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第1話 あなたの「誰か」に顔はありますか?

著者: 三橋ゆか里

第1話 あなたの「誰か」に顔はありますか?

ONTENNA 【URL】http://ontenna.jp

IT業界で取材を続けて来た私の周りには、国内外に大勢の起業家がいます。彼や彼女らが起業を目指すようになったタイミングは人それぞれ。なぜ起業という形なのか、その理由もさまざまです。父親が会社を経営する姿を見て育ったため起業が自然な選択肢だったという人もいれば、柔軟な働き方をするために自分で会社を始めたという人。はたまた、社長や会社経営のイメージに憧れて起業したという人。そこに単一の動機は存在しません。

その中には、偶然、その道にたどり着いたという人もいます。起業して自分でサービスを起ち上げるだなんて考えていなかったものの、気がついたらその道を進んでいた。そんな_accidental entrepreneur(偶然の起業家)” の多くが、その道のりの起点として、人とその人が抱える課題との出会いを挙げています。彼らは、「顔が見える誰か」のために、結果として起業という手段を選びました。

米国カリフォルニア州のスタートアップが開発した、手首につける救命胴衣「キンジー(Kingii)」。この製品は、創業者が、湖に一緒に出かけた友人を水難事故で亡くしてしまったことをきっかけに誕生しました。通常の救命胴衣の78分の1というコンパクトサイズで身に付けやすく、万が一の場合もたった1秒で膨らんでくれるので早急に水難事故を防いでくれます。

イスラエル発のウェアラブル製品「テンプドロップ(Tempdrop)」は、脇下または腕に付けて眠るだけで基礎体温を測ってくれるもの。妻と第2子の出産に苦労したという創業者が、カップルの日々の妊活を少しでも楽にできるようにと2016年の出荷を目指して開発中です。

開発者の本多達也さんが、ろう者の生活支援のために手掛けるヘアクリップ型の製品「オンテナ(ONTENNA)」は、その場に聞こえている音源の鳴動パターンをリアルタイムで振動と光に変換してくれる製品。ろう者の人がそれを髪の毛につけることで、これまでまったく聞こえなかったさまざまな音を「感じる」ことができるようになるといいます。大学の文化祭でろう者の人と出会ったことをきっかけに構想し、これまでに200を超えるプロトタイプを開発して、ようやく製品化にこぎつけたという並々ならぬ努力の賜物です。

友人、妻、ろう者の人たち。ここで紹介した起業家や開発者にとっての原点は、こうした「人」との出会いにほかなりません。アイデアを話した相手に「そんなの無理だよ」とバッサリ切られようと、ベンチャーキャピタルに散々断られ資金調達に苦労しようとも、数百のプロトタイプを開発してなお完成までの道のりが遠くとも、あきらめない。忍耐、粘り強さ、集中力。顔が思い浮かぶ彼女、彼のためだからこそ、とてつもない底力を発揮できる。

これって、私たちの仕事や生活のさまざまな側面にも当てはまることではないでしょうか。たとえば、私が住む米国カリフォルニア州は通年の降水量が少なく、毎年干ばつ被害に悩まされています。ただ節水しようと呼びかけても市民は動かない。でも、「あなたが節水しないと親友の飲み水がなくなる」といわれれば、自分のできる限りのことをしようとするはず。「世のため、人のため」といわれてもなんだか漠然としていてピンときません。世は大きすぎるし、人も多すぎる。人は、顔が思い浮かぶ誰かのために動く。

必ず相手がいるビジネスの現場でもこれは同じです。20代の働く女性。4050代の富裕層の男性。従業員数が1000人規模の会社。こうした単なる「言葉」を、誰かの顔に置き換えて考え、動くことができれば、きっともっと良いモノやコトが生まれてくるはず。そして、自分では想像もできなかった底力、誰かのためを思って行動したときに初めて発揮される力に、きっと驚かされるに違いありません。

Yukari Mitsuhashi

米国LA在住のライター。ITベンチャーを経て2010年に独立し、国内外のIT企業を取材する。ニューズウィーク日本版やIT系メディアなどで執筆。映画「ソーシャル・ネットワーク」の字幕監修にも携わる。

【URL】http://www.techdoll.jp