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これからのビジネスに求められる「デザイン思考」の重要性●IBM × Appleのビジネス大変革

著者: 栗原亮

これからのビジネスに求められる「デザイン思考」の重要性●IBM × Appleのビジネス大変革

工藤 晶(左)

日本IBMインタラクティブ・エクスペリエンス事業部長。外資系コンサルティング会社を経て現職。「IBM Studios Global Leadership Team」のメンバー。デザイナー、戦略コンサルタント、エンジニア、データサイエンティストの多彩なタレントからなる同事業を統括。

林 信行(右)

テクノロジーやデザイン、教育が人々の働き方や生活をどう変えるかを取材し、講演、執筆、コンサルティング活動を行っている。ジェームス・ダイソン財団理事、グッドデザイン賞審査員。ifs未来研究所研究員。著書は『iPhone ショック』『iPad ショック』など多数。

IBMとデザインの関係

林●工藤さんはクリエイティブな戦略立案からデザイン、モバイルなどを提案する「IBMiX」において、新しいエクスペリエンス(体験)を創出するリーダーとして活動されています。お仕事の内容を聞く前に、そもそもIBMがデザインというものに対してどのように関わってきたのかを教えてください。

工藤●IBMとデザインの関わりでいうと、中興の祖であるトーマス・J・ワトソン・ジュニア(IBM2代目社長)の話に遡らなくてはなりません。彼は1950年代にニューヨークでオリベッティ(イタリアの大型コンピュータ製造会社)のタイプライターを見て、当時のIBMのショールームがいかにもビジネスじみて格好悪いと感じたと言います。そこで、友人だったエリオット・ノイズ(建築家・デザイナー)をデザインコンサルタントとしてIBMに招聘したのが1956年。そこからIBMのデザインプロジェクトの歴史が始まります。ワトソン・ジュニアのデザインについての考え方は先進的で、「デザインは色や形だけでなく、人にサービスするもの」であるとその頃から語っていました。

林●なるほど。

工藤●その後、エリオット・ノイズがグラフィックデザイナーのポール・ランドを連れてきて、彼が現在に続くIBMのロゴをデザインしました。さらに1957年にはチャールズ&レイ・イームズがIBMの展覧会のプロデュースを行い、展示を通じてお客さんにコンピュータの世界を体験してもらうという、「エクスペリエンスをデザインする考え」を実践し始めたのです。

ワトソン・ジュニアの改革は、その集大成として1966年に「グッドデザイン・イズ・グッドビジネス(“Good design is good business.”)」という全社に出されたレターに結実します。ビジネスとデザインはかけ離れたものではなく良いデザインこそが良いビジネスだ、と。この考えは、パーソナルコンピュータに進出したあともシンクパッドなどのプロダクトデザインにつながっていきました。

さらに時代が進み、2012年に就任した現CEOのジニー・ロメッティが、最初の全社員向けビデオメッセージの中で「ビー・エッセンシャル(“Be Essential”) 」という言葉で、IBM流のデザインカルチャーの復活を宣言しました。これはIBMがお客様にとって「必要不可欠な存在であれ」という意味ですが、そのためにはクライアント・エクスペリエンス(顧客体験)が非常に重要であるということで、20名くらいのシニア・ディレクターたちがクライアント・エクスペリエンスチームに招聘されました。日本IBM社長のポール与那嶺もこのチームの一員です。

林●そこでIBMが提供する顧客体験はどうあるべきかという議論がなされたんですね。そこから「IBMデザイン」という組織も生まれたと。

工藤●はい。このチームのデザインに関する議論の中で、IBMデザインが発足しました。現在のGM(ゼネラル・マネージャー)であるフィル・ギルバートが、デザインをするにはIBM内にきちんとした組織が必要ということで、1000人規模で新しいデザイナーを採用することになりました。

林●外部デザイナーではなく、インハウスでデザインを完結するということでしょうか。

工藤●実際のところは部門単位で外部デザイナーと組むこともあるのですが、自社プロダクトについては基本的にインハウスです。

林●その狙いはどこにあるのですか。

工藤●フィル・ギルバートは“Designis not Interface, Design is Empathy.”ということを言っていて、つまりデザインとは色や形を作ることではなくて、コンテンツや「共感する行為」そのものだと述べているのです。IBMデザインのミッションは、モノをデザインするだけではなく、もっと広くIBM全体に「共感する文化」を浸透させることなんです。

