気街そのものだった東京・秋葉原に出向いて目ぼしい店に足繁く通い、新製品があれば財布と相談して購入するのが常だった。

中でも、雑居ビルの一室にあったオークビレッジという店は、アップル関係の輸入ソフトをいち早く入手することのできる場所として知られ、僕も頻繁に利用した。その際に、よく応対していただいたショップスタッフが、後にMacやWeb関連の著書を多く著すようになるライター/プログラマーの掌田津耶乃さんであった。

ある日、その掌田さんがWildCardというβ版のアプリケーションを見せてくれた。WildCardは、Macのグラフィックルーチン群であるQuickDrawや傑作ペイントツールのMacPaintを手がけたビル・アトキンソンによって開発されたオーサリングツールだった。カード上にテキストやグラフィックを配して、簡単な操作でボタンを作り、そのボタンにほかのカードへのリンク情報や効果音の再生、ビジュアルイフェクトなどの機能をHyperTalkというスクリプト言語を使って埋め込むことができた。そうして作られた複数のカードのまとまりをスタックと呼び、それ自体をコンテンツとして流通させることが想定され、インターネットの普及はそれから10年も後のことだが、Webページの原型的なものともいえた。

ともあれ、そのときのWildCardは未完成ながら、誰もがコンテンツクリエイターとなれる可能性に僕はワクワクし、正式にリリースされるときを楽しみに待ったのである。

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OSへの発展性も秘めていたHyperCard

WildCardは、1987年秋にHyperCardと名を変えて登場した。そして、すべてのMacに標準添付された。この大胆な方針は、後にビル・アトキンソン本人をインタビューした際に明らかとなったことだが、彼自身が当時のCEO、ジョン・スカリーに強く進言して実現させたものだった。

QuickDrawとMacPaintを世に送り出したあとで、彼は、人々に何かを作り出す力を与えられるシステムの開発を次なる目標に据え、当初はハイパーメディアを核とする新たなOSを視野に入れてプロジェクトに取り組んだ。しかし、当時の技術では実現が難しく、WildCard/HyperCardは、そのサブセット的な存在として開発されたのだ。

  それは、誰もがプログラミングに親しめるように企画された点で、現在のSwift Play groundsに通じるところもあった。

やがて、アトキンソンの手を離れたHyperCardは、1990年代半ばにはまさにWebページのオーサリングも可能なVer.3.0まで企画されたが、結局、陽の目を見ずに開発は終息した。それは、一般消費者にとってのコンピュータ機器の役割がコンテンツの創造から消費へとシフトしていく前夜のことだった。今、プログラミング教育の重要さが叫ばれ、Swift Playgroundsが注目される様子を見ると、改めて感慨深いものを感じるのである。

※この記事は『Mac Fan』2017年7月号に掲載されたものです。

著者プロフィール

大谷和利

大谷和利

1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、原宿AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。

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