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嘘を本当にするために

著者: 藤井太洋

嘘を本当にするために

イラスト/灯夢(デジタルノイズ)

工場主のサイトウが電卓を叩くと、電子ボイスが「〇・五レアル」と読み上げた。日本円だと十六円。提案額の倍だ。

「高すぎる」と答えると、サイトウは首に両手をかけて舌をべろんと出した。

「ジャンボさん、これ以上安いと、わたしが首吊ることになるよ」

おれはビールケースに厚ベニヤを載せた簡単なテーブルから、複雑なパターンが型抜きされた薄い銅板をつまみ上げた。携帯電話の電波感度をあげるという名目のアンテナシールだ。もちろんそんな効果はない。飾りだ。

おれがこのアンテナシールを知ったのは、ここブラジルのジュンディアイにあるiPhone組み立て工場前で、「iWork」と書かれたプラカードを手に「働きたいの!」とシュプレヒコールをあげる女性工員たちの映像だった。同名のApple製品を知らない彼女たちはSNSで笑われていたが、おれが目をつけたのは彼女たちの手にしていたiPhone 5cだった。

いや、背面に貼りつけられたシールだ。内部構造を反映したかのような網目模様は、廉価版のiPhoneを高級時計のシースルーのように見せていた。

「かっこいいシールじゃないか。たくさん売ってやるよ。だから一枚あたり〇・二五レアルだ」

さあて、と言いながら宙を睨もうとしたサイトウが通りに声をあげた。

「ラウラ! もう終わったのか」

振り返るとストライキのプラカードを肩に担いだ女性が黒いスーツ姿の男性を従えて歩いてくるところだった。ラウラと呼ばれた女性は肩をすくめた。

「社長のメッセージを聞いて今日は解散。工場のアメリカ移転はないって」

「信用できるもんかね。大統領が海外工場を閉めさせるって息巻いてるじゃないか。そっちはお客さんかい?」

「カリフォルニアから来ました。工場の件ですが、彼がそう言ったなら閉鎖はありません」

黒服の男は名刺を出してジョン・スミスと名乗り、その響きに自分で笑った。偽名なのだ。

「ジャンボさんの噂は伺っていますよ」

「ロクな話じゃないだろう。あなたもシールが目当てかい?」

頷いたスミスはラウラに言った。

「ラウラさんの5cに、アンテナシールは貼ってありますか?」

「ええ」ラウラが怪訝な顔でライムイエローのiPhoneを取り出すと、スミスは素早く取りあげてSIMを抜いた。

「何するのよ!」

スミスは取り返そうと伸ばしたラウラにSIMを押しつけた。

「あとで7を差し上げます」

スミスはiPhoneの画面を数度タップしてから、工場前の道路に放り投げた。ライムグリーンのケースが一回転してコンクリートに角から当たり、ガラスにヒビを入れてから地面に転がる。

「ちょっとお。吸い出してない写真があるのよ─」と道路へ向かったラウラの手首を、おれは?んだ。

「待て、近寄るな」

基盤とケースが焼ける刺激臭が立ちのぼる。おれはラウラを引き寄せて道路に背中を向けた。瞬間、バン、という音と共に飛び散ったポリカーボネートの破片が背中にあたる。

燃えるiPhoneを確かめようと振り返ったおれの肩をスミスが叩いた。

「ジャンボさん、調査を助けていただけませんか?」

ひいっ、と遅れた悲鳴が背後で上がった。腰を抜かしたサイトウの声だった。

工場の中でスミスの説明が続いていた。

「─このアプリがハードウェアを直接叩いて無線チップを操作すると、アンテナシールが共振して、ケースを特殊な磁界で包むんです。それがデリケートなリチウムイオンバッテリーの絶縁設計を無効にしてしまう。他社製品で頻発している発火事故と同じ状態にするわけです」

スミスは痛ましそうに首を振った。

「ロスで、国境を越えてきたメキシコ人のiPhone 5cが燃えました」

「アプリとシールの合わせ技だな。なら、誰がこのシールと違法なアプリを配ってるのかわかればいい。つまり、サイトウさんの納品先だ」

サイトウは渋々口を開いた。

「太陽光充電のキオスクを設置して回ってる、アメリカのNPOだ。アンテナはキオスクにぶら下げてる」

「親切な人たちよ」ラウラも口を添えた。「iWorkのコピーも彼のスタッフが考えてくれたの」

呻いたスミスが顔を覆う。Apple製品を知らないかのようなコピーは、ストライキの参加者──外国で米国製品を作る人々を貶(おとし)めるためだったのだ。

全てが繋がった。おれは確かめた。

「NPOのスタッフ、白人だな?」

ラウラの頷きを待たずにおれは言った。

「アプリをインストールしてるキオスクの調査はおれがやってやるよ。だが、いいのか? 政治が絡むぞ」

「政治?」いいながら手をのけたスミスの顔には、かきむしろうとした指の跡がついていた。

「関係あるか。ラウラさん、そのNPOのオフィスを教えてくれ」

四日後、スミスに先導された警察官たちがジュンディアイの中心地にあるNPOのオフィスに踏み込んだ。

「動くな! ディックマン法に定めるサイバーセキュリティ破りの容疑で全員逮捕する」

拘束されていく四名のスタッフと代表の男に、スミスは近づいて名刺の欠けたリンゴのロゴを示した。

「君たちが配っていたキオスクの中身は、こちらの専門家の手で全て精査してもらった」

おれの顔を見た代表は唾を吐いた。

「選挙で負けた奴らが中国人の手を借りて英語もできない連中の肩を持つのか。グローバル万歳だな」

「おれは日本人だし、いまどき誰だって英語ぐらい話すと思うがね。あんたらアメリカ人と働くために」

オフィスから引きずり出されながら、代表は「頼んでねえ」と叫んだ。

おれは乱雑なオフィスを見渡し、代表の座っていたテーブルにある写真立てに目を止めた。たった今逮捕されたNPOの代表が、遊説にやってきた米大統領と柵越しの握手をしている写真だった。

「ただの支持者か」と呟いたおれに、スミスは首を振った。

「違う。嘘の被害者だ」

「そうとも言えるか…」

あの男は米大統領のリップサービスに振り回されて、ブラジル工場製のiPhoneが、中国、韓国製のスマートフォンと同じように発火するような品質だと広めようとした。

大統領がついた、米企業の国外工場閉鎖という?を本当にするために。

おれはオフィスの片隅にあった段ボール箱からアンテナシールを一枚とりあげた。

「これ、売っていいかな」

スミスが顔を上げた。眉間には深い皺が寄っていた。

「もちろんこのままじゃない。発火干渉しないようにデザインは変える。ブラジルで型抜きしたシールをメキシコで洗浄して、キューバで梱包、そしてアメリカで売るのさ。経由国を全部パッケージに書いてやるよ」

スミスの顔が緩んだ。

世界は繋がっている。切り離すことなんてできはしない。