林●このIBMデザインは、現在どのようなフェーズまで進んでいるのでしょうか。

工藤●目標数値としては、デザイナー対エンジニアの比率を1対10以下にすることを掲げています。当初は1対32だったのが、現在はその中間くらいというところです。

林●IBMのすべての製品について、IBMデザインが関わってくるのですか。

工藤●IBM社内には、社員であれば誰でもIBMデザインと「IBMデザイン思考プログラム」の利用を申請できる制度があります。プロジェクトの内容に価値があるとお墨付きを得られれば、デザイナーが派遣される形になっていて、それが今だと100以上のプロジェクトが動いています。

林●企業あるいは経営者によっては、いまだにデザインを余分なコストと考えるところも多いと思うのですが、IBMではデザインの重要性が浸透してるということですね。

工藤●すごく浸透してますと言いたいところですが、まだまだ十分ではありません。IBMデザイン思考のプログラムを作って最初にトレーニングを受けたのは、ジニー・ロメッティをはじめとするシニア・エグゼクティブなんですね。まずそこから始めて、順々に降りて行っています。実際に製品を開発するプロダクトチームがテキサス州オースティンに1週間デザインキャンプという形で教育を受けて、担当地域に戻る際にデザイナーも一緒に連れていくという流れになっています。このプログラムでトレーニングを受けた社員が1万人を超えたくらいですが、IBMは世界に40万人以上いますので、まだまだ先は長いといえるかもしれません。

世界各国のIBMに設けられているIBM Studios(写真は日本IBM箱崎本社)。その中の「Maker Studio」では、クライアント企業を招いたワークショップなどを行い、デザイン思考を実践するための場として重要な役割を果たしている。

課題解決のためのデザイン

林●先日のワトソン・サミットでデザイン思考のワークショップを行っていましたが、日本でも頻繁に行っているのですか。

工藤●ワークショップはかなり頻繁に行っています。最近もお客様向けに行いましたが、議論が停滞して堂々巡りだったプロジェクトが、デザイン手法を用いた議論をすることで一気に動き始めたと好評でした。

林●社外とのワークショップはどのように進めるのですか。お付き合いのあるクライアントからの相談に対してデザイン思考のワークショップをやらないかという提案をする感じでしょうか。

工藤●さまざまなパターンがあります。私が講演などで話すこともあれば、営業から持ち込まれた話に対して出向いて提案し試してもらうこともあります。また、もう作るものが決まっていて、顧客体験を考えるために、デザイン思考のプログラムを組み込むこともあります。たとえば、ワトソンのようなコグニティブの仕組みを使いたいというと、どうしてもテクノロジーありきで考えてしまうことがあるのですが、それだと顧客体験は満足のいくものになりません。プロトタイプを作る前にデザイン思考できちんと検証し、お客様のプロセスにどのようにワトソンが入っていって、その体験がどう向上するのかをきちんと考えたうえで、ワトソンを何に使いましょうかという提案になることも多いですね。

林●技術主導ではなくエクスペリエンス主導という点について、もう少し詳しく聞きたいですね。

工藤●よく「ワークショップ=デザイン思考」と思われがちで、お客様からはワークショップをやってもアイデアが出ないという話を耳にします。そんなときは「観察しましたか?」「ユーザインタビューはしましたか?」と聞くと意外にやっていなかったりしますね。IBMデザイン思考では「観察して、熟考して、洞察して、プロトタイプを作成し、これを繰り返していく」というプロセスなので、ワークショップをやることも大事ですが、実際に現場に赴くことが重要です。そこで何か「気づき」がないか、さまざまな視点からいろんな人間が見て、あるいは自分がお客様の体験をしてみることで得られた洞察をダンプアウトしてアイデアを作っていきます。たとえば、アイデアについて最初は紙に手で書き出していったり、サービスであれば寸劇をして、こういうサービスになればお客様の体験はこう変わるねというアクティビティをやったりします。こうすることで単なるアイデアレベルではなく、実際に使ってみてわかる改善策や気づきが生まれます。

