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今、問われる「誰のためのデザイン?」

UI/UX研究の大家の苦言「アップルはデザインを貶めている」

著者: 山下洋一

UI/UX研究の大家の苦言「アップルはデザインを貶めている」

古いデザイン手法に回帰

米ビジネス雑誌「ファスト・カンパニー」に掲載されたドナルド・ノーマン氏とブルース・トグナツィーニ氏のコラム「いかにアップルがデザインを貶めているか(How Apple Is Giving Design A Bad Name)」が論争を巻き起こした。グラフィカルユーザインターフェイス(GUI)でコンピュータを変えて以来、アップル製品は使いやすくてわかりやすいという評価を得ている。だが、近年のアップル製品はシンプルで見た目は美しいものの、そのユーザインターフェイス(UI)やユーザエクスペリエンス(UX)はデザインの原則を見失っていると2人は厳しく批判している。

ノーマン氏とトグナツィーニ氏は、UI/UX研究で大家と呼ばれる存在である。また、アップルのヒューマンインターフェイスの発展に深く関わってきた。ノーマン氏は認知心理学の第一人者であり、1993年にアップルフェロー、そしてユーザーエクスペリエンス・アーキテクトという肩書きでアップルに入社し、同社の研究部門ATGの副社長になった。トグナツィーニ氏は1978年から14年間、アップルに在籍した。ユーザインターフェイスグループの創設者であり、最初のヒューマン・インターフェイス・ガイドラインを作り上げた。

ノーマン氏らは、使う人を中心に置いて、その必要性を読み取り、人々を助けられる製品やサービスを提供するのがデザインの本分であるとしている。美しく仕上げるのはモダンデザインにおける一部でしかない。ところが、今日のアップルは見た目を何よりも重んじる古い考えに回帰し、本当の意味でのデザインを破壊していると手厳しい。

ドナルド・ノーマン氏は現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校のデザイン研究所のディレクターを務め、ノースイースタン大学のエンジニアプログラムなどにも関わっているが、主にニールセンノーマングループのコンサルタントとして活躍している。

【URL】http://www.jnd.org/NNg-Photographs/NNg-photographs.html

ブルース・"トグ"・トグナツィーニ氏は、アップルを退社してからサン・マイクロシステムズやウエブMDを経て、現在はニールセンノーマングループでノーマン氏、ジェイコブ・ニールセン氏とヒューマン-コンピュータ・インタラクション研究のドリームチームを結成している。

【URL】http://asktog.com/atc/about-bruce-tognazzini/

製品デザインのバイブルのような存在であるノーマン氏の『The Design of Everyday Things(誰のためのデザイン? ー認知科学者のデザイン原論)』、1988年に最初に出版されたときは「The Psychology of Everyday Things」で、タイトルに「デザイン」が含まれていなかった。

UI/UXの5つの原則

2人の批判の矛先は、特にジェスチャ操作を基本とするiOSに向かっている。その開発・進化の過程で5つの原則を捨ててきたという。1つは、ひと目見ただけで可能なアクションがわかる「見つけやすさ」。iOSのインターフェイスは見ただけでは、テキストなのか、タップできる部分なのか判別しにくいところが多々ある。タップの回数や触れている長さ、上下左右からのスワイプの違いなどで起こるアクションも想像できない。アクションの前に何が起こるかを予想できる「フィードフォワード」にも欠け、さらにアクションの後に何が起こったかを理解できる「フィードバック」もわかりづらいと指摘している。

また、プラットフォームを通じた「一貫性」がないため、ユーザが突然の変化に戸惑ってしまう。たとえば、iPhoneのキーボードは回転させるとレイアウトが変わってしまう。

そうした予想しにくいUIでは失敗が多くなる。特にタッチディスプレイでは意図せずに触れて動作する操作ミスが起こりやすい。だから、失敗してもやり直せる「リカバリ」が重要になるが、iOSにはOS全般でいつでも利用できるアンドゥ機能が用意されていない。

もし失敗してもすぐに戻れるなら、ユーザは安心して操作を楽しめる。基本をマスターしたうえで簡単により高度なタスクに挑むのを支援する「成長の後押し」もUXの原則の1つだという。iOSの操作は、アプリを選んだり、写真を拡大/縮小するといった簡単な操作は直観的に感じ取れる。ところが、少しでも複雑な作業、たとえば複数の写真の選択やテキストのフォーマット変更などを行おうとすると戸惑う。高度なタスクを習得するにはユーザの努力が必要になる。

アップルはマニュアルがなくても使えるとアピールするが、ジェスチャ操作は試してみないとどのようなアクションになるのかわからない。それはマニュアルが必要なUIであるとノーマン氏。

iOS 9で「前のアプリに戻る」機能が実装され、たとえば検索結果からマップを開いた際にワンタップで検索に戻れるようになった。こうしたiOS 9の改善をノーマン氏らは評価しているが、導入までに長い時間がかかったことに不満もあるという。

iOSにはアクセシビリティ機能として「シェイクで取り消し」が用意されている。iPhoneを振って、入力ミスなどを取り消せるリカバリ機能だが、その存在を知っていて活用しているユーザは少ない。

