アマゾンは昨年、高級スーパーマーケットのチェーン「ホールフーズ・マーケット」を買収しました。買収手続き完了後間もなく、プライム会員向けの生鮮食品配送サービス「アマゾン・フレッシュ(AmazonFresh)」の米国売上高は、前年比35%増加。いち利用者としても、ホールフーズのアプリにアマゾンアカウントを連携すると店内で特別割引を利用できるなど(プライム会員限定)、着々とオンラインとオフラインの体験が融合されていると感じます。
最近はファッション通販にも力を入れるなど、もはや脅威にならない業界は皆無に等しいアマゾン。アマゾン参入の可能性が囁かれていた業界のひとつに調剤薬局業界がありますが、最近それが現実のものになりました。今年7月、巨人は新たにオンライン調剤薬局の「ピルパック(PillPack)」の買収を発表したからです。噂によると、その買収額は10億ドル。買収が発表された当日、「CVS」や「ウォルグリーンズ(Walgreens)」などのドラッグストアチェーンの株価は、各社とも8~10%下がったそうです。
2014年2月にサービスを開始したピルパックは“簡易化された調剤薬局”というキャッチコピーが物語るように、服用する薬をまとめて処方してくれる便利な定期便です。ピルパック社内の調剤師が必要な薬を処方してくれて、必要に応じて医師とのやりとりも代行。薬がなくなるたびに、調剤薬局の長い列に並ぶ手間を省いてくれます。
ビタミン剤を含む薬をいくつも服用している場合、それを朝昼晩など飲むタイミングごとに袋分けにしてくれるので、飲み忘れ防止の効果も。右のイメージにあるように、小分けされた袋をロールからちぎって飲むだけ。さらに、オンライン管理画面を使えば、薬の発送状況や請求額などを確認することも。旅行前に普段より発送を早めるなど、細かなニーズにも対応してくれます。調剤師に24時間相談できるのもうれしい利点でした。
ピルパックのCEO/共同創業者には、2015年に一度取材しました。そのとき知ったのが、彼自身また父親も調剤師であること。いくつもの薬を服用する患者が、ピルケースなどを駆使して薬の管理に苦労する姿を見続けてきました。家族と同居していればいいものの、物忘れが激しい高齢の患者などにもこの作業は委ねられています。そんな状況を解決するべく、新しい調剤薬局の形として開発したのがピルパックでした。
アマゾンにとって、ピルパック買収によるメリットは複数あるようです。たとえば、米国では、厳しい医薬品の販売許可を“州ごと”に取得する必要があります。ピルパックは、米国49州でオンライン販売の許可を取得しているため、アマゾンはそれを独自にやらずに済みます。
さらに大きな利点が、新たなユーザ層の獲得です。たしか、これは日本のユーザも似たようなものだと記憶していますが、アマゾンのプライム会員のユーザ層は18~34歳。一方、高齢な人ほど薬の服用が多いため(米国の65歳以上の成人が受ける処方箋の数は年間37件)、ピルパックの顧客を獲得することはアマゾンにとって新たな世代へのリーチを意味するのです。
日本の高齢化は刻一刻と進んでいますが、程度の差はあっても状況は米国も変わりません。2035年までに、家主が65歳以上の世帯が全体の3分の1にのぼる見込み。米国の55歳以上の人口は8000万人に及びます。こうした高齢化によって拡大が見込める調剤薬局市場。テクノロジーを駆使するピルパックと、ホールフーズというリアル店舗を併せ持つアマゾンが、今後の医療業界を着実に揺るがしていきそうです。
Yukari Mitsuhashi
米国LA在住のライター。ITベンチャーを経て2010年に独立し、国内外のIT企業を取材する。ニューズウィーク日本版やIT系メディアなどで執筆。映画「ソーシャル・ネットワーク」の字幕監修にも携わる。【URL】http://www.techdoll.jp