なぜ、ペンシルなのか?
iPadプロ発表時、アップル・ペンシルの登場に会場は一瞬戸惑いともとれるような微妙な反応を見せた。
それというのも無理はない。スマートフォンやタブレットを操作するインターフェイスには「指」が最適であり、タッチセンサを細い棒で突くような「スタイラス」は不要だとこれまで主張してきたのは、ほかならぬアップルなのだから。
だが、このアップル・ペンシルが「iPadプロ専用」であることや、ただのペンではなく“ペンシル”であることの理由が明かされるにつれ、多くの人がその本質を感じ取って画期的な入力デバイスであることに得心したようだ。
では、アップル・ペンシルの何が革新的か。ご存じのとおり、ペン型の入力デバイス自体は珍しくない。古くは感圧式タッチセンサ向けのスタイラスというものがあり、ディスプレイが静電容量式のタッチパネルが主流になってからは、指に流れる静電気をエミュレーションしてiPadに位置座標を伝えるタッチペンも多く登場した。ペン先側に圧力センサを搭載して筆圧をアプリ側で擬似的に再現するソリューションもあった。
最高の組み合わせ
だが、アップルペンシルは普通のペンや筆のように構えてiPadプロの画面に触れるだけで、それがアップル・ペンシルであることをiPadプロが認識する。そして、その瞬間に指による操作時の2倍のスキャン速度で筆先の挙動を検知し、ピクセルレベルのコントロールを可能とする。ペンの先を動かしてから描画されるまでのレイテンシー(遅延)は数ミリ秒レベルとほぼリアルタイムで快適な描画が行える。
また、アップル・ペンシルの先には圧力センサに加えて傾きセンサを2つ搭載する。これによって、均一の線を描画するだけでなく、サラサラと鉛筆の先を傾けてスケッチするような表現も可能になる。また、アプリによってはペンシルを立てて筆圧をかけながら毛筆による力強い筆致も再現できる。まさに、ドローイングペン、鉛筆、筆といった我々に馴染み深いツールを1つのデジタルデバイスとして昇華させたのがアップル・ペンシルなのだ。
アップルは指先による操作を否定したのでも方針を変節したのでもない。より高度な表現力や創造性が求められるプログラフィックでの用途や、建築やプロダクトデザインの設計図のような緻密なドローイングにはiPadプロとアップル・ペンシルの組み合わせこそが最高で最強であることを表明したのだ。発売はiPadプロと同時期の11月だが、今から多くのクリエイターやビジネスパーソンの期待が高まっていることは間違いないだろう。
●iPadプロ専用の入力デバイス
より精密に、より効率的にiPadプロをコントロールするための入力デバイスがアップル・ペンシルだ。11月に発売予定だが、現在のところWEBの記載ではiPadプロ専用となっており、対応アプリが必要となる。
●シンプルなデザインのペン
外観はよく見慣れたペン型のシルエット。白いプラスチック素材で後部にはキャップが付いている。ペン先が交換可能かどうかは現時点では不明だ。単独で販売され、価格は99ドルとアナウンスされているが国内での価格は未発表。
●ペン先に収められたセンサ
ペン先には圧力センサと2つの傾きセンサ内蔵される。センサによってディスプレイ上の位置と角度、筆圧が検知され、iPadプロでは指との違いを検知して、ペンの動きを通常の2倍の秒間240回スキャンして読み取る。
●構え方や持ち方もこれまでと同じ
これまでのスタイラスやタッチペンではiOS側で認識可能な設置面積の制約があったためペンの構え方や持ち方にも制限があったが、アップル・ペンシルは通常のペンや筆と同じ持ち方でそのまま利用できる。
●さまざまなストロークを実現
リアルタイムに筆の動きや傾き、圧力をフィードバックするので、無段階で線の太さをコントロールできる。また、バーチャル定規を使って直線のドローイングも可能だ。ペン先にインクを付けるカリグラフィー的な表現も対応する。
●12時間駆動、15秒の高速チャージ
ペン内蔵のバッテリをフル充電すると12時間駆動する。マグネット式のキャップを外すと、ライトニングコネクタが現れるので、これをiPadプロに差し込めば15秒間で30分間使える分の高速充電が可能だ。
●アップル・ペンシル対応アプリも続々
すでに標準アプリの「メモ」「メール」に加え、「Paper」のようなサードパーティ製のiPadアプリもアップル・ペンシルへの対応を完了している。PDFへ修正指示を直接書き込んだり、メモに走り書きしたり、絵を描いたりとiPadプロの可能性を最大限に拡張するデバイスだ。
