※この記事は『Mac Fan 2016年5月号』に掲載されたものです。
「FaceTime」と「メッセージ」は魅力あるアプリだが、iPhoneにおいては携帯本来の基本機能と重なるため、使っていない人も多い。
そもそも、従来からあったものと重複するようなサービスを、なぜAppleがわざわざ純正アプリとして開発したのだろうか。これが今回の疑問だ。
不思議なサービスFaceTime
iPhoneユーザの方は、FaceTimeとメッセージ(のiMessage機能)をどのくらいお使いになっているだろうか。実をいうと、私個人はほとんど使っていない。ショートメッセージを送るときは、相手がiPhoneだと勝手に「iMessage」になってしまうので無自覚に使っている程度だ。
サービス内容に何か問題や不満があるわけではない。しかし、FaceTimeはiPhoneの電話機能とバッティングするし、iMessageはiPhoneのSMS(ショートメッセージ、携帯メール)とバッティングする。確かに、Macを含む複数のデバイスから同時に利用できるなどの利点はあるが、携帯電話の基本機能と重なる部分が多いため、iPhoneユーザでありながらあまり使っていないという人も多いのではないだろうか。
なぜ、Appleはこのような携帯電話と機能が重なるサービスをわざわざ開発したのだろうか。
バックドア開発に等しいFBIによる要請
AppleがFaceTimeとメッセージを開発した正確な理由はわからないが、昨今話題となっているFBIとのプラバシーをめぐる論争で、ひとつ思いあたるところがある。
ことの発端は、2015年12月にカリフォルニア州の福祉施設で起きた銃乱射事件だ。FBIは容疑者のiPhone 5cを解析して、通話履歴などからテロの協力者を割り出そうとした。しかし、パスコードを10回間違えるとデータが全消去される仕組みなどがあって解析ができない。そこでFBIはカリフォルニア州中部連邦地裁を通じ「ロック解除する仕組みの開発」をAppleに対して命令した。ティム・クックCEOはこれを拒否し、ユーザに向けてメッセージを自社サイトに掲載。ここから問題が大きくなった。
一部報道は「裁判所がロック解除を命令」と、問題のiPhone 5cのロック解除のみを命令したかのように報じたものもあるが、正しくは「ロック解除する仕組みの開発」命令だ。具体的には、iPhoneの外部から「パスコードの誤入力による回数制限を解除」し、「外部プログラムからパスコードの自動入力」を可能にする仕組みを作れというものだ。
アカウント情報の提供には応じてきたApple
これを実現するには、iOS側になんらかの仕組みを追加しなくてはならない。クックCEOは、これは「バックドアを作れといっているに等しい」と反発した。実際そのとおりで、iOSにそんな機能を組み込んだら悪用する人も出てくるだろうし、なにより民主的とはいえない政府から同様の要求をされた場合に、グローバルでビジネスを展開するAppleはその国の政府の要求も聞き入れなければならなくなる。
実のところAppleは、個別のアカウント情報提供の要請には過去何度も応じてきた。AppleのWEBサイトにも「政府機関による情報要求」に応じてきたことが記されている(ただし、可能な限りプライバシーに配慮し、その数は全ユーザの0・00673%未満にすぎないとしている)。
クックCEOのメッセージにも「過去いくどとなく、素晴らしいアイディアを提供してきた」という文言があり、「情報を提供できる体制」もあるとしているので、捜査協力をしてきたことは間違いない。しかし、今回の要請は質的にまったく異なる。個別のロック解除ではなく、すべてのiPhoneに関わることだから受け入れられないのだ。
アメリカにおける「盗聴」の考え方
ではもう一方の当事者であるFBIは、なぜこんな無謀な要請をしたのだろうか。米国は私たちが思っているより通信プライバシーが制限されている。2001年に成立した愛国者法では、捜査機関が「米国内で」「外国人の」通信を盗聴することは合法化された。
愛国者法はすでに失効しているが、現在でも裁判所の許可を得たうえでの盗聴は合法だ。さらに、通信傍受支援法では捜査機関が通信傍受をやりやすくするため、裁判所が通信機器やソフトウェアの設計変更を製造業者に要請できる。今回のAppleに対する地裁命令は、この法律に基づいて判断されたと思われる。
Appleが拒み続けた「プリズム」への協力
2013年に、元CIA職員エドワード・スノーデンが衝撃的な内部告発を行った。NSA(米国家安全保安局)は「プリズム」という監視プログラムを運用して、AppleやMicrosoft、Google、Facebookなどの利用者の通信を収集しているというのだ。名指しされた各IT企業は否定をしているが、いずれも「“直接”協力したことはない」という微妙な言い回しによる否定で、オバマ大統領を始めとする政府関係者はプリズムの存在を認めている。
スノーデンが暴露した「NSA内部資料」によると、プリズムは2007年から運用が開始され、すぐにMicrosoftが「パートナー企業」となった。2009年にはGoogleを始めとする各IT企業がパートナーになったとされる。しかし、最後までパートナーになることを拒み続けたのがAppleだった。
Appleは、2010年にFaceTimeを、2011年にiMessageのサービスを開始。いずれも携帯電話の機能と重なるが、強力な暗号化が施されているのが大きな違いだ(SMSは平文で暗号化されていない)。2011年10月にスティーブ・ジョブズが亡くなってから5年近くパートナーになることを拒み続け、ようやく2012年にプリズムのパートナーになることを同意した。
両立しない安全とプライバシー
その後、愛国者法が4年間の延長ののちに失効し、プリズムの運用は難しくなり、通信記録は必要に応じて裁判所の許可を得て提出を求めることになった。捜査機関としては、捜査(特に予防的捜査)が非常にやりづらくなったわけだ。当然ながら、捜査をしやすくする機会を虎視眈々と狙っていたことだろう。
つまり、今回のロック解除問題は単発的な問題ではなく、スノーデン事件から続くIT企業と捜査機関の駆け引きの1つなのではないだろうか。Appleが「ユーザのプライバシーを尊重する」ことを「ただのマーケティング、リップサービスにすぎない」という人もいるが、私はそうは思えない。特に米国では、テロ捜査とプライバシーの厳しい選択をしなければならない状況になっている。私には、Appleは真剣に戦っているし、FaceTimeとメッセージはユーザのプライバシーを守るためのサービスだったのではないかと個人的に考えている。
このスノーデン事件のとき、オバマ大統領はこう発言した。「100%の安全と100%のプライバシーの両立は難しいことを理解する必要があり、社会としての選択をしなければならない」。この問題は、まだ終らない。形を変え、さまざまな局面で捜査機関とIT企業の駆け引きが続いていくことになるだろう。
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著者プロフィール
牧野武文
フリーライター/ITジャーナリスト。ITビジネスやテクノロジーについて、消費者や生活者の視点からやさしく解説することに定評がある。IT関連書を中心に「玩具」「ゲーム」「文学」など、さまざまなジャンルの書籍を幅広く執筆。