IBMデザイン思考のプロセス

林●そういうデザイン思考のプロセスは、企業の規模が小さかった昔は日常的に行われていたのではないでしょうか。経営者が実感を持って製品を作るというのは、やっている人はやっていたけど、なぜ今がそれが失われてしまったのでしょうか。また、それがなぜ最近になって重要だと再評価されているんですか。

工藤●僕自身の考えですが、デザイン思考は昔の日本の有名な経営者たちは、それをデザイン思考と呼ばずに実践していたのだと思います。事実かどうかわかりませんが、ニューヨークのセントラルパークで大きなラジカセを背負っているのを見たソニーの盛田さんがウォークマンの着想を得たというような話ですね。そうでなくても、昔から生産現場だと「現地・現物・現実」の三現主義的な意識はあったと思います。それにもかかわらず、そうした思考がいつの間に失われて、技術主導でものを考え「この技術があるから何かできるに違いない」ということになってしまいました。

アメリカでデザイン思考が注目を浴びているのは、イノベーションの手法とかMBAによる数学的経営手法などの限界が見えてきて、人の心に共感するとか、人の心がわからないと良いものが生まれてこないということに気がついたからではないでしょうか。モノは単体で完結するのではなく、その前後にある体験をも捉えて築き上げなくてはならない。その手法として体系化されたものが「デザイン思考」として今注目を集めているのだと思います。

林●IBMデザイン、社内も社外のソリューションも今後どう進化していくのでしょう。

工藤●IBM自身は、この3~4年で一定レベルのデザイン思考を身につけられたと考えていて、さらにそれを進化させようとしています。大きく変わったのは自分たちのこれまでの経験を公開し、オープンイノベーションに舵を切っていることです。今はIBMだけでなく、さまざまな企業や人が集まってイノベーションを加速させる方向に進んでいて、その共通言語にデザイン思考がなりつつあると感じています。

“そういうデザイン思考のプロセスって、企業の規模が小さかった昔は日常的に行われていたのではないでしょうか”

企業変革のショーケース

林●モバイルについてもIBMデザインでいろいろ行っていると思いますが、アップルとの提携でデザインに対する考え方は何か変わりましたか?

工藤●大いに変わりました。IBM自身がデザインを少し忘れかけていたという時期があったのですが、IBMデザインを作ったのちにアップルと提携して最先端のデザインから刺激を受けたのは大きいです。IBMはどうしてもBtoBのビジネスなので、アップルの最大の強みであるコンシューマー向けのプロダクトやエクスペリエンスをIBMのものにしたい、逆にアップルからすればビジネスの世界にもアップル製品を浸透させたいという両者の思惑がかみ合ったのだと思います。

今でこそIBMはMacとかiPadを普通に使っていますが、実は6~7年前からすでに社内ではBYODで自分のMacを持ち込んで使うというプログラムが米国からスタートしていました。僕自身もMacを持ち込んで、全部自分でセキュリティ設定をして日本のコンサル部門で初めてMacを使いました。自分で言うのもなんですが、IBMの面白いところってひとたびBYODをしようとなれば、Macファンなチームができて、そのチームがIT部門から承諾をとり、その仕組みに従えばOKというところです。これは、IBM自身が新しい企業変革のショーケースでなければならないというカルチャーと深く関係しています。

林●たいていの大企業だと、IT部門がそれはダメだとMacを閉じてしまったりしますからね。何かトラブルが起きたときのリスクはあると思いますが、ルールと基準さえ明確にすれば新しいものを積極的に取り入れるのはIBMの強みかもしれません。「伝統は革新の連続」だと老舗の日本企業はよくいいますが、IBMはそれを体現しているようです。

工藤●IBMという会社は創業当初から現在まで「変革オタク」なんですよ(笑)。だから自らの会社について、そのプロダクトで事業を定義しません。昔は時計やタイプライター、その後はメインフレームやパーソナルコンピュータ、そして今はワトソンですが、そのいずれもIBMそのものではありません。IBMは自らを「テクノロジーで人類の進歩に貢献する」企業だと考えているのです。

“いつの間にか技術主導で物事を考えてしまっているんです。でもそうしたことに限界が見え始めた今だからこそ、人の心に共感し、体験全体を捉える考え方が重要なんです”

さらに詳しく知りたい人は

「IBMの思考とデザイン」

山崎和彦、 工藤 晶、 柴田英喜著

丸善出版/2592円

8月30日発売予定