Mac業界の最新動向はもちろん、読者の皆様にいち早くお伝えしたい重要な情報、
日々の取材活動や編集作業を通して感じた雑感などを読みやすいスタイルで提供します。

Mac Fan メールマガジン

掲載日:

ペンで操作するMac「PenLite」が話題を集めた1992年のWWDC。先進性を持ちながら、開発中止となった背景とは?

著者: 大谷和利

ペンで操作するMac「PenLite」が話題を集めた1992年のWWDC。先進性を持ちながら、開発中止となった背景とは?

※この記事は『Mac Fan』2019年5月号に掲載されたものです。

ジョブズ退社後、“オープン”になったWWDC。そこで披露された試作機「PenLite」

故スティーブ・ジョブズが復帰する以前のWWDC(Appleの世界開発者会議)には、僕がとても楽しみにしていたセッションがあった。それは、ATGと略されるApple社内のアドバンスト・テクノロジー・グループ、つまり先行技術開発を担当する部門のスタッフが、その時点で手がけている最新研究の成果を発表するというものだ。そうした研究には、たとえば音声認識技術なども含まれていた。

もちろん、当時も本当に重要な最新技術は秘密にしていたのかもしれないが、ジョブズ復帰後に比べれば、WWDCにもはるかにオープンな空気が感じられた。ライターとしても、ATGセッションの内容を書くことはできなくても、Appleの将来的な方向性の一端が垣間見られ、大いに刺激を受ける時間だったのである。日本の家電・コンピュータメーカーも、Appleの開発者プログラムに登録していればWWDCに社員を送り込むことができたので、中には明らかに情報収集目的の参加もあった。

さて、AppleがPowerBook Duoをリリースした1992年のWWDCのATGセッションは、特に印象に残るものだった。デスクトップユニットと合体できるサブノートMacのDuoだけでも画期的だが、さらに同社は、試作機とはいえDuoベースのペンコンピュータを披露したのである。

その頃、Go Corporationという新興企業がすでにペンコンピュータに特化したPenPoint OSを発表しており、MicrosoftもWindows 3.1の拡張機能としてWindows for Pen Computingを開発するなど、ペンコンピューティングはIT業界のブームとなっていた。そのため、ATGによるペンMac(後に内部呼称がPenLiteであることがわかった)のデモは参加者の大いなる注目を集めた。

独自のコンセプトも、Mac OS準拠のUIが壁に。“夢”はMessagePadに引き継がれた

実はPenPoint OSは、開発元によるプロモーションビデオを見るとわかるように、ペンベースの操作に特化した先進的なオペレーティングシステムだった。これに対して、Windows for Pen Computingは、マウス操作が基本のWindowsをペンでも使えるようにしたものに過ぎず、差は歴然としていた。

PenLiteは、PowerBook Duoのスクリーンを表裏逆にして一体化したような成り立ちで、後部のドックコネクタも残されていたことから、Appleとしては、モバイル状態ではタブレットとして利用し、自宅や会社ではデスクトップユニットと合体して通常のMacとして使うことを想定していたのだろう。その点は先行する2社にはない特徴だったが、UI的には当時のMac OSに準拠しており、ペン操作に最適化されていたわけではなかった。

結局Appleは、マウス向けのUIをペンで使っても理想のユーザ体験を実現できないと判断してPenLiteはお蔵入りとなり、同時期に社内の別グループが開発していたペンベースのNewton OSを搭載したMessagePadが1993年に発売された。そして、Go Corporationはその頃のMicrosoftの常套手段であったベイパーウェア戦略(ライバルと同等の機能を実現するといって顧客を引き止め、相手を牽制する)の前に事業破綻し、歴史の闇に消えた。しかし、いずれにしても2010年のiPad誕生まで、タブレット端末が本格的に普及することはなかったのである。

著者プロフィール

大谷和利

大谷和利

1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、原宿AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。

この著者の記事一覧