日常とクリエイティビティ
クリエイティビティ。日本語に直せば「創造力」。何かを生み出す能力を示すこの言葉に、どこか、まぶしさや、苦手意識を持っていないだろうか? デザイナー、建築家、映画監督、小説家、写真家…。クリエイティビティを発揮する仕事は、こうした人々に限られていると考えていないだろうか?
しかし皆さんは、日々の生活の中でスマートフォンを使い、写真を撮って加工し、インスタグラムに投稿したり、LINEで友だちに送っていたりするだろう。そのとき、適切な言葉を選んで添えているはずだ。あるいは、短いビデオをフェイスブックに載せたら、10人から「いいね」をもらうかもしれない。そうした日常は、はたして本当にクリエイティビティと遠いものなのだろうか?
アドビは、1982年に誕生して以来、コンピュータでの表現の中心に存在する企業だ。そのアドビは、より多くの人々が「クリエイティビティを活力に」と訴えかける。なぜ、現在は、クリエイティビティが必須となってきたのか?
ITの次はクリエイティブ?
2000年代は「IT革命」という言葉が生まれ、特に情報産業の生産性が飛躍的に高まった。インターネットでのサービスは当たり前のものとなり、スマートフォンの登場でモバイルアプリが生活必需品となった。政府は依然として「IT人材の不足」を指摘しているが、その理由はITという道具が生活に入り込み、より多くの人々が頼るようになったからだ。
諸外国では、子どもへのプログラミング教育にも力を入れている。Code・orgに代表されるように、子どもへのプログラミング普及はいわゆる「IT人材」の層を厚くし、社会全体でテクノロジーの恩恵を得られるようにしようというアイデアだ。コードは、日本においても「大学までの教育」と「社会人の研修」のような断絶がない、一生もののスキルといえる。
加えて米国では、子どもたちにデザイン思考を教える動きが生まれて久しい。デザイン思考とは、創造力を学び、日常に取り入れることができる考え方と説明できる。コードのスキルも含めた、あらゆる知識を「道具」としてフル活用して新しいモノを作り出す、そんな能力のことなのだ。知識だけでは役に立たない。試して作り出すことが、非常に重要だ。
作り出した結果は「アウトプット」として、他の人になんらかの情報や感情を訴えかけたり、他の人の生活を豊かにするだろう。ただし、必ずしもアウトプットが成功することが、クリエイティビティの条件ではない。デザイン思考ではプロトタイピングを推奨しており、試行錯誤から正解を導き出す、その過程を経験することの重要性を説いている。
振り返ってみると、失敗できる環境というのは、人生において驚くほど存在していないことに気づかされる。また、得てして人は失敗したいとは思わない生き物だ。それだけでも、自分で作り出す能力を養う機会が貴重であることを物語っている。
かつて、コンピュータをストレスなく操れる人材はもてはやされ、現在は必須スキルとなった。次は、クリエイティビティあふれる人材が必要とされ、失敗を恐れずアウトプットを繰り出せる能力が当たり前のものとなる時代が訪れるだろう。
創造を活力にする企業
写真を中心とした画像を編集できるフォトショップ(Photoshop)、イラストやポスターなどをデザインできるイラストレータ(Illustrator)、ビデオ編集のプレミア(Premiere)など、アドビはコンピュータの画面から印刷物に至るまでのさまざまなアウトプットを作り出すソフトを提供する。
そんなアドビは、クリエイティビティが企業の活力になる、と訴え続ける。シリコンバレーでも、この考え方に賛同する企業は多く、クリエイティビティを学んだ人材を輩出する大学として、スタンフォード大学デザインスクールも注目を集め続けてきた。
たとえば、企業向け仮想化ソフトウェアを開発するシトリックスは2015年までの5年間、デザイン思考を社内に広める役員を置き、世界中の社員がクリエイティビティに関する講義と実践を行う取り組みを行った。エンタープライズ市場にもクリエイティビティが求められており、これまで効率化以外は無縁だと考えられてきた人間にも、創造性を引き出す機能を作り出すための「経験」が必要になったという。
また、アップルなどのデザイン性に優れたプロダクトを生み出す企業も、いきなりそのデザインが生み出せたわけではなく、山のような失敗を積み上げた結果、iPhoneで2年、Macでは5年近くも変わらない普遍的なモノを作り出しているのだ。
アップルのハードウェアデザインチームで仕事をしていたデザイナーに話を聞くと、「日本の企業では年に1つしか作らせてもらえないモックアップを、アップルでは1つのプロジェクトでいくつも作らせてもらえた」という。手に持たなければデザインの成否がわからないからで、失敗を認識するためでもあった。
3Dプリンタが安価で手に入るようになり、多くのデザイナーがアップルのようなデザインプロセスを踏めるようになったことの価値を、象徴するようなエピソードともいえる。そして、その試行錯誤はハードウェアだけではない。画面の中の小さなパーツであっても対象となる。
アップルウォッチに採用されたリング状のアクティビティトラッカーのグラフは、当初3段のバーや三角、四角といったさまざまな形状が検討されたという。しかし結果的には3連リングのデザインが採用された。その背景には、文字盤に小さく配置してもわかりやすく、またリングの大きさで重要度を表現し、さらに目標を上回ってからもカウントし続けたいという、満たすべきニーズへのチャレンジがあったのだ。
世の中で評価されるのはアウトプットだけだ。しかしそのアウトプット前の過程の経験は、人々や企業の活力として蓄積され、次の製品のアウトプットで新たな顧客の評価を受ける。これが、クリエイティブが企業でも求められる理由ともいえるだろう。
モバイルで創造の世界へ
さて、再び皆さんの手元にあるスマートフォンに話を戻そう。インスタグラムで写真を投稿する際、いろいろなフィルタを順番にかけたり、個別の色味や明るさを調整したり、自分の思いどおりの仕上がりになるよう試しているとする。非常に短い時間ではあるが、これもまた、クリエイティビティに基づくミクロな試行錯誤、と評価してみてはどうだろうか。
しかも、電車の中やカフェで一息ついたときなど、「さあ写真を編集しよう」とわざわざ時間を作るのではない。スマートフォンにより、クリエイティビティを発揮する瞬間は、いつでもどこでも誰でも、という時代になったのだ。
アドビもそこに目をつけ、1つずつの機能に特化したモバイルアプリを多数リリースする。写真の仕上げを行うライトルーム(Lightroom)、顔を認識して表情まで変えることができるフォトショップ・フィックス(Photoshop Fix)、写真からイラストや柄を作れるキャプチャCC(Capture CC)など、スマートフォンのカメラを使ったちょっとした作品作りを行える環境は、すでに無料で整っているのだ。
あとは、日常に潜んでいるアイデアや、クリエイティビティを発揮すべき瞬間を逃さず、アウトプットを作り出すことができるかにかかっている。クリエイティビティは、もはやプロフェッショナルだけのものではなくなった。それは、ツールの面だけでなく、現代の我々の生き方そのものとして、取り込まれようとしている。