macOSの名称が単にSystem 1.0だった初代Macintoshの頃から、ウィンドウを広げる画面上のスペースは「デスクトップ」と呼ばれていた。
それは、あたかも実際の机の上に書類を広げるように配置して作業が行える、というメタファを象徴する用語であった。
それから40年の月日が流れ、Apple Vision Proが空間コンピュータをリアリティのある存在に変えつつある今、机の上が文字どおり「デスクトップ」になる(?)アプリが登場した。
それが、「TouchDesk」だ。
空中描画の難点解消の試み
空間コンピュータとしてAR機能を備えたApple Vision Pro(以下、AVP)では、空間上にさまざまなコンピュータ生成の要素を配置して操作することができる。そのため、AVP向けのARグラフィックツールは、空中に直接描画する機能を特徴にしていることが多い。
この機能自体は革新的であり、描いたイメージを色々な角度から立体的に鑑賞できるのもユニークな体験だ。同様のAR系アプリはiPhoneやiPadでも利用できたりするものの、それらのデバイスでは、イメージが描かれた空間を小さな窓から覗き込むような感覚になる。
これに対してAVPの場合には、その空間自体に身を置いて描画と鑑賞ができるため、まったく異なる体験として感じられる。
ただし、そのような空中描画は、新たなビジュアル表現を求めるうえでは良いのだが、スケッチやメモのようなものを記録として残すには向いていない。あまりに自由度が高すぎて、同一平面上にまとまった情報を記すことが、かえって難しくなるのだ。
そのため、MacをAPVに接続した場合はもちろんだが、既存のiPadアプリを元にしたAVPネイティブアプリも、空間上にウインドウが配置され、それに対して作業を行う形式が基本となっている。これは確かに現実的な解決法であり、従来のGUIの作法がほぼそのまま通用するので、空間コンピューティングへの移行をスムースに行ううえでは適しているといえるだろう。
しかし一方では、空間コンピューティングにおけるUI/UXのあり方が、既存のGUIアプリの延長で良いのかと感じることもある。
Appleは、Macの登場時にDOS時代のキャラクタベースのアプリをそのまま移植することを禁じ、iPhone 3Gでサードパーティアプリの開発が解禁された際にも、Mac向けアプリの縮小版ではなくマルチタッチスクリーンに相応しいUI/UXを持つ専用アプリ開発を推奨したので、AVPのアプリにも同様の新規軸を期待してしまうのだ。
もちろん、ゲームやイマーシブコンテンツなどでは、いち早く空間コンピューティングならではの体験を実現する試みが行われており、ポストイット的なメモ書きを家の中の必要な場所に貼り付けておける「StickOns」アプリもある。
だが、もっと異なるアイデアはないか?と思っていたところに現れたのがTouchDeskだった。
このアプリは、実際の机やテーブルの天板を描画平面として利用することで、指に手応えを感じながら描くことができる。描画時に腕を空中に突き出さずに済むという点でも楽なのである。

フリーハンドスケッチやメモ書きに特化した機能性
TouchDeskの機能はフリーハンドのスケッチやメモ書きに特化しており、少なくとも今のところそれ以上のことはできない。
作者にとっては、アイデアが実際に有効かを確かめるプルーフ・オブ・コンセプトとしての意味合いもあるだろう。生前のジョブズもいっていたように、まずは世に出すことが重要なのだ。
それでも、目的を満たすための基本的なツールは揃っており、複数のペン先やブラシをそれぞれ5段階の太さで選べたり、ピクセル単位とオブジェクト単位の2種類がある消しゴムや充実したカラーパレットも用意されている。



左右の手の役割を分けた使いやすいUI
TouchDeskのユニークさは、描画とクスロールの役割を左右の手に振り分けた点にも感じられる。具体的には、右手で描画し、左手でスクロールするようになっているのだ。
左利きの人用に左右を切り替える設定は用意されていないようだが、組み込もうと思えば簡単にできるだろう。


さらなるツールの充実に期待
自分でもレーシングカーのサイドビューをスケッチしてみたが、透明度設定などのコツをつかんで慣れてくると、比較的スムーズに描くことができた。
反面、欲が出てきたところもあり、たとえば広い範囲を塗りつぶすペイント機能や、フリーハンドの線を滑らかなカーブや幾何学図形に整えてくれる清書機能などもあればと思うようになった。


TouchDeskは、空間コンピューティングの1つの可能性を感じさせるアプリであり、物理的な実体のある平面を、操作する手のよりどころとしてUIの一部として取り込むアイデアは他の用途にも応用できそうだ。
これに続くアプリが、同じ作者やインスピレーションを受けた開発者から発表されていくことに期待したいと思う。
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著者プロフィール

大谷和利
1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、原宿AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。