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Apple Watchによる「患者ケア」

Apple Watchによる「患者ケア」

慶應義塾大学医学部循環器内科・木村雄弘氏のチームは、不整脈や心筋梗塞などの治療を行っている。彼らが始めたのが、通院患者にアップルウォッチとiPhone、電子血圧計を貸与し、自宅で測定した血圧値などを、病院側のiPadプロでモニタリングするという患者ケアの臨床研究だ。現在は約20名の患者が参加しているが、今後100名規模にする予定だという。

「私たち医師が患者さんを診察する時間はそう長くはとれません。1日の大半の時間を患者さんがどう過ごされているのかは、問診で尋ねるしかなく、病院外での様子を正確に把握するのは困難です」

慶應義塾大学医学部循環器内科

木村雄弘医学博士

iPhoneやアップルウォッチを利用して、患者ケアを行う臨床研究を始めた。民生用の電子機器が医療に利用できるようになれば、より多くの人をケアできるようになるからだ。今回の研究は、民生用電子機器がどの程度医療に利用できるのかを見極める狙いがある。

そのため、従来は血圧計、心電図、血糖測定器などの医療機器を貸し出し、あるいは購入してもらって、患者が自分で測定、それを手帳に記録していた。そして次回来院したときに、手帳の内容を確認して診療をしていく形だ。

「しかし、どうしても計測忘れや記入忘れ、記入ミス、持参忘れなどの問題が起こります。毎日計測をして手帳に記入するということ自体、患者さんの大きな負担になっている懸念もありました」

この問題を解決するのが、iOSデバイスの「ヘルスケア」アプリだった。木村氏のチームが必要としているデータは、主に日々の活動量、脈拍数と血圧だ。貸与する電子血圧計は「ヘルスケア」アプリに対応したオムロンヘルスケアの「上腕式血圧計 HEM−7325T」で、測定した値はブルートゥース経由で自動的に「ヘルスケア」アプリに記録される。また、脈拍数に関してはアップルウォッチが取得し、これも「ヘルスケア」アプリに自動的に記録される。患者はアップルウォッチを身に付けているだけでいいのである。

今回の臨床研究で使用されているアプリ「ザ・ダイアリー(The Diarly)」を開けば、「ヘルスケア」アプリ内のデータと、ザ・ダイアリーに直接入力したデータをいつでも見ることができる。また、このアプリには、iPadプロ用の病院側アプリもあり、こちらには登録患者のデータがリアルタイムで送られてくるので、医師が患者の健康状態を常時見守ることが可能だ。

このアプリのすごいところが、アップルウォッチでも提供されているところだ。アプリを起ち上げ、患者自身がアップルウォッチに音声でメモを入力することもできる。アップルウォッチに向かって、「少し胸が苦しくなりました」「めまいがします」などと話すだけで、時刻スタンプとともに記録される。この音声メモは、「めまい」「胸が苦しい」などの症状に関するキーワードを抽出するように設定されていて、患者個人の記録を見るだけでなく、後に統計処理に利用することもできる。

疾病には突発的な危険の可能性があるもののほか、生活習慣病のように、ある意味その病気と付き合っていかなければならないような長期のものがあるのだという。

突発性のものについては、このような患者個人のデータを取得することで、発作の予兆を知ることができ、場合によっては患者に注意を促すこともできる可能性が出てくる。また、長期疾病については、日頃のアクティビティを参照できることで、患者の生活スタイルからのアドバイスができるようになるという。

木村氏の臨床研究で使われている器具。患者には、アップルウォッチとiPhone、電子血圧計が貸し出される。測定値は、医師側のiPadプロにアプリを介してリアルタイムで表示される。使われているアプリは 「ザ・ダイアリー」。

ケアキットがもたらすもの

医師の悩みの1つに「服薬の確認」がある。服薬は、食前食後など生活の中で、患者本人の意思で飲んでもらうほかない。それも、毎日決まった時間に飲むことが重要だ。しかし、患者の立場になったとき、これを完璧に守れるかと聞かれると、なかなか首を縦に振れない人のほうが多いと思う。うっかり忘れることもあるし、外出や旅行などで薬を持っていくのを忘れるということもあるだろう。

医師にしてみると、患者の気持ちは理解できるものの、とても困った問題なのだそうだ。なぜなら、治療の効果が上がらないし、治療計画はきちんと服薬をしているという前提で組み立てるからである。そこで、手帳を渡し、服用したことを記録してもらうようにするのだという。

