ジョン・スカリー(John Sculley)
1939年4月6日生まれ。元ペプシコ社・事業担当社長。1983年から1993年までアップル・コンピュータの社長を務めた。マーケティングの専門家だが、テクノロジーにも造詣が深い。アップル在籍時代には、歴史上初のPDA(パーソナル・デジタル・アシスタント=携帯情報端末)「ニュートン(Newton)」を発売し、多くのファンを獲得した。
未来の始まり
ジョン・スカリーは、1983年から1990年までアップル(当時の社名はアップル・コンピュータ)の社長を務めた人物だ。当時、スティーブ・ジョブズとのタッグが注目され、2人のタッグは「ダイナミック・デュオ」とまで呼ばれた。しかしその後、スカリーとジョブズの関係は波乱に満ちたものとなる。
1977年に発表した「アップルII(Apple II)」が成功し、次に発表する未来的なコンピュータ(後のMacにつながる)の売り方を考えたジョブズは、マーケティングのプロであるスカリーを「このまま一生砂糖水を売り続けるのですか、それとも僕と一緒に世界を変えますか?」という言葉でアップルへ招聘した。
スカリーは当時米ペプシコ社の事業担当社長で、CMにマイケル・ジャクソンを起用したり、街頭で道行く人にロゴを隠した2つのコーラを試飲させ、人々がペプシを選ぶところを映したCMを放送したりといった施策によって、コカコーラを抜いてペプシコーラのシェアを1位に押し上げた功労者だった。
しかし、翌年の1984年、初代「Macintosh」が発売されるもセールスはまったくの不振。アップルは初の赤字を計上し、スカリーは創業者であるジョブズがアップルを混乱させていると考え、ジョブズをMacintoshチームから解任。その後、ジョブズはアップルから追放されることになる。
ジョブズなき後のアップルを率いることになったスカリーが模索したのも、やはり「未来のコンピューティング」だった。まだコンピュータが一般家庭に普及するには程遠かった当時、「コンピュータによって未来はどのように変革されるのか」をわかりやすく伝えたいと思ったスカリーは、コンセプト映像の制作を指揮した。これが1987年に公開された「ナレッジ・ナビゲータ(Knowledge Navigator)」だ。そこには、今日のiPadのようなデバイスでSiriのような対話型インターフェイスを使う未来の生活が描かれている。大げさに言えば、ここから未来が始まったのだ。この映像は、映画「2001年宇宙の旅」に登場するモノリスの役割を果たしたと言える。この映像に触れたものは知恵を授けられ、未来を夢想するようになったのだ。
2016年9月28日、自身の著作『ムーンショット!』の講演を行うために来日したスカリーは、当時のことをこのように語ってくれた。
「当時、アラン・ケイがアップルでも仕事をしていて、彼のもう1つの仕事場であるマサチューセッツ工科大学のメディアラボに連れていってくれました。そこで数々の未来技術を目の当たりにしたのです。これを私なりにまとめ、映像にしたいと思いました。友人であるジョージ・ルーカスに相談したら、彼の会社で映像化することになったのです」
月面着陸の衝撃
著作、『ムーンショット!』は今年の2月に発売された本であり、ビジネスの世界でイノベーションを生み出す方法を説いている。本のタイトルにもなっている「ムーンショット」とは一体何か? スカリーは講演で次のように語った。
「『ムーンショット』は、ジョン・F・ケネディが最初に使った表現です」
宇宙開発競争で完全にソ連に遅れを取り自信を失っていたアメリカ国民の前で、ケネディ大統領は「60年代の終わりまでに、人類を月に送り込む」というまったく無謀な計画の実現を、国民と約束した。そのとき、世界中の誰もが苦笑して、バカにした。「できるわけがない」と。しかしケネディの言葉どおりアポロ計画は実行され、1969年7月、アポロ11号に乗船した2人のアメリカ人が月面に降り立った。
「非常に大きな影響力があり、それ以降、世界ががらりと変わってしまうイノベーションのことを、私はムーンショットと呼んでいます」
アポロ計画はムーンショットそのものだ。そして、MacintoshもiPhoneもムーンショットだったと、スカリーは言いたげだ。
