※この記事は、『Mac Fan2016年3月号』に掲載されたものです
イノベーションは「技術革新」と訳されることが多い。しかし、インターネットが出現する前と後の時代では、あらゆることに対する考え方を改めなければならなくなっている。
果たしてイノベーションとは本当に技術革新のことなのだろうか。これが今回の疑問だ。
「イノベーション」は、100年以上も前に生まれた言葉
AI(After Internet)時代になってよく耳にする言葉が「イノベーション」だ。日本語では「技術革新」と訳されるが、この訳語は誤解を招きやすいというのはよく指摘されるところだ。そこで最近では「新機軸」と訳されることも多くなっている。
実は、この「イノベーション」という言葉が生まれたのは古く、100年以上も前の経済学者シュンペーターが定義した。日本では1958年の経済白書でこの言葉が使われ、このときに「技術革新」と訳された。シュンペーターの定義では、技術だけでなくまったく新しい製品、生産方法、販路、原材料調達、組織のすべてあるいは組み合わせがイノベーションであって、このイノベーションが連続して起こるときに経済は発展するという主旨だった。
つまり、技術だけに限らず、企業活動すべての革新を求めていたのだ。経済成長前の1958年の日本にとっては技術力の向上こそが最大の優先課題であったため、当時の官僚は「技術革新」と訳したのだろう。だから、イノベーション=技術革新が通用したのは、あくまでもBI(Before Internet)時代のことだ。
4Kテレビはイノベーティブか?
たとえば、現在多くの家庭がHDテレビを使っている。ここに4Kテレビを開発することはイノベーティブだろうか。答えはおそらく〝ノー〟だ。なぜなら、消費者は4Kテレビを量販店で購入してリビングに置き、地上波や衛星放送を見ることになるが、現在のHDテレビと画質以外の大きな違いはないからだ。
しかし、4Kテレビの開発には技術的課題が山積みで、“技術革新”を必要とするタフな研究開発が必要になる。それでも市場や消費者に、“新機軸”な影響を与えないという点で、イノベーティブな製品ではないのだ。
一方で、インターネットテレビはどうだろうか。こちらは技術的な革新はさほど必要ない。Appleはやる気になれば明日にでも発表できる。既存のHDテレビにApple TVを内蔵すればいいだけだからだ。しかし、市場に与える影響は大きい。放送ではなく配信になるので「オンデマンドで自分の好きな時間に番組を見る」が当たり前になる。
番組ソースはネット経由になるので重厚な放送設備を持つテレビ局は不要となり、傘下のプロダクションは制作した番組をさまざまな配信業者に販売することになる。広告も番組を中断して数十秒の映像を流すというスタイルではなく、タイアップ番組や番組内で登場する商品が購入できる仕組みが内蔵されていくだろう。消費者の使い方、番組制作の仕組み、配信業者の仕組み、広告の仕組みといったテレビ番組にまつわるビジネスすべてが様変わりする可能性がある。これが本来のイノベーションだ。
「Appleはイノベーティブではなくなった」という意見への疑問
AppleはこれまでiMac、iPod、iPhone、iPadといったイノベーティブな製品を次々と世に送り出してきた。しかし、ここ数年は各製品に大きな進化が見られず、「Appleはイノベーティブではなくなった」という人もいる。しかし、本当にそうなのだろうか。
シュンペーターは、イノベーションを5つの観点に分類している。
①消費者がまだ知らない商品。新しい品質の商品。
②新しい生産方法
③新しい販売経路
④原材料の新しい供給源
⑤新しい組織
※シュンペーターは、企業が5分類の内の1つ、または複数を連続して行い続けることで経済は成長していけるという理論を構築した。⑤の「組織」は独占企業やトラスト(企業合同)など当時の業界構造を指すのが本来の意味とされる。シュンペーターは、経済成長は外的要因(石油の発見、人口増加など)よりも、内的要因(企業、業界のイノベーション)により起こると主張した。
