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幻のジム

著者: 藤井太洋

幻のジム

イラスト/灯夢(デジタルノイズ)

真っ赤な内装のカフェのテーブルに、サンキスト農場のロゴが印刷されたプラスチック製の収穫ケースが載っていた。中は細く仕切られて通し番号が書かれ、様々な世代のiPhoneがびっしりと並んでいる。

縦に五十枚、横に三枚。それが三段入っているから、都合四百五十枚のiPhoneが入っている。拙い英語でそう説明してくれたのは、ケースを持ち込んだ華人の老婆、タニア・リイだ。

「三百ドルでどうだい。ハチヤさん」

答えずにいると、友人のダイクが肩に手をかけてきた。

「婆さん、五十年も古物商やってるベテランだ。品物は確かだよ」

「見りゃわかるよ」

ジャンクだ。

収納の細かさはたいしたものだが、バンコクの湿気はアルミの外装を錆び付かせている。どうせほとんど盗品だろう。おれの興味はロックされていない端末の数だけだ。五枚もあれば元は取れる。

タニアは茶を啜って言った。

「他に売りに行ってもいいんだよ」

「いいよ。十ドルで売れるといいな」

元ジーニアスがレストアしなければ、錆びたアルミ屑(くず)だ。

「なんだいその言い方は」タニアは通りを指さした。「日本人(リーベンレン)なら、あんなふうに礼儀正しくするもんじゃない」

確かに、一目でそれとわかる日本人の旅行者がいた。鍔広の帽子を被った男は日陰に立ってぴんと背を伸ばし、旧型のiPhoneを通りに向けていた。

「お、トレーナーさんだ」

ダイクは八年ほど前に一世を風靡したAR位置情報ゲームの名前を口にした。

「へえ、まだ遊べるんだな」

ダイクは二本の指を立てて、コンタクトレンズ型ディスプレイをつけた目を指してみせた。

「最新版は〈コーニィ〉にARを重ねるんだぜ。それより、どうするんだ。買うのか、買わないのか?」

「買うよ」

「多謝(ターシェ)」と笑ったアニタは日に灼けたA4用紙の束を懐からとりだした。「仕入れ元帳もあげるよ。値切らなかったお礼だあね」

用紙に目を通したおれは苦笑した。仕入れ元には三輪タクシー(トゥクトゥク)にごろつき(ナックレーン)、泥棒(ジョーン)、そして警官(タムルワット)などと書かれ、日付が付されていたのだ。

マメな盗品故買もいたものだ。

「ダチの白人(ファラン)がさんざんツケを溜めてんだよ。金が払えないなら出てけ」

「この雨だぞ!」

買い物に出たおれは現金を忘れたことに気がついてショップに戻る途中、突然のスコールに見舞われた。あわてて飛び込んだカフェで受けた仕打ちがこれだ。

カウンターに身を乗り出した手元に、真新しいバーツ紙幣が差し出された。

「わたくしが奢(おご)りますよ」

数日前にカフェの前に立っていた旅行者が、いかにも日本人らしく、曖昧な微笑を浮かべて立っていた。

主人は、金を素早くとりあげて窓際のテーブル席を顎でしゃくった。

旅行者は田畑と名乗り、背筋を伸ばしてプラスチック製の椅子に腰掛けた。

「このあたりにお住まいなんですか」

久しぶりに聞く丁寧な日本語に、おれは口ごもった。

「……いろいろありまして。それより田畑さん、モンスター集めですか」

「見られていましたか」田畑は日焼けで赤くなった?を掻いた。「そうです。限定のモンスターが出るとのことで。目印のジムを探しているんです。ワドコンツィという施設をご存じですか?」

「ここだよ」ちょうどビールを持ってきた主人が口を挟んできた。「壁が赤いだろ。このカフェは四年前まで孔子廟だったんだ。坊さんが寺院のジムを消させたから、寂れた廟も名所になった」

「あんたも遊んでるのか」

「ダイクと最新版を遊んでるよ。このおっさんもトレーナーだって?」

そんな仲ならさっきの仕打ちは何だ、と言おうとすると、田畑がゆっくりとした英語で言った。

「七年前の今頃、このジムの近くで限定モンスター〈パオウン〉が出たのです。ボールを投げようとしたところで、iPhoneを盗まれました。時間も──ああ、ちょうど今ですね」

「災難だったな」

痛ましそうに言った店主は、ビールを奢ると言ってカウンターに戻った。見送る田畑へ、おれは言った。

「ご自分のお話なんですか?」

そしてすぐに後悔した。田畑は曖昧に笑ってビールを啜ったのだ。いつのまにか雨は上がっていた。

「しらばくいらっしゃいますか?」

聞いたが、答えを待たずにおれは席を立った。「すぐに戻ります」

「なんて顔してるんだ」

ショップに勝手に入り込んでいたダイクが声をかけてきたが、おれは無視して、タニアから買ったケースを引っ張り出し、元帳の日付を確かめた。二〇一七年の十二月の仕入れは四台。おれは黄色い鳥のステッカーが貼りつけられているiPhone 6に目をつけた。

「やめとけ」とダイクの声が飛んだ。「お節介だろう。ろくな事にならん」

「うるさい。黙ってろ」

おれは作業台からペンタクル・ドライバーを取りあげてダイクに突きつけた。この世代のiPhoneならば目を閉じていても分解できる。店のネットワークタイムサーバーを盗難時刻に合わせてから、充電済みのバッテリーと入れ替えてケースを元に戻すと、画面が白く輝いてロゴが現れた。

「時間を進めるだけだ─田畑さん?」

いつの間にかショップの扉が開いていた。戸口には、帽子を脱いでお辞儀する田畑の姿があった。

「カフェの店主がハチヤさんのお店を教えてくれましたので─それは」

おれはiPhoneを差し出した。受け取った田畑は崩れるように座り込み、六桁のパスコードを入力してロックを解除する。

耳慣れたBGMが店に鳴り響く。画面では紫色の胴体に金色の帯が走るゾウ──タイ限定のモンスター〈パオワン〉が地面を踏みしめていた。店のホットスポットは七年前の時刻をiPhoneに送り込んでいる。

田畑は無心に画面を弾く。ぎこちない手つきは発表から七年も経つゲームを愛好する人のものではなかった。

画面を弾く田畑の手が止まった。

「捕れましたか?」

頷いた田畑は画面をこちらへ向け、今にも泣き出しそうな声で言った。

「息子が……初めての海外旅行で、モンスター狩りに行くというので……」

田畑の息子は旅行中か、直後に亡くなっているのだろう。そうでなければ盗まれた端末をiCloudでロックしているはずなのだ。

「なあ、おじさん」ダイクが通りを指さした。「その〈パオワン〉をジムに置いていかないか? ちょうど今ぶんどられてね、取り返そうとしてたんだ。店主も誘おうや。ずっと防衛してやるぜ」

ぽかんと口を開けて聞いていた田畑の目に、光るものが滲んだ。

「ありがとうございます」

田畑はダイクについて出て行った。

おれはタニアの元票を丸めてゴミ箱に押し込んだ。四百五十枚のiPhoneにはそれぞれ事情が潜んでいる。

覗くのは一度で充分だ。

藤井太洋

2012年、セルフパブリッシングの『Gene Mapper』でデビュー。『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門を受賞。