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 Appleはなぜ“知財”を活かせるのか──MSPモデルで成果につなげる経営戦略

著者: 緒方昭典

 Appleはなぜ“知財”を活かせるのか──MSPモデルで成果につなげる経営戦略

現在、多くの企業が単一の製品やサービスを提供するのではなく、複数の異なるプレーヤーを巻き込みながら価値を創造するシステム(エコシステム)の構築を試みています。その1つとして挙げられるのが、2つ以上の異なる顧客グループ(サイド)を相互に接続し、その間の取引や相互作用を促進することで価値を生み出すマルチサイドプラットフォーム(MSP)モデルです。

Appleは、このマルチサイドプラットフォーム(MSP)モデルを巧妙に活用している代表的な企業の1つ。Appleは、単にiPhoneやMacBookといったハードウェアを販売するだけでなく、App Store、iTunes、Apple Musicといったソフトウェアやサービスも提供しています。これにより、世界中の膨大な数のユーザを惹きつけています。

2025年1月のAppleの公式発表では、Appleのアクティブデバイス数が23億5000万台以上を突破したことを明らかにしています。Photo●Apple

またMSPの中には、iOSやmacOS上で動作するアプリケーションを開発する開発者や音楽・映画・電子書籍などのデジタルコンテンツを制作するコンテンツクリエイターも含まれます。さらにApp Store内の広告(Apple Search Ads)を利用する企業、Apple Payに参加する銀行やカード会社など、多様なサイドも巻き込んでいます。このように、Appleは巨大なMSPを形成しているのです。

Appleのネットワーク効果が好循環を生む“仕組み”

MSPモデルでは、一方の顧客グループの増加が他方の顧客グループにとっての価値を高める、「ネットワーク効果」が重要な要素です。そのため、プラットフォーム運営者は複数のサイドに対して、それぞれ異なる価値提案を行い、ネットワーク効果を最大化することを目指しています。

AppleのMSPモデルにおけるネットワーク効果は、ハードウェア、OS、サービスの各層が密接に連携することで成り立っているのです。たとえば、iPhoneに魅力がありユーザが増えるほど、アプリ開発者にとっても参入するメリットが高まり、アプリ市場が拡大します。そして、App Storeに優れたアプリが集まれば、ユーザにとって魅力的なプラットフォームとなり、さらに多くのユーザがiPhoneを選ぶという好循環が生まれるというわけです。

Appleはこのネットワーク効果を利用し、収益を多方面から獲得しています。具体的には、App Storeのアプリ内課金、Apple MusicやiTunesでのサブスクリプション収入、そして広告収入(Apple Search Ads)などです。また、iCloudなどのクラウドサービスの利用料やApple Payによる手数料収入も重要な収益源となっています。

Apple Payの世界中の利用者数は、2020年9月の段階で5億700万人を超えています。Photo●Apple



Appleの戦略的な知財活用。いったい“どんな目的”?

AppleのMSPモデルにおける知財活用は、単に自社の技術やデザインの模倣を排除するという「直接的な目的」だけに留まりません。「最終的な目的」は、ネットワーク効果を最大化させて、収入源を確保することにあります。そのために、MSPを構成する多様なサイドの各々に対して、MSPへの参加と貢献を促す強力なインセンティブとして、知財が機能するようにしているのです。

今回は、「開発者」「コンテンツクリエイター」「ユーザ」について、どのような目的で知財活用がされているのかを見ていきましょう。

開発者:開発者の参入障壁を下げつつ、プラットフォームへの依存度を高める

Appleは、開発者の参入を促進するため、XcodeやSwift Playgroundsといった開発ツールを無料で提供しています。さらには、アプリの売上の70%が「パブリッシャーロイヤリティ」として、開発者に支払われる透明性の高い収益分配モデルを設けています。

Xcodeは、Appleが提供する統合開発環境(IDE)です。これは、iOSやmacOSアプリを開発するためのツールであり、Swiftのコードを書くのにも使用します。Photo●Develop in Swift

このモデルは、Appleの「App Store」という知的財産によって構築されたデジタル配信プラットフォームと、その背後にある決済インフラによって支えられています。開発者は、このプラットフォームに依存することで事業を展開できるのです。

またAppleは、ユーザが希望すれば、アプリの活動データやクラッシュデータをApple経由で開発者と共有できる仕組みも提供しています。開発者はAppleの分析基盤を利用することで、複雑なデータ収集・分析システムを自分で構築する手間を省き、アプリの品質向上に専念できます。これは開発者にとって、技術的な障壁を下げる一方で、Appleのプラットフォームが提供する独自のデータ分析能力への依存を深めることにつながるでしょう。

コンテンツクリエイター:信頼を獲得し、良質なコンテンツの独占的確保を図る

音楽・映像業界において、海賊版や不正コピーは深刻な問題です。AppleがDRM(Digital Rights Management:デジタル著作権管理)技術を提供することで、レコード会社や映画制作会社はAppleプラットフォームで安心してコンテンツを配信できるようになっています。

そしてAppleは、DRM技術に関して、複数の特許を取得(例:米国特許8934624号)。その結果、コンテンツの差別化が困難な配信業界において、Appleは他の配信サービスよりも優先的に新作アルバムの配信権を獲得したり、独占配信契約を締結したりすることが可能となっているのです。

ユーザ:新規獲得とエコシステムへの長期囲い込みを実現

Appleがユーザに対して展開する知財戦略の核心は、「他では得られない体験」の提供にあります。

たとえば、iPhoneのマルチタッチ技術による「Slide-to-Unlock」ジェスチャ(例:米国特許7,657,849号、米国意匠特許D621,849号)や、Apple WatchのDigital Crownや、Force Touch/3D Touch(例:米国特許11036327号)といった感圧入力技術は、特許で保護された独自の操作体験を提供しています。

Apple Watchの横についているDigital Crownを操作することで、デバイスの操作を直感的に行えます。これにより、ユーザは「他では得られない体験」を獲得できるのです。

一度Appleのデバイスの操作に慣れ親しんだユーザは、他のメーカーのデバイスに移行する際、操作方法の習得や設定の変更に伴うスイッチングコストが高くなります。その結果、Appleのデバイスを使用し続ける傾向が強くなり、長期的な囲い込み効果が期待できるのです。

ヒントとなるAppleのMSPモデル

AppleのMSPモデルにおける知財活用戦略は、単なる技術保護を超えて、多方面からの収益の獲得に貢献しています。

このように知的財産は、直接的に収益を生むものではないかもしれませんが、戦略的活用によってビジネス目標の達成可能性を高める重要な要素として機能します。 そして、それにより収益化への道筋がより確実になることは明らかです。

ビジネスを進める上で「どんな知財がビジネス目標の達成や収益に結びつくか」という視点を持つことが重要です。Appleの事例は、知財を単なる防御手段ではなく「攻めの経営戦略」として活用する見本となるでしょう。


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著者プロフィール

緒方昭典

緒方昭典

複数の弁理士事務所に勤務したのち、スタートアップに対して、特許や商標などの権利取得だけでなく知財活用を支援するため、くじら綜合知財事務所を設立。 現在は、広くベンチャー企業の知財活用の支援に注力。情報経営イノベーション専門職大学客員教授。

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