アップルのデザインスタジオ
昨年末に米国でテレビ放送されたアップルの特集「インサイド・アップル(Inside Apple)」は2つの点から世間の耳目を集めた。まず、アップルが頑ななまでに外部が足を踏み入れるのを拒んできたデザインスタジオや開発ラボにテレビカメラが入った。そして法人税問題、暗号化、中国依存など、アップルを取り巻くさまざまな問題について、ティム・クックCEOがときに感情をあらわにしながらインタビューに答えた。
開発施設の撮影は許可されたものの、当然ながら開発中の製品は非公開。デザインスタジオでは、設置されているテーブルの多くにグレーの布がかけられていた。 「なぜ?」と尋ねるレポーターのチャーリー・ローズ氏に、アップルのデザインチームを統括するジョナサン・アイブ氏は「キミたちにその下を見られないように」と、微笑みながら即答した。開発チームは次の製品だけではなく、その次の製品もすでに手がけ始めており、未来のアップル製品のプロトタイプがスタジオにはある。
ここではアイブ氏がアップルウォッチやiPhone 6シリーズの試作の経緯を語り、ハードウェア担当のダン・リッキオ氏が加わってMacBookを例に「0.1ミリもムダにしない」設計哲学を説明した。
アップルがモックアップ(試作品)を作るのは製品だけではない。倉庫を使い、巨大なアップルストアのモックストアを設けている。施設を案内したのは、小売部門を切り盛りするアンジェラ・アーレンツ氏。アップルストアの体験でもっとも重要なのは「ダイナミズム」と述べた。ユーザは普段、アップル製品の世界に浸りきっている。そうした感情や夢中になれる気持ちを、人々がアップルストアに足を踏み入れたときに思い起こさせるよう、モックストアでは毎週「リハーサル」と呼ばれるミーティングを行っている。
米CBSの人気報道番組「60ミニッツ」が特集した「インサイド・アップル」。番組中、デザインスタジオにて取材を受けるジョナサン・アイブ氏(右)とレポーターのチャーリー・ローズ氏(左)。iPhone 6/iPhone 6プラスの開発では、サイズの異なる10種類のプロトタイプを作成し、2つのサイズを選択。「触った感じではなく、感情的に、それらが正しいサイズだと感じたからだ」とアイブ氏は語る。
Inside Apple, part one – Videos – CBS News【URL】http://www.cbsnews.com/videos/inside-apple-part-one/
アップルが手がける最大のプロトタイプ、アップル・リテールストアのモックストア。アップル製品に触れたときと同じように、リテールストアに入ったときにも「わぁ!」という感嘆の声が聞かれるようにストア体験を磨き上げる。
ライバルは自社製品
クック氏およびエグゼクティブへのインタビューで、ローズ氏はユーザや投資家を代弁するような質問を続けた。
【製品の競合】たとえば、製品同士の食い合いだ。昨年はタブレットのライバルになりそうなノートブックのMacBookと、逆にノートブックを不要にしそうなタブレットのiPadプロを発売した。そうした製品同士が市場を奪い合うリスクについて、マーケティングを担当するフィル・シラー氏は、それは「意図的なもの」と答えた。iPadの開発チームはノートブックが不要と思わせるぐらい素晴らしい製品を目指す。同様にMacBookチームも最高のノートブックを追求している。それぞれが他と競争することで互いに進化する。
【暗号化】テロ事件の深刻化とともに、アップルのコミュニケーションの完全暗号化を危ぶむ声が高まっている。クック氏は犯罪利用などを調べられるようにバックドアを設けることもまた大きな危険であり、プライバシーと国家安全保障をトレードオフの関係と見なすのは誤りであると述べた。どちらも解決されるべき重要な課題であるというのが、アップルの見方だ。
【法人税問題】低税率国を利用してアップルが払うべき法人税を支払っていないという批判に対しては「まったくの政治的なたわごと」と切り捨てた。税制に一切違反しておらず、産業時代の遺物でデジタル時代にそぐわない現在の税制のあり方に問題があり、その改革を訴えた。
【中国への依存】製造を海外、特に中国に依存している点については「労働コスト」ではなく「スキル」が理由であるとした。ローズ氏が「米国やドイツよりも…」と苦笑すると、それを遮って、今や米国では職業訓練を要するようなスキルが軽んじられる一方で、中国ではそれが教育に組み込まれ推進されていると説明した。
【人権意識】番組では、クック氏の人権を重んじる一面にもスポットライトが当てられた。製造を委託する中国の工場の労働環境問題に関して、アップルは労働時間を週60時間以下に抑え、さらに労働に見合うように賃金を引き上げるよう求めている。実際の改善は遅れているが、厳しく取り組み続けることで、「世界を変えられる」とクック氏は断言した。またゲイを告白したことを聞かれると、マイノリティが自身のユニークな価値に自信を持つきっかけになれば、相互理解が進み、真の平等に近づけるとした。
カメラモジュールの手ぶれ補正機能やキャリブレーションについて説明するグラハム・タウンゼンド氏(右)。カメラの開発には800人ものエンジニアが携わっているという。だからこそ、iPhoneのカメラはスマートフォンの各世代において、もっとも自然で美しい写真を撮影できる。