複雑なデザインも必要

シンプルな見た目は、必ずしも使いやすさにつながらない。それはコンピュータと人のインタラクションに関する数々の論文で指摘されている。ユーザの理解を促す簡素化も、シンプルにし過ぎるとわかりづらくなり、ユーザが迷ってしまう。場合によっては美しくなくとも、丁寧にユーザを導くことが必要になる。ノーマン氏らの目に今日のアップル製品は、重要なコントロールをあいまいにしたり、または取り除いて複雑さを隠していると映る。シンプルでエレガントな見た目は、より使いやすくするためではなく、販売を促進する効果でしかないという。

OS XはMac OS時代の遺産が貯金になっており、iOSに比べるとUI/UXの原則が守られている。それでもiOSの要素を取り入れて、次第に原則を失おうとしている。またアップルの成功に影響を受けるグーグルやマイクロソフトも同様の問題を抱えているという。

ノーマン氏らのコラムは瞬く間にネット上で多数の人に共有され、賛否両論の論争が広がった。2人はモバイルデバイス製品のUIを手がけてはいない。画面の大きなパソコンで培われた原則を、そのまま画面の小さなモバイルデバイスに当てはめるのを疑問視する人もいる。そうした声に対してノーマン氏らは、UIやUXの原則はデバイスの仕組みではなく、人々のニーズや欲求、人の仕組みに基づいているから昔も今も変わらないと述べる。20年前のコンピュータでも、今日のスマートフォンのUIでも同じように効果を発揮し、これからも人々の必要性を満たし続けていくと主張する。

アカデミックとリベラルアーツ

アップルは本当にUI・UXの原則を見失ってしまったのだろうか? 頑固にヒューマンセントリックなデザインにこだわるノーマン氏とトグナツィーニ氏は、フリーソフトウェア運動のリチャード・ストールマン氏を思わせる。ストールマン氏が主張する自由なソフトは、多くの開発者に大きな影響を与えた。しかし理想の域を出ず、ビジネスとしてフリーの価値を開花させたのはフリーソフトではなく、オープンソースだった。これらは同じように“自由”に使えるソフトと見なされるが、哲学が異なる。ハッカーや研究者を主なターゲットにしたアカデミックな思想であるフリーソフトに対して、ハッカー以外の人たち、特にビジネスの世界の人たちの関心を引く仕組みとしたのがオープンソースである。ストールマン氏に言わせると、オープンソースのライセンスは自由の原則に反している。

ノーマン氏らのデザイン論は、UIやUXの今日に至る進化の基盤と呼べるものである。普遍的とも言えるだろう。だが、アカデミックで純粋な思想であり、スティーブ・ジョブズ氏が復帰してからのアップルとは哲学が異なる。2010年のiPadイベントで、ジョブズ氏はアップルの立ち位置を「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」と表現した。ヒューマンセントリックな設計を含むテクノロジーを、美的価値を備えた実用品に昇華させているのが今日のアップルである。たとえば、MacBookシリーズの蓋で光るリンゴのロゴは、ディスプレイを開いたときにリンゴの向きが上になるようにデザインされている。それはトグナツィーニ氏に言わせると、MacBookをたくさん売るためのデザインである。でも、そうしたユーザビリティとは関係のないこだわりに、アップル製品を使う喜びを感じるユーザは多い。

ノーマン氏らが指摘するように、ジョナサン・アイブ氏がデザインを統括するようになって、ユーザビリティよりもビジュアルに振り子が振れ過ぎているのかもしれない。だが、デザインに正解はない。答えがあるとしたら、唯一それを導き出せるのはデザインの中心に置かれた我々ユーザである。

今日のアップルの立ち位置をあらわす「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」、アップルは、使いやすさを含めて人の心を動かすデザインを目指している。

アップルの売上に対する研究・開発支出の割合の変化。90年代後半は5%を超えていたが、2007年以降は3%前後を推移。研究目的から製品を見据えたリサーチに集中、こうした変化にもノーマン氏が在籍していた頃との哲学の違いが現れている。

【News Eye】

ドナルド・ノーマン氏とブルース・トグナツィーニ氏がiOSのUIやUXの問題点を指摘するのは今回が初めてではなく、これまでに何度もニールセンノーマングループのブログなどで取り上げてきた。2015年になって論争が広がったのは、共感する人が増えているためかもしれない。

【News Eye】

ドン・ノーマン氏らが率いたリサーチラボATG(アップルアドバンスドテクノロジーグループ)は1986年に開設された。ヒューマン-コンピュータ・インタラクションや言語認識などを研究、QuickDrawなど数々の技術が誕生したが、1997年にスティーブ・ジョブズ氏が復帰した際に閉鎖された。