Mac業界の最新動向はもちろん、読者の皆様にいち早くお伝えしたい重要な情報、
日々の取材活動や編集作業を通して感じた雑感などを読みやすいスタイルで提供します。

Mac Fan メールマガジン

掲載日:

なぜMacの標準フォントが新しくなったのか?

著者: 牧野武文

なぜMacの標準フォントが新しくなったのか?

紙の書体から電子の書体へ

アップル製品のシステム標準フォントがサンフランシスコ(San Francisco、以下SF書体)に変更された。日本語環境ではこれにヒラギノ角ゴシックが組み合わされる。SF書体はアップル・ウォッチの採用を皮切りに、iOS 9以降のiOSデバイス、OS X10・11エルキャピタン搭載のMacに次々と採用された。

Macでは従来のシステムフォントはヘルベチカ(Helvetica)書体が使われていた。このヘルベチカは1957年にスイスのハース鋳造所の活字としてデザインされたもの。つまり、印刷用書体だった。一方でSF書体はアップルがディスプレイ表示用にデザインしたオリジナル書体。いよいよ、字のデザインも紙から電子を主眼に置く時代になったのだ。

このSF書体には、ディスプレイ表示用にさまざまな工夫がされている。たとえば、特に小さいサイズでの表示を意識したSFコンパクト(SF Compact)書体では、丸みのある文字の横が直線的にデザインされている。これによって文字の分離がよくなり、小さい文字でも読みやすくなるのだ。

さらに、人間の視覚の錯覚も考慮されている。たとえば、同じ大きさの四角と丸を並べると、丸のほうが小さく感じてしまう。そこで、丸い文字はやや大きめに、四角い文字はやや小さめにデザインされている。また、ナンバー記号(#)は普通にデザインすると、目の錯覚により中心の穴の部分が小さく見えてしまうのでわずかに大きめにデザインされる。

工夫はそれだけではない。文字が小さくなると、s、a、eという小文字はすべて○に近く見えるようになり、判別が難しくなっていく。そこでSFコンパクト書体では、文字画を短くして間隔を取り、なおかつ外側の丸みはやや大き目にしている。こうすることで、小さな文字であっても文字の判別がしやすくなるのだ。

新しい時代のアクティブなフォント

このような文字のデザイン上の工夫は、活字書体でもそれなりに行われていた。SF書体が従来の活字書体とまったく異なるのは、ディスプレイならではの新しい工夫がされている点だ。

SF書体には大きな文字用に最適化されたSFと、小さな文字用に最適化されたSFコンパクトの2種類があるが、この使い分けはなんと自動切り替えなのだ。使用サイズが20ポイント未満になると、システムが自動的にSFコンパクトを使うようになり、しかもSFコンパクトに切り替わると自動的に文字間隔が大きく調整される。こうすることで、自然な印象を受け、読みやすくなるのだ。

さらに面白いのは、記号フォントに関してさまざまな細かい工夫がされていることだ。「+」や「:」(コロン)といった記号は、中心が行の中心になく、やや下がった位置にデザインされている。gやj、p、q、yといった下にはみ出る文字が多いので、中心を行の中心にしてしまうと、このような文字と上下がずれているように見えてしまい、全体がガタついている印象になってしまうからだ。しかし、数字だけの場合、このような下にはみ出る文字はない。数字の中で+や:を使うと、今度は記号が下がっているような印象を受けてしまう。そこで、数字の中に記号を使う場合は、これらの記号をセンタリングしてくれるのだ。

実はこのような細かい調整は、以前はデザイナーが辛抱強く手作業で行っていた。一文字一文字手動で調整していくのだから、その作業をしているデザイナーの背中には妖気が漂うほどだ。美しい本を作りたいと願うデザイナーは、このように人からは評価されづらい努力を重ねていたのだ。しかし、DTPが普及して媒体が紙から電子に移行する中で、このような努力は「生産性を落とすだけの無駄な努力」「デザイナー個人の趣味」とみ見なされるようになり、世の中から“美しい本”は急速に消え去っていった。アップルは、このような“美しさ”を、コンピュータの力で復活させようとしている。

