安城市のペーパーレス議会
2015年11月に発売されたばかりのiPadプロをすでに活用しているのが愛知県安城市議会だ。安城市では28人の市議会議員にiPadプロを配付、ペーパーレス議会を実現した。市議会では、年間1人あたり1万枚という大量の紙を消費する。
市議会が紙を無駄遣いしていたわけではもちろんない。議案や各種計画などは全議員に配付され、問題箇所が議論され、修正される。その修正案が再び配付され、さらに議論されるというサイクルを繰り返すため、どうしても紙の使用量が増えてしまう。これをPDFを利用したペーパーレスにすれば、紙代を節約でき、さらに環境負荷、事務方の作業時間も節約できることになる。
そこで、安城市議会議員は、iPadプロを活用した議会のペーパーレス化を提案。今年2月に導入し、3月から実際の運用が始まった。
その様子を見学したが、各議員は驚くほどiPadプロを使いこなしている。ほかの議員が演説をしている最中は、iPadプロに関係資料を表示させ、中にはWEB検索をして関連情報を確認している議員もいた。また、議員の半数以上は、演説原稿をPDF化し、iPadプロを手に演説している。
「ペーパーレス議会の運用は、3カ月前倒しで始めました」と語るのは、導入の旗振り役を担う坂部隆志議員。当初は準備期間を3カ月と考え、6月の定例会からペーパーレス議会を始める予定だった。しかし、研修を各2時間、計4回行ったところ、どの議員もすぐにマスターしたばかりでなく、「早く使ってみたい」という積極的な声もあがってきた。
いきなり本会議で使って、議事進行に支障が出るのを防ぐため、まず、2月末の全員協議会でトライアルを実施。「そこでは初めてだったこともあり、充電をし忘れた議員がいました。その後のアンケート調査では、うまく使いこなせなかったという議員が2名いました」。しかし、その議員にフォローをすることで、3月の本会議では、全員が問題なく使えるようになっていた。
ただし、紙をまったくゼロにしてしまうわけではない。「紙と電子のそれぞれの利点を探るため、現在は紙と電子の併用です。これを1年かけて、紙を徐々に減らしていき、無理のない範囲で極力紙を削減する計画にしています」。
iPadプロには、基本ツールとしてペーパーレスを実現するためのアプリ「サイドブックス(Sidebooks)」と、グループウェアの「サイボウズ」を入れ、事務局が書類や全体スケジュールの配付、連絡などを行う。MDMなどのセキュリティは特に設定していない。「議員に配付される書類は、すべて公開資料であり、市民の個人情報も含まれていません」。そのため、議員個人の常識的な管理で十分だという判断をした。「万が一の紛失、盗難の場合を考えて、『iPadを探す』機能とデータのリモート消去は事務方からできるようにしてあります」。
衝撃からの出発
安城市議会の事例は、「ペーパーレス議会」として伝えられがちだが、坂部議員の狙いはより高いところにある。「平成22年に、安城市民に向けて、市議会のアンケートをとりました。この結果が衝撃的だったのです。8割の市民が、議会が何をやっているかよく知らないと答えたのです。これでは、議会を信用する、信用しない以前の問題です」。そこから、市議会議員の間に、「議会の見える化」をしなければならないという気運が強まっていった。
議会を見える化するには積極的にICTを活用すること、それにはまず議員がICTデバイスを使うこと、というシナリオが坂部議員が座長を務める安城市議会ICT推進チームによって描かれていった。「私たちのICT活用は、議員の危機感から始まっています。ですから、議員主導で進んだICT活用なのです」。多くの地方議会が、現在ICT活用を進めているが、安城市議会のようにうまくいっているところもあれば、そうでないところもある。うまくいかないのは、事務局が主導して、議員に強制するパターンになっているところが多い。安城市議会の場合は、議員自らがICT化を進めようとしているので、多少のハードルは自らの工夫で乗り越えられるのだ。