では、ムーンショットを起こせるイノベーターは、どのように生まれるのか? 本書では、革新的なビジネスをどのようにして作っていけば良いのか、どのようにイノベーションを起こすのか、という方法を説いている。氏は「破壊型イノベーター」と「適応型イノベーター」という言葉を使って、イノベーターのタイプを2つに分けて解説し、これからの社会には適応型イノベーターが必要だと語る。
破壊型イノベーターとは、グーグルのようにテクノロジーのパワーを使って、既存のビジネスを破壊しつくしてしまうイノベーターのことだ。一方、適応型イノベーターとはジェフ・ベゾス(アマゾン創業者)、イーロン・マスク(ペイパル、テスラ・モーターズの創業者)のように、既存のビジネスを破壊するのではなく、現実に適応しながらイノベーションを起こしていく人物のことだ。自分の専門分野とテクノロジーを組み合わせて顧客体験を変えていくビジネス、それを生み出していく人々が「適応型イノベーター」であり、今、社会にはこうした人物が求められているのだという。
ジョブズの思考法
適応型イノベーションを起こすための思考法はいくつもあるが、スカリーはジョブズから学んだ方法として「ズーミング」を推めている。これは思考の「ズームアウト」と「ズームイン」を組み合わせて考える方法だ。
最初は、課題を解決する方法として「ズームアウト」して、俯瞰で全体を眺め、点と点をつなぐようにして、解決策を考えていく。しかし、難しいのはここからだ。課題解決策が構築されていくと、さまざまなチームが「あれも必要、これも必須」といって、解決策は複雑なものになっていく。スカリーは、これを「フィーチャークリープ(機能が徘徊する)」と呼んでいる。
ジョブズがフィーチャークリープに陥らないように使った思考法が「ズームイン」だ。解決策の細部を点検し、「何が不要なのか」「何が削れるか」を考えていく。そして、再びズームアウトして、全体を眺める。さらにズームインして、細部から不要なものを削り、常に思考全体がシンプルであり続けるようにする。まるで、偉大な風景画家が絵画を仕上げるように、ズームアウト、ズームインを繰り返して、解決策を構築しながら製品を開発していくのだ。
スカリーの社長就任後、1984年1月に発売された初代Macintosh。発売前のコマーシャルも話題になり、製品自体も数々の先進的なテクノロジーと革新的なインターフェイスを搭載していた。しかし、クリスマスシーズンに需要を読み違えたアップルは、大量の不良在庫を抱えることになってしまう。
チャンスはバスのようなもの
適応型イノベーションを起こすには、事業計画やビジネスモデルの構築というところから始めるのではなく、「顧客プラン」から考えるべきだという。それは単純な発想から始まっていい。「読みたい本がすぐに買えないのはなぜ?」「せっかく携帯電話をもっているのに、必要な情報が手元で見られないのはなぜ?」。そこから数々の適応型イノベーション=ムーンショットが生まれた。
スカリー退社後のアップルは、「ナレッジ・ナビゲータが描いている素敵な未来が実現できないのはなぜ?」と考え続けただろう。そこに、スティーブ・ジョブズが戻ってきてiPhoneを生み出したのだ。スカリーは講演の最後、こう語ってくれた。
「ナレッジ・ナビゲータの映像は、今でもユーチューブで見ることができます。その映像を注意深く見てください。映像の中の日付は、2007年9月16日になっています。これはiPhoneが発売された年なのです(著者注:確認したところ、2009年9月16日水曜日ではないかと思うが、ここはご愛嬌)」
スカリーは「誰でも適応型イノベーターになれる」という。既存の企業であっても、適応型イノベーション企業に変わることは必ずできるという。スカリーは著書の中でこう説いている。「チャンスは、バスのようなもの。乗り過ごしても、次が必ずやってくる」。
スカリーは現在77歳。投資コンサルティング会社「スカリー・ブラザーズ」を率いて、現在も人々にイノベーションを起こすためのヒントを授けて回っている。
ジョブズの退任後、アップルが作成したコンセプトムービーが「ナレッジ・ナビゲータ」だ。1988年に発表されたこのビデオにはiPadとSiriそっくりの未来が描かれている。【URL】https://www.youtube.com/watch?v=yc8omdv-tBU