1984年へのオマージュ

ただし、アップルが復活させたいのは“美しい本”ではない。美しい“ユーザインターフェイス”を画面で実現しようとしているのだ。iOS 8から現実の質感を模倣したスキューモフィックデザインが廃され、たとえばプッシュボタンのグラフィックなども文字要素に置き換えられた。このいわゆる“フラット”デザインの眼目は、多様性と統一感の両立にある。つまり、さまざまなアプリが独自のデザイン言語に基づいて独自の味わいをもったデザインが登場してきてほしい。しかし、あまりにさまざまなデザインのアプリが登場すると操作の統一感が失われ、ユーザが操作するときに戸惑うことになってしまう。

この矛盾をグラフィックボタンで解決することは難しい。グラフィックをそれぞれの開発者に任せれば操作の統一感が失われ、アップルが標準グラフィックボタンを用意すればデザインの多様性が失われる。これを解決するには操作ボタンをもっとも主張が少ないミニマムな要素=文字にするしかない。つまり、もはや文字は操作要素そのものになっているのだ。だからこそ、アップルはディスプレイ用の書体をわざわざデザインしたのではないだろうか。

このサンフランシスコというネーミングも面白い。1984年に初代Macintoshが登場したとき、7つの英文書体が内蔵されていた。そのうち5つは活字系書体を流用したものだったが、システムフォントのシカゴ(Chicago)とサンフランシスコは当時のアップルがオリジナルにデザインしたものだった。シカゴは当時の解像度の低いディスプレイでも見やすいようにゴシック系でありながら、縦の文字画は太く横の文字画は細いというものだった。縦棒部分が強調されるので、読みやすいという特徴があった。

さらに面白いのはサンフランシスコで、一部からは「誘拐犯が雑誌を切り貼りして作った脅迫状のようだ」と酷評もされた。ベースラインもずれていて文字のデザインテイストも1文字ごとに異なる。それでいながら書体としての統一感は失われていないという力作だった。書籍や手紙の本文としてはまったく使えない書体だが、グラフィックとともに使うと、とたんにポップな味わいになる。重要なのはこれが「コンピュータのディスプレイだから成立し得るデザイン」という点だ。

アップルは1984年にコンピュータでしか実現できない表現に挑戦していた。そして2015年、同じ名前のサンフランシスコ書体で、デジタルデバイスでしかできない新たな表現に挑戦している。アップルがなぜこの新フォントをサンフランシスコと名づけたのかは明らかにされていないが、1984年のことが頭にあったのではないかと想像する。

以前のシステム標準フォントだった「ヘルベチカ(Helvetica)」(上)と新しいシステムフォント「サンフランシスコ(San Francisco)」(下)。一見して大きな違いがないように思えるかもしれないが、SF書体のデザイン思想は、活字系のヘルベチカとは大きく違っている。

SF書体の最大の特徴は、文字間隔などの細かい調整が自動で行われること。一見大きなサイズ(ディスプレイ表示)と小さなサイズ(テキスト表示)の違いは感じられないが、実は小さなサイズで表示するときは文字間隔を広めに自動調整している。

小さいサイズ用のSFコンパクトでは、横の丸みが直線的にデザインされている。こうすることで、小さい文字が並んだときでも、文字の分離がよくなり読みやすくなる。

WWDC 2015 Session 804資料より引用

iOS 7のメモ帳(左)とiOS 9のメモ(右)。古いメモは操作系の要素が強すぎて、最も重要なメモの内容に意識が向きづらい。また、タイトルバーのボタンがデザインの方向を決めてしまうので、デザインの幅が広がらない。一方で、iOS 9のメモの操作系はほとんど目立たない。ボタンは「<メモ」「完了」という文字でしかなく、どんなデザインにも馴染むためデザインの幅が広がるのだ。

【知恵の実の実】

1984年、初代Macintoshに内蔵されていた最初の「San Francisco」は、スーザン・ケアのデザインによるコンピュータでしかできない表現を追求したポップな書体だった。ビットマップフォントとしてその歴史を終えるかと思いきや、20年ぶりにその名前を冠したフォントが復活したのだ。

【知恵の実の実】

OS Xをまだエルキャピタンにアップデートされていない人は、メニューバークロックの表示をよく見ていただきたい。コロン(:)が下にずれているように見えるのがわかるだろう。実は10年以上前から、これが気になって仕方がない人がたくさんいた。それがようやく最新のOS Xで解決された。