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Apple Musicの「3カ月無料キャンペーン」はどうして実現できるのか? サブスクの「無料体験期間」の裏側を考察する

著者: 牧野武文

Apple Musicの「3カ月無料キャンペーン」はどうして実現できるのか? サブスクの「無料体験期間」の裏側を考察する

定額制音楽配信サービス「Apple Music」は、新規登録の場合、3カ月間無料でお試しできる。

同様にほかのサブスクリプションサービスでも、今や「3カ月無料」が標準になりつつある。なぜ3カ月も無料にできるのか。サービス提供側は損をしないのだろうか。これが今回の疑問だ。

※この記事は『Mac Fan 2022年1月号』に掲載されたものです。

音楽配信サービスは「3カ月無料」が当たり前

Appleが、「Apple Music」の新規登録者を対象に、「4カ月無料キャンペーン」を2021年9月末まで実施していた。2021年11月時点では3カ月無料に戻ったが、それでも大盤振る舞いだ。

ライバルといえるSpotifyやAmazon Music Unlimitedも新規の場合「3カ月無料」で試用できるため、もはやそれが当たり前になってきている。

この背景には、新規顧客の獲得コストが近年急上昇していることがある。サブスクリプションサービスが新たな顧客を獲得するためには、広告宣伝をする間接的な獲得コスト、無料期間やポイント還元などの直接的な獲得コストがかかる。

このうちの広告宣伝の間接的な獲得手法の効率が大きく下がっているため、各サービスとも無料期間や還元ポイントといった直接的な獲得手法の比重を増やしているのだ。

これはあくまでも筆者の感覚ではあるが、スマホ黎明期では、新しいサービスが登場するととりあえずアプリをインストールして、アカウントを作ってみるという人が多かったはずだ。しかし、今では、よほど魅力的なサービスでない限り、アカウントを作らないようになっているのではないか。

理由はさまざまだが、スマホ文化が成熟をして斬新なサービスが登場しづらくなった、登録後のプッシュ通知が煩わしい、アカウント情報の流出といったセキュリティ上の不安などがあるだろう。

PayPayの「100億円あげちゃうキャンペーン」は画期的だった!

QRコード決済「PayPay」が2018年12月に実施した「100億円あげちゃうキャンペーン」は、新規顧客獲得手法として画期的だった。

決済額の一部または全額をポイント還元し、合計100億円という大金を市中にばら撒く大胆なキャンペーンで、わずか10日間で上限金額に到達。キャンペーン後には累計登録者数が約400万人(当時)に到達した。

1人の顧客を獲得するのに使ったコスト(CAC=Customer Acquisition Cost)は、100億円を400万人で割ると「2500円」となる。つまり、単純計算でPayPayは新しい顧客を1人2500円で購入したことになる。これは高い買い物なのか。

PayPayは2025年4月17日時点で利用者数6800万人。現在でも盛んにポイント還元キャンペーンを開催している。
画像:PayPay

PayPayの集客術は、広告・マーケティング業界における成功例

広告最適化ツールを販売している米WordStreamが、自社のブログでGoogle広告の業界別コンバージョン獲得コストを紹介している。

これは1人のコンバージョン(購入、入会、資料請求など)を得るのに、Google広告に対していくら支払ったかというものだ。これによると、金融保険業界では平均81ドル93セント(約9300円)の広告費が必要になる。

米WordStreamのブログによるGoogle検索広告のCPC(Cost Per Click=クリック単価)。1人のコンバージョンを得るのにいくらの広告費を費やしたかを業界別に平均したものだ。
画像:WordStream

PayPayは100億円還元だけでなく、広告宣伝のコストもかけているが、それでも業界平均から見れば圧倒的に小さなコストで顧客を獲得した。100億円という総額によりネットを中心に大きな話題を集めたが、これも大きく作用をした。広告・マーケティング業界における重要な成功例となっている。

WEBサービスが継続成長するかは、公式「LTV/CAC>3」で計算する

2017年8月から2018年1月までのGoogle広告のデータによると、消費者サービスの顧客獲得単価は90ドル70セント(約1万300円)となっている。

これは月額980円のApple Musicの10.5カ月分にあたる。であれば、3カ月無料などと言わずに、10カ月無料にしてもそろばんは合うことになる。

しかし、現実にはそうはいかない。まず、多くの人が「リマインダー」アプリなどに無料期間が終了する項目を設定し、リマインドされた時点で継続するかどうかを考え、一定数の人が辞めてしまうからだ。さらに継続をして月額課金を支払うようになっても、途中で退会をしてしまうことがある。

