テクノロジーと制度の変革を
2016年4月23日、東京・港区の東京慈恵会医科大学(以下、慈恵大学)にて、「MobileHealthcare 2016」と題された公開講座が開かれた。主催は慈恵大学先端医療情報技術講座と、チーム医療3.0だ。
2010年に創立されたチーム医療3.0。そのメンバーは医師だけでなく、看護師や薬剤師、ITベンチャー役員など多岐にわたる。iOSデバイスなどのICT機器を現場で医療者自身が活用すれば、多くの問題解決が可能なのではないか?と彼らは考え、各々の現場でその実現に取り組んできた。彼らがどのような取り組みを行ってきたのか、そしてこれからの社会で医療はどのように発展していくべきなのか、ということを主題としたのが今回の公開講座だ。
開会の挨拶をしたのは、神戸大学大学院医学研究科・特務准教授の杉本真樹氏。これまでも3Dプリンタを使った人工臓器の作成や、医療現場でのVR(拡張現実)の活用など、医療の現場に最先端のテクノロジーを取り入れてきた人物だ。杉本氏は開会の挨拶に加え、これからの医療にはスマートフォンやVRを使った「人間の拡張(Augumented Human)」を活用するべきだと語った。
「たとえば内視鏡手術でVRを使い、自分が内視鏡の先端にいるような感覚を得られれば、外科医に自然な理解をもたらします。近年ロボット手術が認可されましたが、ロボットのテクノロジーがより人間に近づくには、『自分がロボットの一部になる』ような視覚・触覚における没入状態が必要です」
続いて登壇したのは、東京大学大学院医学系研究科・国際保健政策学教室教授であり、一般社団法人JIGHの代表理事でもある渋谷健司氏。厚生労働省が提示した保険医療政策のビジョン「保健医療2035」の策定チーム座長も努めており、2035年に向けて、日本の保健医療はどう進もうとしているのかが語られた。
10年後の高齢社会においては今までのような「治す医療」から、「支える医療」への変革が求められる。渋谷氏が座長となり厚生労働省が策定した「保健医療2035」においては、3つのビジョンを持って医療を変革することが目標だ。
「人々が世界最高水準の健康・医療を享受でき、安心、満足、納得を得ることができる世界を作るために、これまで持っていた理念をさらにアップデートしていきます。そのために『①保健医療の価値を高める』『②主体的選択を社会で支える』『③日本が世界の保健医療を牽引する』という3つのビジョンを掲げました」
これらのビジョンを掲げたうえで、渋谷氏はある入院患者の事例を紹介した。
「先日、5カ所の病院で15種類の薬をもらって飲んでいた男性が倒れ、救急車で搬送されて入院しました。その治療は非常に簡単で、薬を5種類に減らしただけで治ったんです」
ここに今の日本の医療の問題が凝縮されている、と渋谷氏は語る。患者は自分の飲んでいる薬を理解しないままに服用を続け、重複した薬で医療費はかさんでいく。患者が主体的に医療を選択できる社会になれば、このような事例は減り、医療費も下がり、ひいては健康が促進されるというわけだ。この先、世界に先駆けて超高齢化社会に突入する日本が、世界の医療を主導する立場になるべきであり、そのために保健医療の再定義と、システムの進化を進めていく、と話した。
現場で進むICTの利活用
続いて、演者講演が始まった。はじめの登壇者は、先端医療情報技術研究講座・准教授および政府CIO補佐官の高尾洋之氏。慈恵大学に3400台のiPhoneを導入した立役者だ。高尾氏は医療におけるICTの役割は大きく分けて3つあり、医療システム・電子カルテ、モバイルによる地域連携、診察・治療システムの改善だと語る。この3点においてICTを進めるために、NTTドコモと株式会社アルムと共同で「Join」というアプリを開発した。
「Joinは医師専用の『LINE』のようなサービスです。患者を前にして診断をしている医師と、別の場所にいる専門医をつなぎ、知識を有効に活用したいと思い導入しました。導入後、入院日数と総医療費の削減傾向が出ています」
そして、診療システムの改善を図るため、新しい医療保険システムとして「MySOS」を開発。MySOSは患者自身による健康管理&救急スマートフォンアプリで、健康診断や画像診断の結果をアプリで患者が持ち歩けるようになっている。さらに、患者はアプリをインストールするだけで無料の保険に加入できる仕組みだ。
医療法人社団プラタナス・桜新町アーバンクリニック院長の遠矢純一郎氏の講演では、在宅医療の領域におけるモバイルICTの活用について語られた。