Appleをこの5つの観点から見てみると、どうなっているだろうか。①については議論の余地はないだろう。②については、従来の発注元・下請けの関係をまったく変えてしまった。Appleは部品メーカーに製造を委託しているが、Apple自身が最先端の精密工作機械を一括大量購入し、委託先にリースをして製造させる形態を採っている。
これはわかりやすくいえば「気に入らないことがあれば、いつでも工作機械を引き上げて委託契約を解除する」という意思表示だ。部品メーカーとの間にきわめてシビアな緊張関係が生まれ、メーカーは最高の技術を投入して、最高の仕事をしなければならなくなる。これがiPhoneの品質を担保している。
③と④については、Apple StoreというAppleと消費者がダイレクトにつながれる直販チャンネルを構築した。消費者に対して、あたかもブティックの直営店で購入するような心地のいい購買体験を提供するだけでなく、より重要なのは消費者の生の声を収集できるようになったことだ。多くのメーカーにとっては、消費者は実は直接のお客ではなく販売店が直接の顧客になっている。そこから上がってくる情報は「売れ行き」というバイアスがかかったものになり、消費者の生の声ではなくなってしまう。
典型的な例は白物家電だ。性能と価格がほぼ等しい製品があったとき、多くの消費者は「余分な機能が付いている」製品を選ぶ。使うかどうかはともかく、そちらのほうが得をすると考えるからだ。販売店は「消費者がよく選ぶ商品=いい製品」とメーカーに伝えるので、結果白物家電は消費者の要望を無視した余計な機能だらけの使いづらい製品になっていく。製造元と消費者が直接つながるというのは、AI時代の今、メーカーにとってきわめて重大なポイントになっている。
⑤についても、Appleはイノベーティブだ。日本でも経営者や財務担当者が異業種の企業に移籍することは増えてきた。しかし、これは経営、経理といった基本スキルが異業種でも通用するからで、開発や営業、製造といった実務者がまったくの異業種に移籍するという例は多くはない。しかし、Appleは、実務者を異業種から引っ張ってくることを躊躇しない。
Apple Storeというイノベーション
2001年にApple Storeを展開するとき、ジョブズはターゲット(ドラッグストアチェーン)で「小売の鬼才」と呼ばれたロン・ジョンソンを引き抜き、Apple Storeを成功させた。ジョブズが亡くなるとジョンソンも退社し、新CEOのティム・クックは、PC販売チェーンPC Worldのジョン・ブロウェットを引き抜いた。ブロウェットは徹底した利益重視戦略で、単位面積あたりの売上を一般路面店の17倍にするまでApple Storeを成長させた。
しかし、その代償としてサービスの質が低下し、Apple Storeの魅力であった美しいデザインが劣化し始めて消費者の購買体験が損なわれる事態が進行し始めた。
そこでクックCEOが打った手は、英国の名門アパレルのバーバリーのCEOだったアンジェラ・アーレンツをリテール担当上級副社長にし、スターデザイナーであるジョナサン・アイブを積極的にApple Storeのデザインに関わらせることだった。
これは、日本でいえば、ユニクロの副社長がソニーの事業部長になるような話(米国の副社長は実質的な事業責任者)で、その移籍だけでも世間の耳目を大いに集めるだろう。その効果は、すでにApple Storeに現れ始めている。
私たちは、ついつい企業に対して製品と技術だけで評価してしまいがちだが、イノベーションは製品だけのことでなく、企業活動すべてに対する言葉なのだ。絶え間なくイノベーションを起こしている企業からは、結果的にイノベーティブな製品が生まれてくるのだ。
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著者プロフィール
牧野武文
フリーライター/ITジャーナリスト。ITビジネスやテクノロジーについて、消費者や生活者の視点からやさしく解説することに定評がある。IT関連書を中心に「玩具」「ゲーム」「文学」など、さまざまなジャンルの書籍を幅広く執筆。