「私たちは、ICT導入の目的を、議会の見える化、議員活動の充実、議会活動の効率化の3つに定めています」。各議員は、すでに自分のiPadプロを手に、市内を駆け回っている。市民集会などに出席して、市政を説明する場合でも、iPadでスライドを見せたり、現場で撮影した写真を見せるだけでも、市民への伝わり方が違ってくる。
安城市議会の坂部隆志議員。安城市議会のICT化は、坂部議員が座長を務めるICT推進チームが中心になって進められている。坂部議員は、民間企業出身の議員で、前職はITシステムの法人導入をしていたという。「ハードルは低く、スピードは速く」のツボを得た手法は、その経験から生み出されたといっても過言ではない。
ツボを得た推進手法
安城市議会の導入がうまくいった理由は、この「議員自らが高い目標を設定し、共有できている」という点にあるが、もう1つは「できるだけハードルを低くする」という手法をとったことも大きい。
「タブレット導入時には、アンドロイドタブレットやウィンドウズタブレットを含め、さまざまな機種を検討しました。同じiPadでも、エアやミニだと画面が小さいため、資料を表示するのに、ピンチアウトして拡大しなければならない場合が出てきます。これはICTが苦手な議員にとってはストレスを感じる操作です」。そこに、タイミングよく12・9インチ画面のiPadプロが登場し、書類をほぼ原寸大で表示できるようになった。
議員は複数の資料を比較検討することが多い。では、2つのアプリを同時に使える「スプリットビュー」機能を使うのか。「そこまでは考えていません。当面は、紙の書類との併用がもっとも実用的な使い方だと思います」。確かにiPadの高度な機能を使いこなせば、紙をゼロにすることができるかもしれない。しかし、その操作を覚えるために、あるいは操作に手間どって、議事の進行や議員活動に支障が出るのでは本末転倒になってしまう。一番ICTが苦手な議員に合わせてハードルを低くする、現実的な運用で解決するという姿勢を貫いている。
この「低いハードル手法」は功を奏している。ICTが苦手な議員でも、すでにドロップボックスといった、当初想定していなかったアプリを自発的に使い始めているのだ。「クラウドの説明をすると話が難しくなるので、フロッピー代わりにファイルを保存できる仕組みだと紹介し、そういう感覚で使っていただいています」。
坂部議員は、次なる目標として、議員活動の動画配信をやりたいという。議員が直接市民に語りかける、議員同士の議論を市民に公開する。そういうことも、iPadプロのカメラを使えば、ICTが苦手な議員でも十分できるようになるのだ。「ハードルを低くして、議員にICT利用のストレスを感じさせないようにしたい。同時にICT活用のスピードは速くしたい。そうすることで、議員が気がついたら、ものすごくICT化が進んでいたとなるのが理想です」。
今、全国の地方議会でICT化が進んでいる。その中でも、安城市議会はハードルが低く、効果の大きなペーパーレス議会を入り口にして、市議会改革に乗り出そうとしている。坂部議員は、安城市議会が、全国での先端事例になることをひそかに目指している。
PDF閲覧ビューワアプリ「サイドブックス」。安城市議会iPadの2つの基本ツールのうちの1つ。議会資料は、事務局が一斉配信を行うので、いつの間にか各議員のiPadの中に入っていることになる。ペーパーレスにすることで、膨大なコストと時間と環境負荷が軽減できる。
「議会の見える化」を進めるべく、すでに始まっているのが議員の行政調査等の活動報告だ。安城市議会のWEBサイトで公開されている。iPadプロを活用することで、こうした資料の作成・配信はより容易なものになっていくだろう。
【News Eye】
安城市議会は、議場へのPCや携帯電話持ち込みが禁止されていた。議会中に電話を使わないにしても、必要な関連情報をPCなどで調査できないのには不自由さを感じていた議員もいた。しかし、iPadプロの導入によって、議会中に関連情報をWEB検索できるようになった。
【News Eye】
坂部議員は、最初からiPadの導入を希望していた。なぜなら、操作がシンプルで、使い方を標準化しやすいから。しかし、議会で扱う機器は、公正を考え他社製タブレットも検討対象になる。iPadプロを落札したときは、「これでうまくいく」と安堵したという。