日本には、2025年に現在の団塊世代の人々が75歳以上になる「2025年問題」があり、この75歳以上というのは介護・認知症・入院のニーズが大きく高まる年齢でもある。こういった人々に対してのケアニーズが爆発的に増えることが予想される中、医療はこれまでの「病気を治療する」という対応から、「病気を支える」というモデルにシフトする時期に差し掛かっていると説いた。
「高齢化社会とは、『多死社会』でもあります。30年後までに40万人以上の人が亡くなっていきます。現在、85%以上の人々が病院で亡くなっていますが、病床はこれ以上増えません。これからは自宅や施設で看取る時代になりますが、それを支えるには今よりも高度な地域連携が求められます」
在宅医療における課題は、開業医の多くが1人で開業していることにある。24時間体制のケアを実現するには在宅医たちの連携が欠かせない。
「私たちはこの5年間、在宅医療におけるモバイルICT連携を進めてきました。クラウド型地域連携システム「エイル(EIR)」を使用してネットワークを構築しています。簡単な掲示板のようなものですが、モバイルから閲覧可能で、在宅医はもちろん、薬剤師やヘルパー、看護師なども連携して、在宅医療に取り組んでいます」
続いて、遠矢氏と同じクリニックに勤務し、ナースケアステーションの所長を務める看護師の片山智栄氏が登壇。訪問看護を担当する片山氏は、地域における医療行為が増える今後、看護師はますます重要な役目を負うことになると話した。
「看護師は専門的な知識を持って患者さんのそばで支える、ということが大事です。在宅の場合、それは病院よりもずっと重要で、そうした看護師の業務効率を上げることは、医療マネジメントの本質であると考えています」
また、これからの時代の看護師には、「技術(アビリティ)」と同時に「適格性(コンピテンシー)」が求められると、片山氏は語る。
「認知症ケアを在宅で行う場合、その人がどうやって食べて、排泄して、運動して…という人間の基本的な動作すべてに関わりながらケアプランを考えていかなければいけません。看護師が見た情報を確実にケアに応用するために、すべての看護師のコンピテンシーが求められます。そして、患者の特徴をすべてのスタッフが理解していること。ここにもモバイルICTの力が必要です」
片山氏は患者のケアに関わるすべての人々にナレッジを共有するために、マニュアル作成ツールの「ティーチミー・ビズ(Teachme Biz)」を使用して、ケアの手順、必要な物品をマニュアル化してスタッフに共有している。
「看護から医療を変えるために、看護ケアをモバイルによって可視化し、データを分析して、より良いものにする。そのナレッジをを他の職種、新人の看護師などに共有していくことで、医療の質を高めていくことが大事だと思っています」
当日はこの他にも多数の登壇者が講演を行った。いずれも現場において高齢化社会における医療のあり方を模索し、ICTを取り入れながら地域社会の医療モデルを改革していく素晴らしい取り組みが語られた。病気を治すだけではなく、地域住民の健康を守り、増進することで、この国の医療が進化していく。このビジョンは、チーム医療3.0のメンバーに共通する視点である。高い志でそれを実践する彼らの取り組みに、今後も注目したい。
医療法人社団プラタナス・桜新町アーバンクリニック院長の遠矢純一郎氏。地域医療の連携の重要性を語った。クラウド型地域連携システム「エイル(EIR)」によって地域医療に従事する他業種の人々の連携を実現した。
医療法人社団プラタナス・桜新町アーバンクリニックのナースケアステーション所長を務める片山智栄氏。マニュアル作成アプリ「ティーチミー・ビズ」によって看護師のナレッジを共有している。スライドでは気管切開チューブの交換手順を解説している。
【保健医療】
厚生労働省が提示した保健医療生政策である「保健医療2035」については、詳細な提言書が公式WEBサイトで配布されている。【URL】http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/hokeniryou2035/
【講演動画】
慈恵大学では当日の講演の様子を収めたビデオを公開している。2時間以上に渡る講演の内容が収められているので、興味のある方にはぜひ視聴してほしい。【URL】https://teachme.jp/r/jikei-open