iPhoneのカメラで不整脈を検出
「ハートリズム」は、iPhoneのカメラを使って、脳梗塞の原因となる不整脈(心房細動)をチェックできるユニークなアプリだ。使い方はとても簡単。アプリを起動したら、脈拍チェックのボタンをタップし、LEDフラッシュが点灯したら、カメラのレンズに人さし指か中指を軽く当てると測定が開始される。測定にかかる時間はわずか十数秒。結果はグラフとなって表示され、正常な人の脈や、実際の心房細動の患者の脈と比較できる。グラフの山の間隔が一定でなければ、最寄りの医師の診察を受けるようにアドバイスされる。
このハートリズムは、iPhoneのLEDフラッシュで指の血管を照らし、脈拍による色の変化をカメラで読み取っている。心拍数を測るアプリはほかにもあるが、ハートリズムは脈の乱れを見られるところが大きな特徴だ。
このアプリをリリースしているのは、東京・お茶の水内科の院長、五十嵐健祐医師。開発の背景には、研修医時代の体験があるという。
「群馬で研修医をしていたときに、脳梗塞の一種である心原性脳塞栓症で倒れて救急車で運ばれて来る人をたくさん見ました。この病気で社会復帰できる人は3割しかいないのです。主な原因は不整脈であることがわかっており、それが原因で起こる脳梗塞は不整脈の段階で見つけられれば、今の医学で十分に予防できます。ところが、予防できる段階では自覚症状がほとんどないので診察に来てくれません。そしてある日突然、脳の血管が詰まって救急車で運ばれてくる。なんとか不整脈の段階でリスクを知らせて受診につなげられる手段がないかと、ずっと考えていました。このアプリによって、ようやくそれが実現できました」
試験に基づくアプリの検査感度(陽性と判定されるべきものを正しく陽性と判定する確率)は75%だという。
「無侵襲、無料で、75%の確率で不整脈を見つけられるというのは、かなりすごいことだと思います」
一方で、不整脈の確定診断には心電図検査が必須だ。
「このアプリはあくまで、専門医のもとに行って心電図を取ってくださいとか、心電図はどこで取れますよという情報提供をして、適切な受診につなげるためのものです」と、五十嵐医師もあくまで一次スクリーニングのためのツールであり、確定診断は医療機関が行う点を強調する。
クラウドソーシングで実現
五十嵐医師がハートリズムのアイデアを思いついたのは、偶然の出来事がきっかけ。たまたま、予期せぬタイミングでiPhoneのLEDフラッシュが点灯してしまい、あわてて指で塞いだところ、脈拍に合わせてカメラ画像の色が変化することに気づき、これなら不整脈の検出もできるはずだと考えたそうだ。
ただ、五十嵐医師自身はアプリを開発できるほどのプログラミング技術は持っていない。そこでフェイスブックで知人に相談すると、「クラウドソーシングを使ってみてはどうか」というアドバイスがもらえた。クラウドソーシングとは、インターネット上で業務委託の募集を行えるサービス。たとえば、アプリのアイデアを持っている人が、それを作れる技術者を公募できる。五十嵐医師はさっそく大手クラウドソーシングの1つ「クラウドワークス」上で開発者を募集。そこに応募してきた1人が、ソフトロボ社の松本芳正社長だった。
「最初の打ち合わせのときに、すでに脈のグラフが描けるプロトタイプを作って来てくれたので驚きました」と五十嵐医師。研修先の病院の協力も得ながら開発を進め、約3カ月後にアプリをリリースすることができた。リリース後は毎月1500~2000件のダウンロードがあり、アプリをきっかけに同院で受診する患者も多いという。
松本氏は「開発で難しかったのは、グラフをきれいに見やすく表示することです。医療アプリの開発は初めてでしたが、やはり人の役に立つ物の開発は気分のよいものですね。その後も、クラウドワークスでいくつかの医療関係の開発に応募しました」と振り返る。
睡眠時無呼吸症候群を捉える
「不整脈以外にも、自覚症状がほとんどなく、本当は病院に来てほしいのに、来てくれない病気がたくさんあります」と五十嵐医師。