そこで、WEBサービスが継続成長するかを測る基準に「LTV/CAC>3」という公式を使う。これはLTV(Life Time Value=顧客生涯価値)とCACの比が3以上になるようにするということだ。

たとえば、月額980円のApple Musicの場合、無料期間で辞めてしまう人のLTVは0円となり、1年間で辞めてしまう人のLTVは「980円×12カ月=1万1760円」となる。

多くのサブスクサービスでは、“LTVの3分の1を顧客獲得の予算”として使っている

全員のLTVの平均が1万円だったとすると、CACは3300円以下であれば健全ということになる。この判断基準に厳密な根拠があるわけではないが、投資家は判断基準のひとつとして使っている。

特にシリーズBラウンドの投資(事業の形が作られ、成長が求められる段階)では、重要視されている。

多くのサブスクサービスでは、常にLTVがいくらになるかを把握し、そこから逆算して、LTVの3分の1を顧客獲得の予算として使うという。


調査会社Edison Trendsのデータによる、主要音楽サブスクの加入者数の推移。Spotify以外の増加の傾きが小さく、離脱率が高いのだと推定される。2019年以降は改善され、離脱率も下がっていると思われる。
画像:Edison Trends

Apple Musicは今後は6カ月無料に?

現在、音楽サブスク、あるいはNetflixのような映像サブスクの平均継続期間がどれくらいであるかは公開されていない。ただ、2016年、SpotifyとApple Musicが激しい競争をしたとき、毎月の離脱率がSpotifyでは2.2%であるのに対し、Apple Musicでは6.4%と高いという報道がされたことがある。

その差が、両者のユーザ数の増加直線の傾きの差に現れていた。しかし、2018年からApple Musicが巻き返しを始め、ユーザ数の増加直線の傾きは両者ほぼ同じになっている。ここから、両者の離脱率もほぼ同じ水準になっていると推測できる。

余談だが、「Apple TV+」も離脱率が高いことが指摘されている。Appleのサービスは初期段階での離脱率が高いことがよく問題になる。

個人的には、離脱率が高いというよりも、熱心なAppleユーザがAppleの新しいサービスはとりあえず使ってみて、それから継続するかどうかを考える傾向があることが影響しているのではないかと思う。そのため、一度辞めたユーザが戻ってくる復帰率も高いのではないだろうか。

仮にこの離脱率が、現在でも6.4%と改善されないままだと仮定すると、平均継続期間は離脱率の逆数で計算できるので、「1÷6.4%=15.6カ月」ということになる。これに月額980円をかけると、Apple MusicのLTVとなる。

Apple Musicを3カ月分無料にするのは理にかなっている

つまり、最大の新規顧客獲得コストは「15.6÷3=5.2カ月分」ということになる。もちろん、顧客獲得コストはほかの広告活動、営業促進活動も必要になるが、3カ月分を無料にするというのは理にかなっている。

現在のApple Musicの離脱率は大きく改善されているはずだ。特にAppleのサービス4つをワンセットにしたサブスクリプション「Apple One」は離脱率改善に大きく寄与していると思われる。

離脱率が改善されるということはLTVが大きく伸び、それに伴い顧客獲得コストもかけられるようになる。3カ月無料ではなく、6カ月無料ということも今後あり得るかもしれない。

それはApple Musicだけでなく、ほかのサブスクサービスも同じで、無料期間というのは今後もどんどん伸び続けていくか、ほかの特典が用意されるようになっていくと思われる。

加入しているサブスクリプションサービスを確認するには

Macの「システム設定」の[Apple Account]→[メディアと購入]→[サブスクリプション]と選んでいくと、自分が今加入しているサブスクリプションの一覧が表示される。更新期間の直前にはプッシュ通知もしてくれる。
Mac App Storeで購入するMac用ソフトにもサブスクリプション形式のものが増えている。価格表示のあるものは買い切り、[入手(App内課金)]となっているものはソフト内で正式版の購入、もしくはサブスクリプション登録を行うものになっている。[入手]ボタンのみの場合は完全無料ソフトだ。

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著者プロフィール

牧野武文

牧野武文

フリーライター/ITジャーナリスト。ITビジネスやテクノロジーについて、消費者や生活者の視点からやさしく解説することに定評がある。IT関連書を中心に「玩具」「ゲーム」「文学」など、さまざまなジャンルの書籍を幅広く執筆。

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