「CAP」
東京丸の内のGOOD DESIGN Marunouchiでは、グッドデザイン賞審査委員によるデザインを一堂に紹介する「私のデザイン ─グッドデザイン賞審査委員の一品─」が9月11日まで開催中。
任命2年目となるグッドデザイン賞の審査が終わった。60年近い歴史のある賞で、今日ではモノだけでなく、サービスやNPO活動、パッケージやアプリ、テレビ番組も審査の対象だ。昨年に続いて「情報機器」の審査を担当し、今年はリーダーを任された。ひとくちに「情報機器」といってもパソコンやスマートフォン、複合機はもちろん、デジカメやオーディオ、放送機器にIoTも審査対象だ(応募総数は450ほどで、1次審査&2次審査ともに丸3日は他の仕事ができない)。さらに今年はリーダーを任されたために他のユニットの製品もあわせた全体の受賞作からBEST 100なども選んだ。
建築やデジタル機器、コミュニティー活動、テレビ番組など横並びで比較できるのかと再び不安に駆られていた頃、主催者からトークイベントにパネラーとして参加する誘いを受けた。「グッドデザインはグッドデザインか?」というかなり刺激的な題だった。「賞への不満が口に出るかも」と断ったら、「他社に迷惑がかからなければ大丈夫です」とすんなりOKをもらった。実際、ワイアード日本版・編集長の若林恵さんの一言目は「グッドデザイン賞なんていらないと思うんだよね」だったが、主催者も一緒になって爆笑していた。この若林さんの一言で一気に議論に火がつき、充実した話し合いができた(ぜひ詳細をこちらで読んでほしい:https://www.jidp.or.jp/ja/2016/05/30/report20160530)。
ただし、このレポートには書いていないことがある。もともとは同賞を煙たがっていた主催者の1人が、担当するようになってから見方が変わったという話が素晴らしかった。「僕はグッドデザイン賞は資本主義に翻す反旗だと思っている」と言うのだ。
資本主義が行き着くところまで行き着いた今、世の中のモノづくりの多くは、毎四半期の売り上げの右肩上がりを維持するべくデータばかりを見て、顧客に統計的に受け入れられやすいように行われることが多い。そんな中で、一握りの人は「世の中をもっとこんな風に良くしていきたい」という熱い思いをモノやサービスという形に変えて表している。そういう人たちを発掘し、そこにスポットライトを当て応援することこそがグッドデザイン賞の本当の役割だというのだ。自分が常々重視していた方向性に「グッドデザイン」(=私なりの定義では「世の中をよくする工夫」)がカッチリとハマった。
その後のトークで「おそらくグッドデザインの審査ほど良いデザインの議論が行われる場所はそうはない。審査対象を直接比べるのではなく選りすぐりの審査員による、なぜその製品がグッドデザインかの意見や議論を審査すれば、比較もしやすくなるんじゃないか」という結論に達した。
実際、BEST 100など優秀作品の審査は自然とその形になった。昼休み、ある審査員からこんなことを聞いた。他のデザイン賞の多くは作品の優劣を決めるコンペ形式になっているが、今のグッドデザイン賞はグッドデザインの奨励が基本の立ち位置だという。
ただ、頑張って良いデザインを奨励しても、じっくりと接しないと深い良さが伝わらないものも多い。消費者が良いデザインを汲み取る目も大事だなと感じていた頃、韓国の審査員から「未来の韓国のデザインがもっとよくなるように教科書をつくり、小学校からデザインを教えるように政府に働きかけている」という話を聞いてうらやましくなった。
デジタルが中心となり、スペックだけならすぐに他社も真似できるこの時代、「デザイン」こそが「モノづくり」の要となるはずだ。ジョナサン・アイブやジェームス・ダイソン、ポール・スミスなど偉大なデザイナーを輩出しているイギリスでは今日、4~5歳からデザインの教育を始めているという。
Nobuyuki Hayashi
aka Nobi/IT、モバイル、デザイン、アートなど幅広くカバーするフリージャーナリスト&コンサルタント。語学好き。最新の技術が我々の生活や仕事、社会をどう変えつつあるのかについて取材、執筆、講演している。主な著書に『iPhoneショック』『iPadショック』ほか多数。