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価値・ニアゼロ

著者: 藤井太洋

価値・ニアゼロ

イラスト/灯夢(デジタルノイズ)

「ジャンボ、後金だよ」

マシャマ・カンジャンガは運転席のサンバイザーから輪ゴムで丸められた緑色の紙幣の筒を取り出して、おれの膝に投げた。

その筒を葉巻よろしく口に咥(くわ)えて笑ってみせる。火までつければドン・コルレオーネ気分が味わえるかと一瞬思ったが、こんな紙くずで粋がっても仕方がない。史上最高額が印刷された一〇〇兆ジンバブエ・ドル札だ。通貨として有効だった頃の価値は二十円ほど。

「冗談が言えるのか。安心したよ」

カンジャンガは親指を立ててみせた。

「土産だ。コレクターに売るといいよ」

滑らかな漆黒の肌と、丸みのある筋肉が紫色のカーディガンごしに盛り上がる体格はアフロ・アフリカンのものだが、話す英語と仕草はカリフォルニアの起業家と変わらない。それもそのはず、カンジャンガはGPUプロセッシングでビットコイン採掘(マイニング)の先頭を走っていたプレイヤーだったのだ。

ただトップの座にいたのはわずか半年。資金力のある競争相手が専用チップ(ASIC)を使い、中国に工場を作るに及んで彼は首位の座から滑り落ちた。サンフランシスコの高い電気代に音を上げオレゴンへ、テキサスへと住む場所を変え、出所不明の検品落ちGPUボードに手を出すようになった。それですら割に合わなくなった彼はおれを呼びつけて亡霊のような顔でサーバー群を売りつけ、アメリカを離れると口にした。

「残金の二〇BTC(ビットコイン)はいつ払う?」

日本円で百万円ほど。前金の八〇ビットコイン──四百万円ほどは仕入れと輸送費で使い切ったので、残りはおれの利益になる。カンジャンガは言いにくそうに口を開いた。

「一六にまけてくれないか? 年内に三割ほどは値上がると思う」

「三割だと二〇・八にしかならんじゃないか。一九は欲しいよ──」と交渉した結果、一七・五BTCに落ち着いた。値切られることは織り込み済みだし、その程度はくれてやるつもりだった。

彼の計画は成功しない。

おれが持ってきたのは〈フォックスコン〉の工場から横流しされたiPad Proのジャンク基板、一万枚だ。脱獄済みのiOSにはカンジャンガが書いたビットコイン採掘(マイニング)アプリがインストールされている。巨大なRetinaディスプレイのために開発されたPowerVR 7XTの十二コアをフルに使う優れものだ。

目の付け所は悪くない。億の単位で製造されるApple製品のジャンクパーツは、おれのようなルートを通せば潤沢に手に入る。

そして彼が選んだ場所は、中国政府が作った太陽光発電プラントに隣接された、パネル清掃員の暮らす村だ。電気代がタダ──というよりも国立公園のど真ん中なので、人が住んでいないことになっているのだそうだ。

だが、従量制の遅いインターネット接続しかないジンバブエで、採掘用のデータを一日に何度もダウンロードするようでは、成功は覚束ない。それは伝えた。

それでもいいから基盤を都合してくれ、とカンジャンガは頼んできたのだ。

赤茶けた道路をシマウマの群れが通り過ぎていった。

地平線にオレンジ色の筋が走り、日が落ちた。おれはコンロに火を入れてパーコレーターのコーヒーを湧かしなおし、支柱を背に地面に腰を下ろした。

パネルの隙間から青黒い空を見上げると、日没の直後だというのに天の川がうっすらと見える。

カンジャンガは二つ先の支柱の下で、iPad Proの基板を百セット詰め込んだ箱に座り、MacBookを睨んでいた。採掘のテストをしているのだが二時間ほど、しかめ面でモニタを睨んでいる。GSM回線ではブロードバンド接続している採掘業者との競争に勝てないのだろう。

おれは光を増していく天の川を見上げながら、カンジャンガにかける言葉を探した。問題はインターネットの接続速度だけではない──と、空が真っ黒な影で覆われた。

「ジャンボ……衛星インターネットの機材は手に入るか?」

おれはコーヒーをアルミのマグカップに注いで渡した。

「マシャマ。ビットコインはやめろ。だいたいお前、今年夏に行われるプロトコルの変更、聞いてるか?」

カップに手を伸ばしてきたカンジャンガの目がまん丸に見開かれた。

「なんだって?」

「以前から噂のあったブロックサイズの動的変更が始まるらしい。対応する専用チップ(ASIC)のデータがコミュニティに流れ始めたそうだ。GPU勢は全滅するかもしれん」

「……そんな」

カンジャンガの肩が落ちた。

トップ採掘者(マイナー)だった頃のカンジェンガならば、サンフランシスコのカフェで交わされる情報に触れる機会もあっただろう。それどころかルールを作る側にすら立てたかもしれない。

「何か別のことを考えた方がいい。例えば……そうだな。電気とか。このプラントからちょいと盗んで、バッテリーに詰めて街まで売りに行くとかさ。いや、街じゃだめか──」

それからいくつか物になりそうもないアイディアを話していると、ぽつり、ぽつりと反論していたカンジャンガがふと顔を上げた。

「ここの暮らしを売るのはどうだろう」

「やめとけって。エコやロハスは先進国の遊びだよ」

「そうじゃない。この国の人々が文明的な生活を取り込む過程に価値をつけるんだ。たとえば灯油のランプをやめて太陽電池つきのLEDに替えるとする」

「それで?」

「二酸化炭素の排出量が減る。売るんだ。排出量取引(カーボンオフセット)を個人に解放するんだよ。買い付けにブロックチェーンを使う」

「あ……」

「牛糞を燃やすのをやめて、断熱材と電熱器を使う。焼き畑農法をやめて地道に灌漑(かんがい)した畑を作る。スプリンクラーは太陽光発電で動かせばいい。テクノロジーのある暮らしは、伝統的なスタイルよりも環境に優しい」

カンジャンガは言葉を強めた。

「原資はおれが国際市場から買い付けてくる。それを分配するんだ」

おれはiPhoneで排出枠の価格をざっと調べてみた。

「相場は1二酸化炭素排出トン(tCO2)あたり二ドル程度だぞ。灯油ランプを一日やめたって、一セントの何百分の一かにしかならないじゃないか。分配というが、どうやってそんな小さな金を支払うんだ」

「ここはジンバブエだ」

カンジャンガはにやりと笑って、ポケットから輪ゴムで巻いた緑色の札束を取り出して咥えた。

「捨てるに捨てられないジンバブエ・ドルが、国中に残っているんだ。灯油ランプを一日やめれば一億ジンバブエ・ドルになる。法定の通貨じゃないが、流通させれば価もつくさ」

コンロで札束の筒に火をつけたカンジェンガは、?を膨らせて煙を吸いこみ、吐き出した。プラスチックの燃えた刺激臭がたちこめる。たまらずむせたおれの目の前で、カンジェンガは不敵な笑いを浮かべていた。

「見てなよ。こいつをカーボンオフセット市場の主要通貨にしてみせるさ」

藤井太洋

2012年、セルフパブリッシングの『Gene Mapper』でデビュー。『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門を受賞。