iPad Pro×Apple Pencil
アプリとの組み合わせがもたらす未来
ビジネスの常識をアップデートする
アップル・ペンシルやスマート・キーボードが同時に登場した理由の1つに、プロフェッショナル分野への本格的な進出がある。MacBook“プロ”がそうであるように、iPadプロはコストパフォーマンスにこだわらなければ誰にでも使える。だが、アップルがこれから見据えるフィールドは、これまで本誌でも注目してきたプロクリエイターに加え、ビジネス、医療や教育分野などの“Another Field”だ。IBMとの電撃的なエンタープライズ分野での提携や、ネットワーク機器大手のシスコシステムズとの提携もそうした流れの一環にあることを示唆している。
今回のプレスイベントでも、iPadプロのこれからの使われ方を象徴するような3つのデモンストレーションが行われ、マイクロソフト、アドビシステムズの各アプリ、そして「3D4Medical」という医療アプリがいち早く紹介された。今後ビジネス分野でiPadプロの導入が急速に進むことは想像に難くない。
Office for iPad
ビジネスパーソンが待ち望んでいたiPad版オフィスも、iPadプロによって最高のパフォーマンスを発揮する。書類の作成はMacやウィンドウズで行い、iPadでは閲覧や微細な修正のみという運用が一般的だったが、iPadプロではマルチタスクでワード、エクセル、パワーポイントなどの各アプリを動作し、それぞれをスプリットビュー表示で連携させて相互にデータをやりとりできる。もはやiPadプロだけでビジネスに必要なオフィス書類が作れるようになったと言っても過言ではないだろう。アップル・ペンシルでメニューやグラフなどの操作を素早く行えることもデモで示された。
iPadのスプリットビューで、エクセルで作成したグラフをワードにコピー&ペーストするデモが行われた。また、グラフをパワーポイントのプレゼン資料にも貼り付けられるなどビジネス書類作成の効率化が図れる。
アップル・ペンシルを利用した事例として、ワードでカラーホイールを表示して素早く表の見出し色を変更したり、アノテーション(校正)機能でドキュメントに直接メモを書き込む様子などが紹介された。
Adobe Comp /Adobe Photoshop Fix /Adobe Photoshop Sketch
アドビのエリック・スノーデン氏がデモしたのは、広告などのプレゼンによく用いられる「カンプ」作成のワークフローだ。まずアップル・ペンシルで「Comp」アプリにスケッチのように写真や文章、グラフィックなどを配置するボックスを描画すると、本番さながらのダミーレイアウトが作成できる。そこに割り付ける写真を選んだら「Photoshop Fix」で修正を施し、カンプに反映。また、イラストもアップル・ペンシルと「Sketch」アプリで手早く彩色してカンプに割り付けてレイアウトを完成させる。ここまでの流れが数分で完成する。
カンプを左画面に表示しつつ右画面のPhotoshop Fixでレタッチ。顔認識機能があり、スライダを操作するだけで口角が上がってモデルの表情が笑顔になるという驚きの機能に会場が沸いた。
Photoshop Skechでイラストに彩色しカンプに割り付けるという作業も、アップル・ペンシルがあればものの数分で完了する。作業効率が高く、クリエイティブの模索に投じる時間を確保できる。
3D4Medical
医療やエンジニアリングのように専門性の高い業務でも、iPadの広い画面とアップル・ペンシルの直感的な操作性が現場に効率化をもたらし、治療や作業の品質を上げることにつながる。デモでは3Dで動かせる人体解剖模型を駆使して整形外科手術の説明を行う様子が披露された。これまでは口頭での説明に頼らざるを得なかった術式の解説なども、患者にも理解しやすいビジュアルに基づいて説明できるので治療の理解度や医療従事者に対する信頼度も高まる。医療現場での「インフォームド・コンセント(説明と同意)」が求められて久しいが、これを具体的に実現できる。
3Dの人体構造模型にアップル・ペンシルで線を引き、その強さによって表皮から筋肉といった深部の断面を切り取れる。複雑な人体構造を専門家以外でも直感的に把握できる画期的なインターフェイスだ。
たとえ骨の内部であっても断面を表示して、異常が発生している部位と治療プランの説明、その結果どのような変化がもたらせるかといったところまでを具体的に患者に説明できる。