3年ぶりのモデルチェンジ
iPad mini(第6世代)が発表されたのは2021年9月15日、それから3年以上の月日を経て、ついに第7世代モデルとなるiPad miniが登場した。と言ってもその外観は第6世代モデルとほとんど変わらず、一見しただけでは両者の違いはほとんどわからない。
一方で大きく進化したのが、その心臓部であるAppleシリコンだ。第6世代モデルではiPhone 13シリーズ用に開発されたA15 Bionicを採用していたのに対して、第7世代モデルは昨年リリースされたiPhone 15 Pro用に開発されたA17 Proが採用された。
A17 ProはTSMCの3nmプロセスであるN3Bで製造されるAppleシリコンで、総トランジスタ数は約160億から約190億へと大幅に増強されており、これは現行のiPad Airが搭載するM2の約200億に極めて近い規模だ。その中でもGPUとNeural Engineが大幅強化されており、中でもGPUはそのアーキテクチャを大きく見直し、Appleが「Pro-Class GPU」と呼ぶものへと進化している。
Apple Intelligence対応のためのアップデート
まず今回のモデルチェンジの目玉である、Apple Intelligence対応のためのアップデートを見てみよう。Apple IntelligenceはApple独自のAI機能の総称だが、その最大の特徴はデバイス内でAI処理を完結させる「エッジAI」にある。
従来および現在主流となっているAIサービスの大半はクラウドサーバ上に構築されたAIを利用するが、Apple Intelligenceはそのほとんどの処理をAppleシリコン内部で行うのが大きな特徴だ。というのも、Apple Intelligenceが提供するサービスの多くが、ユーザの日常生活におけるさままなサポートを実現するために、個人情報に基づくデータを取り扱う。
AIサービスを提供するうえでユーザ自身のプライバシー保護とセキュリティの確保を実現するには、それらの情報を(ネットワークなどを介して)外部に漏らさないことが重要であり、そのためにはあらゆるデータの管理とその処理をデバイス内で完結することが好ましい。そこでAppleシリコン上に、強力なAI処理能力を持たせる必要があるわけだ。
A17 Proに搭載されたNeural Engineは、従来(A15 Bionicは15.8TOPS)の2倍を超える35TOPSの処理能力を持ち、これはM3やM4に匹敵する性能だ。しかしApple Intelligenceに対応するには、Neural Engineの性能以上に重要な指標がある。それがAppleシリコンに搭載されるメモリ容量だ。
A15 Bionicには4GBのメモリが搭載されていたが、A17 Proはその2倍の8GBのメモリを搭載することで、サイズが大きくなりがちなAIモデルをメモリ上に展開して処理することができる。この点が歴代のiPad miniの中で、本製品のみがApple Intelligenceに対応できる最大の理由だ。
Apple Intelligence自体は11TOPSのNeural Engineを備えるM1でも動作することから、A17 Proの35TOPSという性能は現時点ではオーバースペックだが、今後Apple Intelligenceがアップデートされたのち、新たな機能やサービスを充実していく過程では、その活躍の場が出てくるに違いない。
新世代のグラフィックエンジン「Pro-Class GPU」
A17 Proの最大の目玉とも言えるのが「Pro-Class GPU」の採用だ。これにより、2022年のWWDC(世界開発者会議)でリリースされたmacOS、iPadOS、iOSの新しいグラフィックAPI「Metal 3」に合わせて、GPUアーキテクチャを大幅に進化させている。「Pro-Class GPU」ではメモリの利用効率を改善する「Dynamic Caching」、メッシュ処理性能と効率を向上する「Mesh shading accelerator」、3Dレンダリングでのレイトレース(光線追跡)処理を加速する「Hardware accelerated ray tracing 」などが新たにサポートされている。
従来のGPUは各タスクに決められたサイズのローカルメモリが固定的に割り当てられていたのに対して、Dynamic Cachingでは各タスクにそのとき必要なだけの量のローカルメモリが動的(ダイナミック)に割り当てられる。これによってより多くのGPUを並列動作させることが可能になり、高負荷時のGPU性能が向上する。同時にDynamic Cachingは通常動作に必要なメモリ帯域を抑制でき、GPUのメモリ使用効率を向上し消費電力も抑えられる。
メッシュシェーダーは3Dグラフィックスでのパイプライン処理を簡素化して並列処理するための仕組みで、「Mesh shading accelerator」はこれをハードウェアで実行するためのアクセラレータだ。複雑な図形(メッシュ)が多用された3Dグラフィックスの処理能力を大きく向上できる。
レイトレーシングは光の屈折や反射を忠実にシミュレートして3Dグラフィックスをレンダリングする手法で、CG映画などで実写と錯覚するほどリアルな映像を表現するのに使用されている。この技術を用いることで写実的な3Dグラフィックスが実現できる反面、CPUやGPUの負荷が非常に大きい。「Pro-Class GPU」の「Hardware accelerated ray tracing 」は、この処理をハードウェアで高速化するアクセラレータだ。
これら「Pro-Class GPU」の新機能が活かされるのは、Windowsプラットフォームから移植されたAAA級グラフィックゲームのプレイ時だ。Appleは支援ツール「Game Porting Toolkit 2」を発表し、Windows上で動くゲームタイトルのiOS、iPadOS、macOSへの移植を推進している。その結果、多くのゲームがiPhoneやiPadにリリースされており、新しいiPad miniはこれらのタイトルを楽しむのに最適なAppleシリコンを搭載しているわけだ。この点において新しいiPad miniは「Pro-Class GPU」を持たないM2搭載のiPad Airをも超えているといえる。
A17 Proがもたらす新機能
これ以外にも、新しいiPad miniではA17 Proの採用がもたらす機能がいくつかある。その1つがメディアエンジンの強化で、AV1と呼ばれるCODEC(メディア圧縮伸張アルゴリズム)のハードウェアデコーダが搭載された。AV1はYouTubeなどに採用されているCODECで、A17 ProはこれをハードウェアによってデコードすることでCPUやGPUの負荷を減らし、4Kなど高解像度の動画コンテンツを内蔵バッテリで長時間再生することができる。
また唯一の拡張ポートであるUSB-Cが10Gbpsにアップデートされた。これは本来iPhone 15 Proで4K/60fpsのProRes RAW記録を実現するための性能向上だが、iPad miniの拡張ポートを強化することに一役買っている。
このように外観上はほとんど違いが見えない今回のiPad miniのモデルチェンジだが、その機能や性能の充実ぶりはA17 Proの採用によってもたらされたといっても過言ではない。そして新しいiPad miniの最大の魅力は、Apple Intelligenceに必要な機能をリーズナブルに実現している点にある。
しかも「Pro-Class GPU」の搭載により、AAA級ゲームを楽しむこともできる。それが片手に収まるコンパクトなサイズで、かつ10万円を大きく下回る価格帯で実現していることは驚異的ですらある。まさに「子羊の皮を被ったオオカミ」とは本機のことを指すのにふさわしい表現だと言えるだろう。