「手帳への記入による内服評価には限界があります。『夏休みの宿題』で誰もが経験したように、何日かまとめて記入することになりがちです。生活の習慣に自然と取り入れられるように、何らかの工夫が必要です」

アップルのフレームワーク「ケアキット(Carekit)」で開発されたザ・ダイアリーには、患者用のタスクリストのような画面がある。そこには「服用」「血圧測定」など、その日に患者が行わなければならないケアの一覧が表示される。薬を飲んだ場合はアプリ内のボタンをタップしたり、血圧を測定した場合は自動認識されて、その日のケア達成度が表示される。もちろん、この情報も医師側に送信されているので、飲んでいない場合は、「薬を飲んでください」という通知を医師側から送ることも可能だ。

「ケア率を100%にするというゲーム性があるので、記入を忘れる方がほとんどいなくなりました。入力もタップするだけという簡単さなので、手帳に比べて患者さんの負担は大きく減り、しかも楽しんで記録していただいています」

ケアキットを利用して開発されたザ・ダイアリー。画面は病院側のもので、登録した患者の測定値がリアルタイムで送られてくるので、24時間見守ることができる(画面はサンプル)。

ケアキットには、患者を見守るための機能が含まれている。患者に服薬などのタスクを設定し、患者のタスク達成度がリアルタイム表示される(画面はサンプル)。

患者のiPhone側のザ・ダイアリーの画面。測定した心拍数と血圧、そのほかのバイタルデータは「ヘルスケア」アプリのデータがそのまま反映される。

服薬、血圧測定など患者がしなければならないタスクが、医師側から送られてくる。タスクをこなしたらアプリ内のボタンをタップすると、ケアの達成度がハードで表示される。このような医師と患者のやりとりができるのがケアキットの機能だ。

ザ・ダイアリーにはアップルウォッチアプリもあり、音声で現在の状態を入力することができる。このメモの情報も、もちろん医師側に送られる。

iOSデバイスで見守る

血圧というのは常に変動していて、気温や精神状態の影響を敏感に受ける。普段と異なる環境の診察室では、緊張をし、交感神経が活発になることで、血圧が上がる現象が起きることもある。

「外来に来院したときの血圧は、家でゆったりとして測定した血圧より高いことがあります。家庭血圧を継続して測ってもらうことが大切です」

しかし、今回の臨床研究で使われている機材のうち、血圧計は医療機器だが、iPhoneとアップルウォッチは一般の電子機器だ。医療機器は、正確な測定ができるように厳しい基準が定められている。アップルウォッチで測った脈拍はどの程度正確なのだろうか。

「比較をしてみないとわかりません。でも、同じ器具で測り続ければ、絶対的な測定値が正しいかどうかは別として、相対的な変化、トレンドがわかります。医師にとって、この相対変化が大きな情報となるのです。日頃はこのような相対的な変化を見ておいて、必要なときには正確な医療機器を使って、正確な値にもとづいて診断を下せばいいのです」

今回の臨床研究では、iOSデバイスのような民生機器がどの程度、診断の助けとなることができるのかを見極め、活用するノウハウを蓄積する狙いもある。将来、遠隔診断、遠隔治療といったことが必要になってくると木村氏も感じているという。今回の臨床研究は、その遠隔治療への道を開くものだ。

使い方は簡単・シンプル

この臨床研究では、慶應大学病院に実際に通院している患者から、協力者を募った。患者の年齢構成は30歳代から80歳すぎの方までさまざまだ。

「中にはiPhoneを持っていない、スマートフォンを使ったことがないという方もいらっしゃいます。アップルウォッチについては、すべての患者さんが初めて使うことになりました。そのため血圧計も含めて、機器の使い方の指導、臨床試験の目的の説明などは丁寧に行いました」

また、患者のITリテラシーなどに応じて、使い方も変えている。たとえば、機械操作が苦手な人に対しては「アップルウォッチをできるだけ長い時間付けてください」とお願いするだけにして、慣れてきたら徐々にやることを広げていくように工夫をした。そのため、現在のところは、機器の使い方が難しいと訴える患者は1人もいないという。

「むしろ、患者さんのほうが積極的になっていただけて、『こんなこともできるんですよ』とこちらが教えてもらうこともあるほどです。もし、操作が難しいという方がいらっしゃった場合は、その方にあった使い方を一緒に探していけばいいと思っています」

