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サファリの女

著者: 藤井太洋

サファリの女

イラスト/灯夢(デジタルノイズ)

運転手のノキアがひび割れた液晶を光らせ、安っぽいM.PESA(エムペサ)の決済終了音が響いた。

「4万シリング(四万円)、だね。ありがとうよ、ジャンボの旦那。ここから水は有料だ。カートでもやって待とうぜ」

運転手はお手軽麻薬のカートの葉をひとつまみ口に放り込んで、こちらにも差し出してきた。

葉っぱを断った俺は助手席のシートの背にもたれた。土を固めただけの道路に立つ陽炎(かげろう)が弾痕の残る建物を揺らしている。

運転手が教えてくれた。ここは十年ほど前にイスラム過激派のアルシャバブに襲われた、トゥルカナ族の村落跡地だと言った。大人は殺され、子供は兵隊か、過激派の妻にされたのだという。

「珍しくもないね」と返すと「まあね」と笑った運転手はおれについて聞いてきた。カートを知ってるか──仕事の前にはやらない。中国人?──いいや日本人だ。荷物は──金持ちのハンティンググッズだよ。カメラ付き無人機(ドローン)に映像配信機材、iPhone用の防塵ケース、スコープやなんかだ──などとりとめのない質問に応えていると、運転手の話は土地の心得に移っていった。

「気をつけなよ。民警もアルシャバブも警告なしにぶっ放すからな。帰りの代金はアテにしてるぜえ──お、来たかな」

視線を追うと、太いサファリバンパーを取り付けたピンク色のハイラックスが茂みを抜けてくるところだった。運転席の窓からブレスレットを幾重も巻き付けた形の良い腕が伸びて、金色の腕時計を煌めかせる。

待ち合わせていた元スーパーモデル、ジェメール・カナン・イブラヒムだ。

「来てくれてありがとう。ジャンボさん」

ハンドルを握るジェメールが、空いた左手でビーズのヘアバンドを撫でると、手首のApple Watch・エディションが揺れた。

金の柔らかな輝きが絹のような光沢の黒い肌によく似合う。重ねてつけている腕輪のせいでケースは傷だらけになっているはずだが、3万ドルの時計も使われなければ意味がない。

「後金がもらえりゃなんだっていいさ。2万ドル、現金でちゃんと用意してあるんだろうな──なんだよ、何か顔に付いてるか?」

「付けひげ?」

違う、と返した俺は車内に張り巡らされたロールケージに腕を突っ張って、シートに尻を押しつける。申し訳程度の道を外れてはや二時間。サバンナの起伏は身体に堪(こた)える。

「荷物は大丈夫?」

「ぼろい木箱はガワだ。機材はケースに入れてある。射的の的はライオンか?」

「そう」と薄く笑ったジェメールはいきなりステアリングを切った。

「うおう!」

ランドローバーが緩い崖を横滑りしながら降りていく。

土煙が収まったところで息を呑んだ。

赤茶けた台地を背景に背筋をぴんと伸ばした女性が立っていた。腰には世界中のテロリストが愛する小銃、AK47が揺れている。

灌木だと思った茂みは鉄骨を組み、軍用規格(ミリタリーグレード)の有刺鉄線を巻いたバリケードだった。向こうでは山羊が草を食み、子供たちが壺を頭に載せて歩いている。キャンプだ。

「ハンティングじゃなかったのか?」

「狩りは狩りよ」

ジェメールはトラックの荷台を指さした。カーキの防水布の奥には、よく知っている黒光りする鉄の塊があった。

「あれにスコープをつけてちょうだい」

「ブローニングM2……機関銃だぜ?」

そう言いながらも、目の付け所におれは唸った。対物(アンチマテリアル)ライフルを用いた長距離狙撃が行われるようになる前、巨大な実包を用いるM2をスナイパーライフルに改造した酔狂な狙撃手はいた。結果は悪くなかったはずだ。

「待ち合わせの村、話は聞いた? 私はあそこで掠われたの」

ジェメールは、世界を魅了した笑顔を向けた。

「記念品(トロフィー)に過激派の首はいかが?」

ハイラックスの荷台に開いたパラソルの下で、おれはブローニングM2に取り付けたスコープを調整していた。

水を持ってきたジェメールは、手で庇を作って等身大の人型ターゲットが点にしか見えない丘のてっぺんを眺めた。

「ドローンはもう飛ばしたの?」

おれはiPadに映し出された地図の輝点を確認して「ああ」と答え、画面を切り替えてスコープがとらえた人型のターゲットをジェメールに見せた。

「気温、気圧に風速、重力勾配(ジオイド)の計測が終わったよ。補正なしだと三メートルはずれるはずだが、画面の照星(レティクル)信じて引き金を押せばいい」

口を開いて耳を塞ぐように言って画面をタップすると、大気が震えた。この距離で聞くM2の銃声はただの衝撃波だ。やや遅れて画面のターゲットの胸から上が消し飛んだ。

「ヘッドショットできそうね」

「なあ、本気なのか?」

「つくり話が力を生むのよ」

「なんだって?」

あんたリアルに人を殺そうとしてるじゃないか──と言いかけようとしたおれをジェメールは遮った。

「ISに呼応したテロが世界中で起こる理由は?」

「なんだよいきなり。自己育成(セルフグロウン)だろうが」

「正解」とジェメールは百万ドルを稼いだ笑みを浮かべた。

今どきの原理主義者は全世界に張り巡らされたアメリカの監視網を嫌い、Webに掲げられた理念を信じて自主的に行動する。地元出身者(ホームグロウン)テロがその典型だ。

ジェメールは、七色のネイルで彩った指を宙に舞わせた。

「私はモデルをしながら、女性に傷つけられたイスラム教徒が酷い懲罰を受けたというガセネタを流していたのよ。そうしたら本当に懲罰を加える組織が出はじめた。お話は本当になるのよ」

ジェメールは俺の手を取って立たせた。

「掠われ、過激派の妻にされた過去を持つスーパーモデル。そんなお話をたくさん持つわたしが戦場に立ってイスラム過激派を殺して回ればばどうなると思う? 奴らの顔にたっぷり泥を塗れるわ」

ジェメールはApple Watch・エディションを外し、俺のポケットにねじ込んだ。

「後金よ。磨けば元の値段で売れる?」

「おい──」死ぬつもりか。その言葉は喉を通らなかった。ジェメールの細い腕が力強く頭を抱いたからだ。

「ありがとう」

おれは薄い胸を押して、頭一つ上にある襟を?んだ。

「ジェメール、考え直せ。過激派に掠われた子供がスーパーモデルになった。今はトゥルカナ族のコミュニティを再生し、M2スナイパーカスタムでシェルターを護ってる。それだけで充分だ」

Apple Watchを引っ張りだして、顔に突きつける。

「その物語はこの時計を元の何百倍、いや何万倍の価値にしてくれる。俺が売ってやるよ。お話に力はあるんだろう! そう言ったじゃないか!」

?んだ襟を揺すると、ヘアバンドのビーズが揺れた。

ジェメールは目を閉じ、真っ青な空へ顔を上げる。

「悪くないかもね」

藤井太洋

2012年、セルフパブリッシングの『Gene Mapper』でデビュー。『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞を受賞。