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宮田人司の親愛なるうら返し

「最終回です、いい意味で」

著者: 宮田人司

「最終回です、いい意味で」

人の一生について考えることが多くなりました。年齢のせいでしょうか。6年前に父が他界し、確かそのときも本誌コラムに書いたと記憶していますが、癌を患い、と同時に認知症になり、家族のことでさえわからなくなってしまい、そのまま逝ってしまいました。その直後に授かった初めての子は、はや6歳。健康でとても優しく、想像力豊かな子に育っています。そして今年、母が認知症に。まだかろうじて私が誰であるかは理解できていますが、たまにわからなくなります。認知症は記憶を消去してしまう、辛く悲しい病気です。かくいう私も、連載を始めてから何年が経ったのかよくわからなくなっている事実に気づき、少し自分の心配もしつつ、最終稿を書いています。

最後というのは、何を書いたらいいのか、わからなくなりますね。この連載を通じて、毎月ものを書くということに初めてチャレンジしました。いま思えば、当時の編集長はなぜ私に連載をやらせたのか、未だにわかりません。

「連載しません? 内容はなんでもいいですよ」

オファーはいいかげんでした。半面、私も肩肘張らずにこれまで好き放題に書き続けられたのかなと思います。たまたま同い年だったこともあり、これがきっかけで仲良くなり、いまでは彼のことを親友だと思っています。

連載開始の数カ月後に石川県金沢市に移住を決めました。子どもが生まれ、子育てとクリエイティブワークに集中するための地として、金沢を選択したわけです。20年以上も東京で仕事をしてきた人間が、急に地方に行って仕事なんかできるものかと、友人や仕事仲間からはいわれました。当時は地方に移住するITベンチャー経営者やクリエイターなど、周りではほとんど、というか知る限りでは存在せず、随分と心配されたものでした。「やめたほうがいい」だとか「どうせすぐに東京に戻るんでしょ?」とか、挙げ句の果てには夜逃げでもするのかと勘繰る人さえも。それだけ地方移住はハードルが高い印象があったようです。

ところが、いざ移住してみると予想以上に快適で、深夜に「いまから六本木の◯◯で打ち合わせできませんか~?」みたいな連絡もないし、そもそも物理的に不可能だから、あっさりと断って仕事に集中できます。私のように篭って仕事をするタイプの人間にとっては、まさに楽園です。

移住からちょうど1年が経った頃に、東日本大震災が起きました。あの日も、私は本誌の原稿を書いていました。たまたま家族で千葉県の実家に帰っていた日でした。すべてのメディアが伝える震災の凄惨な状況報告のなかで、特に拡散力とスピード感を武器に、その存在感を一気に高めたSNSにおいての情報ノイズについて、口煩いおっさんのようなコラムを書いた記憶があります。世界中の人々をつなぎ、人々の思いを紡ぎ、未来を創り出していくことを夢見て開発されたテクノロジーを、まるで凶器のように使う様を見て、悲しい気持ちになったからでした。

前連載「結局は人ですよ」では57本を、本連載「いい意味で」では15本。合計で72本の原稿を書きました。ふざけたことばかりを書いていたつもりだったものの、改めて読み返してみると、わりといいことを書いてるものも多かったように思います。1本あたり2200文字として、合計で15万8400文字。仮に文庫本にまとめたとすると、500文字/1ページでも317ページの立派な本になるということがわかりました。私の人生の6年分を費やし、その時々の思いを綴った文章ですから、せっかくなので、いつかまとめて本にしてみたいと思っています。本誌編集部としてはそんな気は毛頭ないという見解だそうで、かくなるうえは自力で編集・出版をし、紀伊國屋か蔦屋書店あたりでサイン会でも開きたいと考えています。電子出版ではそういうわけにもいきませんし、出版した感のある紙の本はやはり偉大です。それに家の書棚に自分名義の書籍があったら、ちょっと自慢できるじゃないですか。私が死んだあとで、家族が読んで思い出してくれるかもしれませんし。

どれぐらいか先の未来には、紙の本などレガシーであり、懐古主義だという日が来るのかもしれません。けれども、地球という場所の歴史という時間のなかでの私が、ほんの小さな存在だったとしても、私の記憶や考えを、歴史ある本誌の連載として残せたことに、改めて関係者の皆さん、お付き合いくださった読者の方々へ感謝を述べさせていただき、少し寂しい気持ちもありますが、苦手な笑顔でMac Fanを卒業したいと思います。

ありがとうございました。(了)

【ここだけの話、完】

宮田氏がかねてより準備を進めていた新しい会社・Piccolo株式会社のサイト<【URL】http://piccolo.co>が公開されました。子どもたちがはじめて触れるデバイスを、プロダクトを創ることをミッションに掲げるスタートアップ。きっとお披露目の暁には本誌が特集を組んでくれることでしょう。しばしお待ちを。

宮田人司(みやた・ひとし)

Creative Director。ミュージシャンでありソフトウェアから映像作品などのフィールドで活躍する47歳。一般社団法人GEUDA代表。金沢大学客員教授。動物大好き。