“Think different”は、ディスラプション、すなわち既存の前提を覆し、新たな価値を創出する「破壊的イノベーション」へとつながる、スティーブが好んで口にした「宇宙にへこみを残す」マインドセットである。それは、Appleの事業再生と覚醒を促した。
そしてそれは、30年後の現代に生きる私たちにも、革新的な未来へ前進する道筋を照らす「黙示録」でもある。
河南氏がAppleに入社する経緯は別記事で。以下の画像をクリック/タップでもアクセス可能。

スティーブ、スカリー、そしてスピンドラー、アメリオへ。迷走の果てに漂うAppleの“終末”
「残りの人生で、このまま砂糖水を売り続けるのか。それとも一緒に世界を変えないか。」
スティーブは、スカリーに究極の選択を突きつけ、Appleへの移籍を迫った。スカリーの自伝『ODYSSEY: Pepsi to Apple』に記されたこの言葉は、私のApple入社を大きく後押しするインスピレーションでもある。
しかし、Appleの経営がスピンドラー、アメリオへと引き継がれると、重苦しい迷走の空気が漂い、Appleがかつて放っていた色彩とビジョンが色褪せていくように感じた。Mac互換機とライセンス事業は機能せず、方向性を失った事業部や部門間での不信感が募り、社内は士気や規律が失われた。
リークされた機密情報がMacWeek誌に掲載され、社員も、記事で発表前の新製品の仕様をイラスト付きで知る有様だ。あろうことか、開発部の一部社員がスクープ記事で市場の注目を集めれば予算を確保できると画策していた。ところが、リーク情報は既存製品の買い控えを招き、チャネル在庫を積み上げ、さらには叩き売りのための値引きの補填と不良在庫廃棄に資金を費やす始末。「死のスパイラル」を助長するだけであった。
身売りの憶測記事も報道を賑わすようになり、リストラ宣告された仲間たちの別れの挨拶が届く日々。Appleは世界の終末を思わせる空気に包まれていた。
また、Mac OSの脆弱性はAppleが抱えるもう一つの大きな課題であった。マルチスレッド、マルチタスク、メモリ保護などを備えたモダンOSの開発が急務で、OSのカーネル(核)の刷新のために移植する技術の提供元に、Solaris、NT、Beを退けたNeXTが決まった。
スティーブの帰還。Macworld San Franciscoでの熱狂と、不安と、猜疑心
NeXTのOS(NeXTSTEP)の採用が決まり、1996年末、NeXT創設者のスティーブ・ジョブズがAppleのアドバイザーに就任した。
1997年1月のMacworld San Franciscoで、ギル・アメリオに促されてスティーブが壇上に上がると、会場から歓声と割れんばかりの拍手が起きた。ステージでNeXTSTEPの先進性とAppleのOSの将来を力強く説くスティーブを、ユーザ、開発者、社員は熱狂的に迎えた。
一方で、既成概念を破壊することから始まった「変革」に、危惧を抱く向きがあったのも事実だ。NeXTは技術的には革新的だったが、事業的には不振であり、それをAppleに売却してスティーブはいなくなるのでは、と不安と猜疑心で勘繰るステークホルダーもいた。
私は、Appleの主導権を握ったスティーブの才覚にApple再生の希望を託したかったが、復帰直前に大量の保有株を売却したとの噂もあり、正直なところ、書物に描かれた彼のパーソナリティや、かつての経営陣との確執の印象から、経営者としての資質については不安を抱いていた。
「100の優れたアイデアに『ノー』と言うことだ」。“革新の切り札”にも続々とメス
会社の資源をコアに集中させるとして、私が担当していた製品群も、OSや一部テクノロジーを除き、ほぼすべて事業部組織ごと整理された。そこには、革新の切り札とされたNewtonとOpenDocも含まれていた。私はOpenDocも担当しており、その革新性を訴求するプレゼンで全国を駆け巡っていたときであった。
スティーブは1997年5月のWWDCの質疑応答で、OpenDocの方針について説明している。フォーカスするということは、「100の優れたアイデアに『ノー』と言うことだ」と語り、技術的に優れていても戦略に合致しないものを切り捨てる決断の一環であった。そのほかにも、製品ラインナップを350品目から10品目に削るなど、徹底した選択と集中を断行している。
スティーブの施策でもっとも衝撃的だったのは、同年8月のMacworld Bostonで発表した、マイクロソフトとの提携だ。提携の中身には、議決権のないApple株に1億5000万ドルの投資があった。私も会場にいたが、ビル・ゲイツがステージの大きなスクリーンに映し出されるとブーイングと拍手が入り混じり、まさに私たちの複雑な胸中を物語っていた。
Internet ExplorerがMacに標準搭載されるという発表には、ブーイングがことさら大きくなった。私にも拒否感に近い感情が湧き上がったが、提携は総じて「Appleの起死回生に必要な策である」と自分の理性に言い聞かせたことを覚えている。
電撃発表の最後を、スティーブは“Think different”で締めくくった。スクリーンにはAppleロゴとThink differentというコピーが映し出され、新しい方向を目指すために、Appleが世界を変えるマインドの原点に立ち返る重要性を語った。詳細には踏み込まず、ほとんど聴衆の印象には残らなかっただろう。しかし、それは「宇宙にへこみを残す」パラダイム転換のプロローグであった。

