イラスト/灯夢(デジタルノイズ)
「うわっ」
G4 Cube(キューブ)の15インチ液晶ディスプレイに屈み込んでいたタンクトップ姿の大男、ダイク・ファーレンがマウスを放りだした。
覗き込んだおれも思わず目を閉じてしまう。ゾウが死んでいた。
顔を毟(むし)りとられた巨大なゾウが身体を横たえ、その周囲に十名ほどの軍服姿の人影がたむろしている写真だった。象牙を抜くために殺したのだ。ここタイでは、九年前の二〇一六年から象牙の国内取引が厳しく制限されている。これは密猟の証拠写真だ。
写真は大ぶりなグレーのカメラ、QuickTake(クイックテイク) 100から、ADB/USB変換アダプターごしに吸い出したものだ。ノイズまみれの〝ハイレゾ〟─とはいってもVGAなのだが─写真を常連のダイクが米国情報軍にいた頃に親しんだDNN(ディープ・ニューラル・ネットワーク)で、クラウドを使って高解像度処理していたところだった。
バンコクの片隅にApple製品修理店を開き、ようやく軌道に乗ってきたばかりだというのにトラブルとは縁が切れないらしい。
おれはダイクと、この厄介なカメラを持ち込んだ二人組を振り返った。
一人は知人だ。得体の知れないコネクションを持つトビー・早志(はやし)。麻のジャケットにチノパンを合わせた彼は、NPOの代表だと名乗っていた黄色いポロシャツ姿の女性へ満足そうな顔を向けた。年の頃は四十代後半だろうか。ほっそりとした身体と伸ばした背筋には気品を感じるが、短く切った爪に荒れた指先、そして?から下にかけて濃くなる日焼けは貴人のものではない。美人ではある。
「いかがでしょう、陛下(マイ・マジェスティ)」
「陛下?」
女性は「やめてよね」と手を振った。
身体を寄せたダイクが耳打ちする。
「知らなかったのか。二人前の王妃だよ」
思わず居住まいを正したおれに、元王妃は親しみのある笑顔を向けた。
「いいんだって。今は民間人なんだから」
見てごらん、と元王妃が指さした写真の隅に、白い軍服を着た背の高い人物が浮かび上がっていた。刃物で削いだような薄い?を斜めに走る深い皺と酷薄そうな細い目、ロボットアニメの悪役のような顔はニュースで何度も見たことがある。偉大な父に遠く及ばないと言われ続け、五人目だか六人目だかの妻を離縁してやもめになったばかりの男。
国王だ。
*
観光地にもなっている王宮から少し離れたチットラダー宮殿の拝謁室に、王は一人で入ってきた。
無駄に豪奢なテーブルに載せたプリントアウトとQuickTakeに目を走らせた王は、ふんと鼻を鳴らして、おれと元王妃、そしてトビーを順繰りに眺め、トビーに顎をくいと振った。交渉相手に選んだ、ということらしい。
トビーが胸に手を当てて頭を下げる。
「陛下、象牙の取り締まりに協力して戴きたく思いまして、伺いました」
王は見事な英語で聞いてきた。
「日本人か? それとも中国人か?」
偽のタイ人の身分証明を持つおれはひやりとしたが、トビーはあっさりと答えた。
「僕ら二人は日本人です」
「最悪の消費者に言われたくはないな」
トビーが「ごもっとも」と頭を下げる。今も年に数万頭のアフリカゾウが犠牲となっている象牙のマーケットについては、王宮へ来る途中でトビーに聞かされていた。密猟を行っているのはイスラム過激主義者だ。象牙は香港やフィリピン、そしてアジアゾウのいるタイを経由して最終消費地の日本と中国へ運び込まれる。王はそれを指摘したのだ。
「我が国では日本よりも遙かに厳しい法が九年前、二〇一六年から施行された。そこの──」言葉を切った王は元王妃へ視線を送り、しばし迷ってから無難な言葉を選んだ。
「女性から聞いているだろう」
王はQuickTakeを睨み、苦々しげに続けた。
「警察に嵌められたのだよ。視察だというから行ったのに、ゾウ狩りにつきあわされた。確か案内役の子供が持っていたな。まさかカメラだとは思わなかったが」
「陛下はご存じないかもしれませんが、一九九四年──三十年以上も前に発売されたこのカメラは、世界で初めての普及型デジタルカメラです。もう動く個体は百台も残ってないでしょう。そんなカメラでピューリッツァー賞クラスの写真が撮れたということです」
王は鼻で笑い、QuickTakeをとりあげて床にたたき付けた。ABS樹脂ケースのおかげかカメラは床で弾み、足元に転がってくる。
「日本人ふたりを拘束しろ!」
すぐに開いた扉から二人のSPが飛び込んできた。振り返ると、部屋の奥からもう二人のSPが迫ってきていた。
立ち尽くしたおれはSPに両腕を抱えられ、爪先立ちになってしまう。同じように抱えられたトビーが「やっぱりね」と苦笑いする。そのポケットから初代iPhoneから続く呼び出し音_マリンバ_が鳴り響いた。
「安否確認ですよ」と、トビーは胸を指した。保険をかけていたのだ。
王は片眉を上げて出るよう促した。
「ダイク、まだ交渉中だよ──くそっ」
トビーが振り返る。拝謁室のドアが開き、迷彩服姿の兵士に銃を突きつけられたダイクがiPhoneをこちらに振ってみせた。
「ごめんな、トビー。捕まっちまった」
力を抜いてSPの腕にぶら下がるトビーへ冷たい目を向けた王は、胸ポケットから小切手の束を取り出し、元王妃へ歩み寄った。
「こいつらのことは後で考えるが、君を拘束するわけにはいかないからな。いくら欲しい」
「二億バーツ(六億五千万円)」
元王妃は、ゼロがたくさん書かれた領収書を手渡した。但し書きを読んだ王は眉をひそめた。
「寄付?」
「私は本当に、象の密猟を監視するNPOをやってるの。監視団と全頭データベースを作るのよ。王が寄付したなら弾みもつくわ」
「そんなものが役に立つか。私はゾウよりも人気がないのだ。知っているだろう」
「だから寄付してよ。信頼は少しずつ取り戻せる」
差しのべた手に王の視線が揺れる。
なんだ。よりを戻したいだけか。思わず笑いが漏れた。SPが腕を強く握るが、笑いは止まらない。
「なにがおかしい」王が振り返った。
おれはQuickTakeの液晶がアクティブになっているのを確かめて、爪先で角度をつけ、シャッターボタンを踏みつけた。
「ダイク、今撮った写真、戻ったら高解像度処理してくれるかな。ゾウの写真は消してくれ」
ダイクが頷く。トビーは細い目を見開き、おれの顔を穴が空きそうなほど見つめていた。
「おい、蜂谷──」と出かけた言葉を視線で黙らせる。
「両陛下。お似合いですよ」
元王妃の腕は、かつてそうしていたように王の腕に絡んでいた。
「QuickTakeの最後の大仕事がゾウの惨殺死体じゃあ可哀想です。幸せになってください。ついでに、この国にも平安を」
藤井太洋
2012年、セルフパブリッシングの『Gene Mapper』でデビュー。『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門を受賞。