2014年12月には、睡眠時無呼吸症候群のチェックができるアプリ「イビキー」をリリースした。睡眠時無呼吸症候群は睡眠中にうまく呼吸ができないため日中に強い眠気に襲われるだけでなく、長期的には心筋梗塞や脳梗塞の発症要因にもなるという。しかし、当人はいびきや無呼吸にまったく気がついていないことが多い。イビキーを起動したiPhoneを枕の横に置いて寝ると、いびきや無呼吸の回数や時間を自動的に記録するほか、音声メモによって、後からどんないびきをかいているのかを聞くことができる。iPhoneのマイクで記録した音声の周波数成分を分析していびきを判定しているほか、加速度センサも利用している。
このアプリの開発を担当したのは、五十嵐医師がクラウドワークスを通じて知り合ったスモールメディアの前田勇介代表。五十嵐医師との会話の中で、前田氏自身が睡眠時無呼吸症候群を患っていることを話したところ、それならばと、開発を手がけることになったという。
「私も妻に言われるまで、自分がいびきをかいているとはまったく知りませんでした。病院で検査をしましたが、普段と寝る環境が変わったせいで、いびきをかかずに、陰性と判定されてしまいました。以前から自宅でチェックできるアプリを作りたかったものの、素人が医学的な根拠なしに作っても意味がないと思っていたところに、お話をいただいて」と前田氏。五十嵐医師との出会いによって暖めていたアイデアが実現した。
開発で難しかったことは、いびき判定のパラメーター調整だ。自らが実験台となり、毎晩、測定と検証を繰り返した。自分のいびきを繰り返し再生するのはかなり辛い作業だったという。
リリース後の反響で意外だったのは、測定結果をSNSでシェアする人が多かったことだ。
「普通、医療アプリのデータというのはあまりシェアされないのですが、イビキーに関しては自分の測定結果を公開する人が多い。それにより、睡眠時無呼吸症候群に対する関心が広がってくれればうれしいです」
五十嵐医師は、松本氏と前田氏を、医療アプリ開発に対応できる貴重な技術者と評する。こうした医療アプリ開発では、仕様が完全に固まっていない状態でも一緒に作りながら改良していけること、疾病の早期発見においては100%の精度でなくても十分に有用であることを理解してくれることが重要だという。
「人間の体は曖昧なものですから、医療の検査で100%の精度はあり得ません。75%の精度でも十分にすごいということを理解してくれる技術者は少ないのです」
専門医からも高い評価
ハートリズムとイビキーは、他の専門医からも好評を得ているそうだ。
「リリース前は、このようなアプリを出すと、専門医の先生方から怒られるかも知れないと思っていました。しかし、実際には多くの先生方から高い評価を得て、監修や協力もいただいています。脳卒中や循環器の先生方は、『今までは、発症したあとの治療や二次予防しかできなかったが、これなら救急車で運ばれる前に発見して予防できる』と言って広めてくれていますし、製薬会社もセミナーなどで自主的に勧めてくれます。呼吸器の先生も、今までやりたくてもできなかった無呼吸の発見が可能になると応援してくれています」
五十嵐医師は、2本のアプリのポジションを「日常生活と医療の間をつなぐもの」と表現する。こうしたアプリを使って手軽に自分の健康状態を把握できれば、日常生活と医療の距離も縮まるだろう。アイデアはまだまだたくさんあるとのことで、すでに新しいアプリの開発も行っているそうだ。
ハートリズム
【開発元】SoftRobo
【価格】 無料
【場所】App Store>メディカル
ハートリズムは、iPhoneのカメラを使って、脈拍のリズムを手軽に測れる。
ハートリズムの測定結果。自分の脈を正常な人や不整脈の人の脈と比べることができる。
イビキー
【開発元】KENSUKE IGARASHI
【価格】 無料
イビキーのスタート画面。測定開始をタップしたら、iPhoneを枕の横に置いて睡眠する。
イビキーの測定結果。どの時間帯にいびきをかいているかがグラフで表示されるほか、いびきの録音も聞ける。
【脳梗塞】
心原性脳塞栓症は、心房細動という不整脈の一種が原因で起こる。まず、心房細動によって心臓の一部の血流が悪くなることで、血の固まりができる。それがなにかの拍子に剥がれて流れ出し、脳の血管に詰まって発症する。ほかの脳梗塞と比較しても重症化しやすく、予後の悪い病気と言われる。
【センサ】
センサを利用したアプリの場合、スマートフォンの機種によって得られるデータが変わってくる。iPhoneの場合は、機種数が少ないので対応できるが、メーカーや機種が非常に多いアンドロイドでは、精度の高いアプリを作るのはなかなか難しいそうだ。