距離を縮める在宅ケア

限られた診察時間の使い方が変化したと木村氏。従来の手帳方式では、診察の冒頭にまず手帳の記録を確認することから始めなければならなかった。それが現在は不要になったので、それ以外の診察や対話に時間を使うことができる。一方で、ケアに費やされる時間は、心理的に無限に長くなったと感じられる。患者側からバイタルデータが送信され、医師がそれを確認していることで、「24時間見守られている」感覚を持てるようになった。医師は、バイタルデータの向こう側に見える患者のライフスタイルや生活習慣が見えてくることで、来院時の症状や検査結果だけに頼ることなく、日常生活で収集されたデータを考慮した診察が可能になる。さらに、こうした継続的な患者ケアは無症状の病気にも効果を発揮する。

「たとえば、心房細動という不整脈はまったく症状がないこともあります。しかし、放っておくと致死的な脳梗塞につながることもあります」

このようなケースでも、アップルウォッチで常時脈拍を送信していれば、医師が不整脈に気がついて、「じゃあ、きちんとした検査をしてみましょう」となり、救える命の数が増えるかもしれない。

近づく医療とITの距離

アップルのヘルスケア関連のフレームワークには、ケアキットのほかに、「リサーチキット(ResearchKit)」もある。これはiOSデバイスを利用して、多数の患者、協力者から情報収集をし、医学研究に役立てるためのものだ。木村氏は、早くからこのリサーチキットを活用して、数々の臨床実験を行ってきた。

しかし、リサーチキットはあくまで臨床研究用のフレームワークであり、個人が匿名化されているため、結果を直接返信することができず、成果は学会で発表する形になる。それが新しい知見となって、新たな治療方法が開発されるということはあるが、木村氏はiOSデバイスを使えば、目の前の自分の患者さんに直接、成果を返せる方法があるのではないかと考えていた。そこにケアキットが登場し、今回の臨床研究に至った。

「たとえば、医療機器である心臓ペースメーカーには、データを病院側に自動送信できるものがあります。このような患者さんに対しては、常にデータを見守り、異常が起きた場合は患者さんに連絡を取るという遠隔医療が実現できています。しかし、こういった方は患者さん全体のごく一部です。もし、民生品でも似たようなことができるのであれば、もっとたくさんの、さまざまな病気の患者さんに対して、あるいは、まだ病院にかかったことがない方にも、遠隔ケアができるようになるかもしれません」

そのようなケアのツールとして、iOSデバイスをなぜ利用したのだろうか。

「アップルウォッチやそのほかの測定器で測定したデータが、『ヘルスケア』アプリにすべて集約されていて、これを医療のために利用するフレームワークが充実しています。セキュリティに関する配慮も重要です」

さらに、1つの「ヘルスケア」アプリで、自分のほとんどの健康データを手軽に見られることが大きいという。

「病気になっているいないに関わらず、皆さんに自分の健康に関心を持っていただきたい。健康に関心がある人は、iOSデバイスでなくても、市販のさまざまな健康器具を使って、体重や歩数、血圧などを測っています。でも、健康に関心がない人は測らない。そういう人にどうやって自分の健康に関心を持ってもらうかが大きな課題です」

アップルウォッチ、「ヘルスケア」アプリはそのきっかけになりうる魅力を持っている。

「医療とITはもっと近づけると思います。ウェアラブル機器が充実すればさらにさまざまなヘルスケアデータを医療に活用することができます」と木村氏。血圧計や体重計など、自ら測定しなければわからないデータと違い、身に付けているだけで収集されたデータは、より個人の生活を反映したデータとなっている可能性があることをリサーチキットを利用した臨床研究アプリを通じて実感したという。今後、さまざまな民生機器や医療機器が発展し、病院にいないときの生活を反映することができれば、さらに医療の質の向上につながるという。今後さらなる医療とITの融合に期待し、努力したいと話していた。

電子血圧計はオムロンヘルスケアの「上腕式血圧計 HEM-7325T」を貸し出す。測定値はブルートゥース経由で、専用アプリに自動送信される。

HEM-7325Tで測定したデータは、オムロンヘルスケアの健康管理アプリ「OMRON connect」に記録される。その測定値は自動的に「ヘルスケア」アプリに反映され、それがザ・ダイアリーにも記録されていく。

「iOSデバイスなど常に身につけているものは、いつでも測定できる、という安心感につながる」と利用者の声。患者と医療者の関係にも、良い影響をもたらすのではないだろうか。