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日本市場を意識したノートMac「PowerBook 2400c」。日本IBMがデザインの一翼を担った、ユニークな構造の小型モデル

著者: 大谷和利

日本市場を意識したノートMac「PowerBook 2400c」。日本IBMがデザインの一翼を担った、ユニークな構造の小型モデル

PowerBook 2400c。Appleと日本IBMの“コラボ”が生んだ小型マシン

今回は、少し前に興味深い資料を見つけたPowerBook 2400cを採り上げたい。その資料とは、上に掲げたIFデザイン賞の製品プロフィールページである。IFデザイン賞は、ドイツに本拠地を置く国際的なデザイン振興組織「インダストリー・フォーラム・デザイン・ハノーファー(略称 iF)が主宰し、全世界の製品を対象に優れたデザインを表彰するもの。その製品ガイドページにPowerBook 2400cも掲載されており、デザインクレジットの項目には、Appleと並んで日本IBMの名前もしっかりと刻まれている。つまり、このノートMacは、両社のコラボレーションによってデザインされた製品なのである。

このことは、発売当初から情報通の間では知られていた事実であり、かくいう僕も、実際に日本IBMに出向いて開発チームをインタビューしたことがあった。なぜAppleは、日本IBMに協力を求めたのか? それは、当時のAppleにはマシンの小型化技術が不足していたためだ。PowerBook 100の開発時にも同じようなことがあり、そのときのパートナーがソニーだったことには、この連載でも触れている。その頃のAppleは製品の小型化が不得手で、この傾向は2008年の初代MacBook Airの頃まで続いた。

Appleと日本IBMの“歩み寄り”によって生まれた独自の造形

今、「小型化が不得手」と書いたが、実際のところアメリカ本国では小型化へのニーズが高くはなく、そのための技術を保有する必要性がなかったと見るほうが正しい。というのは、自動車がポピュラーな移動や通勤の手段であるため、ノートPCのサイズや重量は気にならず、画面の見易さやキーボードの打ちやすさのほうが重視されていたからだ。

これに対し、日本市場ではサブノートクラスの製品に対する一定のニーズがあり、製品投入の必要性を感じた当時のApple Japanは、本社を説き伏せるうえで、幹部が日本を訪れた際にラッシュアワーの電車を体験させたといわれている。その甲斐あってか企画は通ったが、今度は、ジョナサン・アイブ率いるAppleのデザインチームと、実際に筐体内に基板やメカニズムを収める日本IBMの技術者の間で葛藤が生じることになった。

IBMでは、製品開発がスケジュールよりも遅れた場合には、仕様を調整して納期に間に合わせることを優先する。しかし、Appleは納期をずらしてでも仕様を満たすことを要求したのだ。しかし、日本IBM側も筐体の強度などに関して独自の基準があるなどしたため、デザインに関しては、Apple側が譲らざるを得ないところもあった。これについては、変更が必要な箇所があると、アイブがすぐに代案をスケッチして提案し、双方の歩み寄りによってユニークな曲面構成の造形が作り上げられていった。そのため、IFデザイン賞のページでも、日本IBMがデザインの一翼を担ったことが記されたのである。

1.98kgの重量で10.4インチ液晶を搭載するPowerBook 2400cは1997年に発売されたが、1年にも満たないうちにAppleのラインアップから姿を消した。日本のモバイルユーザの支持は得られたものの、アメリカでは小さすぎて使いにくいと評価されてしまったのだ。MacBook Airが薄さにはこだわるが、画面サイズは過去の最小モデルでも11.6インチ、現在は13.3インチのみなのも、そのときの教訓が生かされているのだろう。

著者プロフィール

大谷和利

大谷和利

1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、原宿AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。

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