フィナンシャル・タイムズ週末版の“Say Yes to the mess(ゴチャゴチャを受け入れよう)”という記事を読んで、「余白」について考えさせられました。うまく整理整頓さえできれば仕事の効率が上がると考えがちですが、それより目の前のタスクにさっさと着手して「GTD」(Get Things Done)したほうが生産性が上がると説くもの。整理整頓が仕事の能力に影響するというのは神話であって、人間がただ秩序に安堵する生き物であるからそう思い込んでいるに過ぎない、と。
日本を訪れた海外の友人などは、決まって「日本はとても秩序正しい国だ」と感動します。ほかの国ならカオスであろう混雑した駅のプラットフォームですら、日本人は辛抱強く電車を列をなして待ちます。秩序があることに心地よさを感じるのは確かですが、裏返すとそれだけルールに囲まれていると捉えることもできます。スポーツに曖昧なルールが存在しないように、社会のルールもまた厳格。守るのか破るのか、白なのか黒なのか。
整理整頓の話に戻りますが、記事の中で紹介されているのが、1990年代初期に野口悠紀雄さんが発明したという「押し出しファイリング」。人にはモノに定位置を設けようとする習性がありますが、この方法ではモノを「時間軸」で整理します。たとえば書類の場合、使ったものを常に一番左に戻す。これを繰り返すことで、頻繁に使うものは棚の左側に、まったく使わないものが右側に集まり、定期的に右側にある書類を断捨離するという整理整頓法です。ガチガチに固めず、モノの位置は変動するという余白を残すことで機能します。
アウトルック(Outlook)などのメールソフトを使っていた時代は、フォルダごとにメールを振り分けるためのフィルタを作成していました。Macを新しくすると、まずはこのフィルタ作成と格闘していたものです。メールが適切なフォルダに吸い込まれていくのを見るのは爽快でしたが、フォルダの数だけ受信箱が増えるようなもの。むしろ仕事を非効率にしていたかもしれません。Gメールを使うようになった今では、どんなメールも「既読」と「未読」の2つに分けるだけ。少し大雑把なくらいのほうが、仕事の効率を上げてくれるのかもしれません。
ざっくりで大雑把なルールは、臨機応変な対応を可能にしてくれます。たとえば、日本で通っていたプールには、これでもかというほどにルールが羅列されていました。一方、今住んでいるLAのプールで明記されているのは最小限の決まりだけ。基本的なこと以外は、プールの利用者がその時々の状況に応じて最良の判断をする余白が残されています。「大雑把」は、英語で“roughly”などと訳すことができますが、日本語のネガティブな印象を包含した類語は存在しないかもしれません。
レストランなどの接客業も同様です。日本の接客が安定してすばらしいのは間違いありませんが、トラブルへの対処はとても苦手なような気がします。マニュアルが絶対なため、そこに書いてないことは判断できず、店長などに意思決定を仰ぐ。よほど駄々をこねない限り、「これが決まりですので」の一点張り。一方、こちらでは各店員に権限が与えられているため、問題が発生すると目の前の相手がその場で柔軟に判断してくれることが多いです。決まりきっていない、余白が残されているからこその気持ち良い接客です。
整理整頓も接客も、ルールブックに基づいて白か黒かでしか物事を判断できないのは窮屈なもの。人生やライフプランだって同じようなこと。だいたいの方向さえわかっていれば、あとは歩きながら、その都度必要なことを決めていけばいい。余白があれば、いつだって軌道修正できるのですから。もう少し、大雑把を謳歌してみようと思うのです。
Yukari Mitsuhashi
米国LA在住のライター。ITベンチャーを経て2010年に独立し、国内外のIT企業を取材する。ニューズウィーク日本版やIT系メディアなどで執筆。映画「ソーシャル・ネットワーク」の字幕監修にも携わる。【URL】http://www.techdoll.jp