動き始めた“Think different”キャンペーン。最初の抵抗勢力はApple社内のマーケたち
Macworldと並行して、我々Appleの各国のマーケティング責任者が集められた。行われたのは、“Think different”ブランドキャンペーンのブリーフィングだ。スティーブは会場におらず、広告代理店のTBWA\Chiat\Day(シャイアット・デイ)からコンセプトと展開の説明があった。
広告で使う「クレイジーな人たち」のビジュアルとコピーは、固定概念を根底から覆し、さまざまな抵抗に遭い、つぶそうとする力を覆して世界を変えるマインドと行動を象徴したものだ。今やブランド広告の伝説となった“Think different”のコンセプトだが、各国から来たマーケティング担当者たちは、怪訝な面持ちでいた。
ひととおりの説明が終わると質疑応答の時間となり、真っ先に私の横に座っていたAppleヨーロッパのイギリス人が手を挙げてコメントをした。
「この広告は問題がある。タグラインの“Think different”は、文法的に間違っている。動詞のあとは副詞が来るから”differently”が正しい」
続いて、「この広告に登場する偉人たち(ジーニアス)は、多くは他界しているか、Appleユーザではない。メッセージに共感は生まれないのでは?」とコメントをしたのは、あろうことか、この私だった。
そして担当者が自国に戻って“Think different”の説明をすると、製品や価格訴求が一切ない広告を見た営業責任者からは「少しも売上増の役に立たない。こんな広告に金を使ってどうするんだ」と責められた。
新しいものには、必ず抵抗が生まれる。今や最高傑作と評される“Think different”だが、従来の枠組みから切り替えができないAppleの担当者たちが最初の抵抗勢力だった。
マーケの集約。“Think different”という、世の中のパラダイムを転換する宣言
スティーブは、それまでは各国が独自に企画、展開していたマーケティングをクパチーノ本社に集約した。マーコム(マーケティング・コミュニケーション:広報・広告・イベント・ブランディング・WEBサイト・販促ツール等)を、スティーブ直轄のWWマーコム・グループとして一元化し、私は物理的には東京にいたが、日本も組織的にはスティーブのチームに編入された。
世界で一貫性のあるブランドとコミュニケーションを展開するため、広告・広報に携わる社員と代理店はスティーブが承認したメンバーで構成。日本の代理店もTBWAジャパンに切り替わり、クリエイティブやロゴのついた制作物はすべてクパチーノ主導で制作、スティーブが承認することとなった。
広告掲載メディアの選定基準や効果の評価等も、従来の手法やプロセスは180度変更。PowerBook G3の広告など、クパチーノから送られてくるものをローカライズ(日本語化)するプロセスが始動した(のちに日本から提案も受け入れられるようになるのだが)。
基準に添わない制作物、承認なしのデザインで作ったパンフレットなども、クパチーノのスタッフに徹底的に糾弾された。そうしなければ自分たちがスティーブに責められるのだ。スティーブのこだわりと美意識には一切妥協がなかった。スティーブから直接メールが(Pixarのメールアドレスで)飛んでくることもあった。我々日本のマーコムチームも、厳重に監視し、おかしなものはすぐに回収して廃棄するので、いつしか「ゲシュタポ」と呼ばれるようになっていた。
“Think different”ブランドキャンペーンが、アメリカでは1997年9月半ばに開始され、まずはOOH(屋外広告)を展開。ビジュアルには世界を変えた偉人が「ジーニアス」としてフィーチャされていた。
“Think different”は日本向けローカライズも始まったが、単なるAppleのブランド広告ではなく、世の中のパラダイムを転換する宣言であった。


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著者プロフィール
河南順一
Apple、マクドナルドでマーケティングとコミュニケーションを担当。厳しい経営環境下、Appleでは“Think different”のブランド戦略に参画し、マクドナルドではCEOコミュニケーションの刷新を主導。同志社大学大学院ビジネス研究科教授を経て、株式会社マーコムシナジー源代表取締役。著書『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』(KADOKAWA)。