アップルが伝えたかったこと
番組の冒頭でクック氏は、アップルについて「スティーブ(ジョブズ)の会社として生まれ、今もそうあり続けている」と述べた。しかし、今日のアップルは、ジョブズ時代のアップルとまったく同じというわけではない。かつては極秘施設だった開発ラボの撮影を許可し、CEO以外のエグゼクティブが公の場で発言する機会も増えた。すべてを秘密のベールに包むのはミステリアスな効果を生み出すが、あらぬ誤解も招く。時価総額にして世界最大の企業としての振る舞いが求められており、共有すべき情報は公開し、株価の維持にも努めなければならない。
2015年にアップル株は伸び悩んだ。iPhoneは好調だが、その依存が年々進んで売上高の6割以上を占めている。そうした中、先進国ではスマートフォン市場が飽和に達しようとしている。また中国は巨大な可能性である一方でリスクも大きい。中国経済の減速でアップル株が下落したように、これまでの中国戦略の成功が逆にアップルの先行きを不透明なものにしている。
「60ミニッツ」で取り上げられた問題は、いずれもアップルの株価に影響する不安材料であり、その払拭のためにアップルが老舗報道番組を利用したとも見てとれる。すべての製品が競争しているというシラー氏のコメントは、iPhoneの成功に浸らず、アップルのほかの製品がその強力なライバルであることを思わせる。また、クック氏が「多様性」を強く支持するのは、スマートフォンが成長する余地のある新興市場を意識した発言という見方もできる。
2013年「60ミニッツ」がアマゾンの特集を放送したとき、ドローンで商品を配送する「プライム・エア」を公表し世間を驚かせた。開発段階のプロジェクトを大々的に公表して投資家の関心を惹くのはIT企業の常套手段だ。かつてアップルにも株価対策の材料をメディアに提供し、投資家や開発者、ユーザの心をつなぎ止めようとした時期があった。しかし、プロジェクトを形にできずに倒産寸前まで追い込まれ、復帰したジョブズ氏が満足度の高い製品の提供に集中する組織に作り変えた経緯がある。
テレビ番組を利用するアップルは、株価の推移に一喜一憂する企業に戻ってしまったのだろうか。そうではない。番組の中で同社は、株価を吊り上げるためのアドバルーンは一切揚げていない。では、いったい何のための「60ミニッツ」だったのか。
アップル製品が人々の生活に深く浸透する今、アップルは大きな社会的責任を負っている。これまでのように満足度の高い製品やサービスを実現するだけではなく、企業活動から派生したさまざまな課題も解決していかなければならない。そのためには、キーノートで製品やサービスを発表するように、その責任の果たし方も効果的に伝えていく必要がある。大きな負担ではあるが、そのことが、ひいてはアップルが目指すイノベーションの実現につながっていくのだ。
アップルのエグゼクティブは、毎週月曜の朝に行われるエグゼクティブ会議の参加が義務づけられている。「60ミニッツ」が会議の様子を取材することはできなかったが、エグゼクティブが揃う会議室内の撮影は許可された。
番組に登場した主なエグゼクティブ
ティム・クック
最高経営責任者(CEO)
就任から4年半、製品機種の拡充、大型提携・買収、企業的社会貢献など、ジョブズ時代と一線を画すアップル像を作り上げている。2014年にゲイであることをカミングアウト。
ジョナサン・アイブ
最高デザイン責任者(CDO)
番組では「ジョブズ氏とDNAをもっとも共有する人物」と紹介された。ソフトのUIから製品パッケージ、アップルストア、新キャンパスまで、アップルのあらゆるもののデザインに携わる。
ダン・リッキオ
ハードウェアエンジニアリング担当副社長
専門は機械工学。今日あるアップル製品の多くの開発に関わってきた。限られたスペースで巧みに性能を引き出し、デザインチームのデザインを活かす頼れる存在である。
アンジェラ・アーレンツ
リテール&オンラインストア担当副社長
ファッション業界で磨かれたセンスをアップルにもたらした、前バーバリーCEO。アップルを世界的に通用する一流ブランドに引き上げようと、イメージ戦略の改革に取り組む。
フィル・シラー
ワールドワイドマーケティング担当副社長
1997年にエグゼクティブチームに加わったベテラン。昨年末からアップストアの統括責任者を兼務する。番組では「製品同士の競争」を説いたが、それらをエコシステムでまとめる。
【NewsEye】
「60ミニッツ」の放送開始は1968年。もうすぐ50周年を迎える長寿番組だ。2011年にスティーブ・ジョブズ氏が亡くなったときには、伝記『スティーブ・ジョブズ』の著者であるウォルター・アイザックソン氏のインタビューを軸に、ジョブズ氏の特集を放送している。
【NewsEye】
取材チームは、新キャンパスの建設現場も見学した。その空撮にはGoProのカメラが用いられていたのだが、「60ミニッツ」がアップル特集の中でわざわざ「GoPro」の名前を紹介したことで、アップルがGoProと提携、またはGoProを買収するのではないかという噂が広がった。